鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

味噌を売る人(多角販売)

ブラック企業を辞め、地元浜松に戻ってきた直後こ話だ。

 

金💰️の無かった俺は、様々なバイトをして再就職活動をしていた。

 

その頃、住宅地図調査の仕事をしていた。 

地図を渡され、指定されたエリアの住宅地図を確認する仕事だった。それを昼間にしていた。

(午後からは別の仕事を…)

 

御前崎市の住宅街をチェックしていた時だ。 

季節は年末。

住宅や道幅を確認しながら“調査”していた。

すると、目の前にふらふらと歩くおじさんがいた。

 

ものすごくおかしな動きをしていた。

各家の玄関やインターフォン越しに「◯◯◯でーす」と言って、断られまくっているのだが、一向に気にせず、ガンガンとチャイムを鳴らし、何かを告げ、また怒られたり、拒否られたりしながら、歩いていた。

 

やがて、玄関先から出てきたところで、そのお宅の表札を確認しようとした俺と目があった。

すると、おじさんは「味噌、いる?」と訊いてきた。

おじさんは“味噌売”のセールスマンだったのだ。

俺は以前、死んだ祖母から「昔は毎年の年末に翌年1年分の味噌をまとめ買いしていた」と言っていた話を思い出した。

俺の家の近所ではそうしたセールスはなかったが

御前崎市ではあったようだった。

 

俺はそのおじさんの困難さに同情した。

江戸時代ならともかく、現代で「味噌を年末に手売り」(契約後、別の人間が届けるようだったが)…。

とても儲かる商売には思えなかった。

 

それで俺は、そのおじさんと少し話をした。

「…大変すね」と同情丸出しだったと思う。

 

だが、おじさんの表情は思いの外明るかった。

 

話を聞くと、この手売りだけをしているのではなく、掛川辺りの大きな食品工事からの依頼でセールスしていらしかった。

自家製の味噌もあり、それらは様々な飲食店や土産物屋などに卸していて、手売り行商はその“1形態”に過ぎない。

つまり、味噌の“多角経営(販売)”をしているらしかった。

「…なかなか大変だよー」などと言いながら、おじさんは平気そうだった。

俺が見ていた感じ、かなり手厳しく拒否するお宅もあった。

 

どうもこのおじさんの売り方に問題があるように思えた。

チャイムを鳴らし、ぶっきらぼうに「味噌、いる?」と訊くのだ。

おそらく以前からの“お得意様”は「あー、今年もね?」と理解できるが、知らないと明らかに不審者だ。

 

それでも、多角販売だから拒否られてもそこまで問題は無いようだ。

 

俺は「いろいろやる」という姿勢、『ビジネスチャンスは最大に生かす』という事を身をもって感じて、少し関心してしまった。