「明治維新は薩長によるテロだった」初めて大河ドラマでそう描いたNHKをもっと褒めよう 維新賛美の「司馬史観」から脱却した (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
この記事を読んでいろいろ感じた。
『明治維新は失敗だった』という説を聞いたことがある。
『経済的、財政的、統治能力が限界に来ていた徳川幕府(と日本社会)が、もはやその機能に不全を起こし、西国雄藩(薩長土肥)などの内圧と、諸外国の外圧に押され、結果、その列強地方藩の者(大久保らなど)により、改められた政権(明治政府)が出来ただけであり、それを我々が後に“明治”と呼んでいるに過ぎない』…というものだった。
その後の日本政府、社会、軍国主義への傾倒、無理な外征(アジア進出)をした為、敗戦という“憂き目に会った”という。
全ては、あの明治維新のせい。明治革命をもっと違う形で成し遂げていたら…。
と、そんな話だったような気がした。
明治維新は、日本社会の大きな転換であり、それが今日の我々につながっのは間違いが無いと思う。
司馬遼太郎先生のいわゆる“司馬史観”は、決して明治維新を肯定するものではないと俺は思っている。
『明治維新は薩長によるテロである』は、ある程度明治維新の側面を捉えているとは思う。
NHK大河ドラマ『青天を衝け』で徳川慶喜(草薙剛)の話題を聞いた。
『明治維新は失敗』とは、『最後の将軍、徳川慶喜は英雄か?』という問いになると思う。
慶喜は希代の政治的頭脳と、事態を冷徹に見定める事が出来ていたと思う。
水戸学の『尊皇攘夷』を早くから“不可”と見ていて、他藩の伸長も感じていた。
それは徳川幕府という統治システムの劣化と、新たな政治機構への移行の必要性を見ていた事からも窺える。
新たな政権が、その基盤の脆弱性があると見ていたのも実に優秀だと思う。
だが、それに己が加わろうとした事。
後に“戊辰戦争”と呼ばれる内戦がもっと長期間すると睨んでいた事は、“誤り”だった、と思う。ミスである。
『慶喜は英雄か?』という問いに対する答えは、『英雄に成り損ねた』と言えると俺は思う。
慶喜が大阪城から“待避”し、後に明治政府に“参与”として加わっていたら、明治政府に“前政権(徳川幕府)”の影響を維持していたら、日本の近現代史はまた違っていたに違いない。