へずまりゅう氏「更生ってできるんですか?」 月収250万円から転落…家田荘子氏にガチ相談(東スポWeb) https://news.yahoo.co.jp/articles/f5ed6306491f993a642fab13fb7dc74bcd10f9fe
この記事を観て、素直に思ってしまった。
『彼(へずま)は、本当に“更正する”だろうか?』
迷惑系YouTuberとして、月々250万も儲けていたへずま氏。
「喧嘩、エロ、警察が1番動画が回る」と分析している。
YouTubeという“営業”の仕組みをよく理解している、と思う。基本、広告収入がベースのネット動画で稼ぐには、内容より『どれだけ動画を観てもらえるか』を追及していく事が第一目標になるからだ。
“迷惑系”は本当に迷惑だが、『観たくなる』人の心理をよく掴んでいる。
要するに“炎上🔥商売”なのだろう。
良くも悪くも、観られてナンボ、というのが広告収益のある“動画再生ビジネス”の“ポイント”だ。
過激な行為を遣り過ぎて捕まったが、へずまがYouTubeへの復帰した後、 「おかえり♪」「待っていたよ♪」などという比較的歓迎的やなコメントが観られていた。
ファンというか、彼の“迷惑系動画”を観たい人間は、その復活を好意的に受け入れた。
“観る”だけなら…。
これは彼に対する称賛や肯定、承認ではなく、傍観者としての興奮(ヒート)だ。
自分自身(観ている人)ができないことを、へずまがやるから、観る。
で、拍手を送る。
自分(観ている人)には出来ない、ヤバい事や法律スレスレ(違法行為も)の事をしてくれるから、観ていれば、面白い。
復活に対する歓待コメントは『また面白い動画、見せてよ』という要求に他ならない。
人は他人から忌避される行為や怒られる事を“見る”のが好きだ。
だが、自身ではやりたくはない。
だから、他人にやって欲しいと思う。
YouTubeの中で、他人に迷惑をかけながら生きる彼を見るのは、楽しかったのかもしれない。
…何故なら、自身ではそんな事できないから。
そこの“需要”にへずまは上手く食い込んだのだ。
だが、それは称賛や人間的に彼が認められたわけではない。
選挙に出ても、イロモノ扱い。泡沫候補だったのでは?
『YouTubeでは面白い』
『俺たちの言いにくい事を言ってくれる』
『実は冷静な人だ』
そして、人(へずま)は勘違いする。
温かなコメント、応援メッセージ、支援…。
自身が認められたような気持ちになるだろう。
で、選挙に出てみたが、全く票が集まらない。
そりゃそうだ。
YouTuber・へずまは「面白い」が、政治家になる、なるないは無関係からだ。
動画は面白くても、それと政治家は繋がらない😵💧
彼は、YouTubeからの興奮と、称賛や承認を一緒に思ってしまったのだろう。
大阪市長の橋下氏の人気もあり、投票は話題になった。
インタビューで街の人らは「私、橋下さん、好きやわ~」「橋下市長の言うとおりや!」などと言っていたのを見たが、住民投票で『都構想』は反対多数で否決されていた。
橋下人気=都構想賛成には繋がらなかった。
人気と期待は、微妙に違う。
興奮では承認を生まない。人は意外と冷静だ。判断基準を興奮や面白さから考えない。
同じ事が、最近、芸能人復帰を宣言した木下ナントカというタレントにも言えないか?
タピオカ屋を脅迫し、不倫しても、ネットでは「キレイ✨」「お美しい✨」などと言われて、需要がある、と思ったのか?
だが、復帰の動画には意外と辛辣な意見が多かったと聞く。
俺は、あの騒動自体は、“ユッキーナ”の責任よりも、タピオカ屋側の目論見や姉さんのワガママがあったように思うが、そこはタレントという仕事だ。
常に衆人環視を意識しなければならない。
「かわいい」「キレイ」=承認では無い。
へずまは「ウーバーイーツで稼いで企業する」と言っていたが、そう上手く行くのかな?
(前は、総合格闘家って言ってなかったか?)
迷惑動画再生で月250万も稼いでいた彼が、一件数百円の仕事(ウーバーイーツ)で我慢できるか?
迷惑系YouTubeの、あの称賛と承認(に思えた)の日々を思い出さないだろうか?
俺は早晩、彼が配達員🚚など“諦め”、迷惑動画という“麻薬”に戻る↩️と睨んでいる。
それだけ、興奮には価値が出てしまう。堪えきれない人の欲望とお金💴が出てしまう。
結局、人はそれから逃れられないのではないか?
その例が、
大仁田厚だ。
認めたくはないが、この男はプロレスの“興奮”の仕組みをよくわかっている。
以前、大仁田は「“嫌い”というも、1つのコミュニケーションだ」と言っていた。
これは実に上手い言い方だ。
プロレスの“本質”の一つをよく捉えていると思う。
大仁田は何でも、プロレスという“己のテリトリー(ペース)”に巻き込むのが上手い。(だから嫌い❗)
「大仁田なんか、嫌いだ!」→「ならば、プロレスしよう」(大仁田)
「大仁田、金返せ!」→「では、プロレスしましょう」(大仁田)
「大仁田が好きだ」→「はい、プロレスしましょう」(大仁田)
とにかく、何でプロレスに繋げてくる。
それで後はリングで電流爆破や有刺鉄線で血みどろになり、「ファイヤー🔥」とか「オイッ×3 これが生きるってことじゃ!」と叫べば、もう大仁田劇場の完成だ。
反吐が出るほど見え透いたやり取りなのだが、これにファンは興奮する。
大仁田はそれをわかっている。
“プロレス”(特にデスマッチ)という、自身の“落としどころ”を理解している。
必ず“相手”を自分のエリア(デスマッチプロレス)に引き込む。
そこでしか“勝てない”のが、分かっているからだ。絶対に自分の“テリトリー”からは出ない。炎🔥と涙💧のカリスマである自分を崩さない。
そこから離れたら、非難されるだけだとよくわかっている。
…だから俺は嫌いなのだが💢
だがこの“嫌い💔”もまた、大仁田にしたら“コミュニケーション”でしかないのだ。
…なので、非常に腹が立つ💢
そして、大仁田は引退→復活→引退を繰り返す。
その度に『大仁田厚、涙の引退』→『大仁田厚、涙の大復活!』を繰り返す。
批判もまた大仁田からすれば、“称賛”と“期待”であり、自身への“興奮”となって返ってくる事を理解している。
批判や非難、罵詈雑言は、大仁田への称賛だ。
それで、大仁田の“プロレス”へ、他人を強引に引き付けるのだ。
俺はこういう風にコミュニケーションを取ろうとする思考を『大仁田マインド』と呼んでいる。
へずまと木下ナントカは、基本、この大仁田の“手法”と同じではないか?(特にへずまの方…)
他人を引き付け、興奮させ、期待を引き出し、称賛を得ようとする。
やり方は一緒では?
ただ、へずま、木下ナントカと違うのは、大仁田には“プロレス”という落としどころがあるのに対し、二人にはそのプロレスに相当するものが無い。
へずまはネット、起業?(総合格闘技?)
ユッキーナは芸能界?
残念だが、そこは大仁田やプロレスのように、批判や非難が“プラス”やコミュニケーションにはならない。
“傍観者”を興奮させても、賛同者や“推し”にはならない。
二人の前途は多難が想像される。
同時に大仁田の“強さ”に改めて気付く。(嫌いだけど…)