ブラック企業を辞め、地元浜松に戻ってきた直後こ話だ。
金💰️の無かった俺は、様々なバイトをして再就職活動をしていた。
その頃、住宅地図調査の仕事をしていた。
地図を渡され、指定されたエリアの住宅地図を確認する仕事だった。それを昼間にしていた。
(午後からは別の仕事を…)
御前崎市の住宅街をチェックしていた時だ。
季節は年末。
住宅や道幅を確認しながら“調査”していた。
すると、目の前にふらふらと歩くおじさんがいた。
ものすごくおかしな動きをしていた。
各家の玄関やインターフォン越しに「◯◯◯でーす」と言って、断られまくっているのだが、一向に気にせず、ガンガンとチャイムを鳴らし、何かを告げ、また怒られたり、拒否られたりしながら、歩いていた。
やがて、玄関先から出てきたところで、そのお宅の表札を確認しようとした俺と目があった。
すると、おじさんは「味噌、いる?」と訊いてきた。
おじさんは“味噌売”のセールスマンだったのだ。
俺は以前、死んだ祖母から「昔は毎年の年末に翌年1年分の味噌をまとめ買いしていた」と言っていた話を思い出した。
俺の家の近所ではそうしたセールスはなかったが
、御前崎市ではあったようだった。
俺はそのおじさんの困難さに同情した。
江戸時代ならともかく、現代で「味噌を年末に手売り」(契約後、別の人間が届けるようだったが)…。
とても儲かる商売には思えなかった。
それで俺は、そのおじさんと少し話をした。
「…大変すね」と同情丸出しだったと思う。
だが、おじさんの表情は思いの外明るかった。
話を聞くと、この手売りだけをしているのではなく、掛川辺りの大きな食品工事からの依頼でセールスしていらしかった。
自家製の味噌もあり、それらは様々な飲食店や土産物屋などに卸していて、手売り行商はその“1形態”に過ぎない。
つまり、味噌の“多角経営(販売)”をしているらしかった。
「…なかなか大変だよー」などと言いながら、おじさんは平気そうだった。
俺が見ていた感じ、かなり手厳しく拒否するお宅もあった。
どうもこのおじさんの売り方に問題があるように思えた。
チャイムを鳴らし、ぶっきらぼうに「味噌、いる?」と訊くのだ。
おそらく以前からの“お得意様”は「あー、今年もね?」と理解できるが、知らないと明らかに不審者だ。
それでも、多角販売だから拒否られてもそこまで問題は無いようだ。
俺は「いろいろやる」という姿勢、『ビジネスチャンスは最大に生かす』という事を身をもって感じて、少し関心してしまった。