以前、テレビを見ていて、『これは"洗脳"では?』と驚いた事があった。
あるパチンコチェーンの新店舗開店と新人研修を追ったドキュメンタリーだった。
あるパチンコチェーンで地方に新店舗が建てられ、そこに赴任した店長と配属された中途採用の社員たち。
新人研修初日、店長は新人らに「君の夢は何だ?」と尋ねる。
中途採用された新人らの経歴は皆、バラバラで就職に失敗した元ニート、会社を一度辞めた若者やアルバイトから社員採用された者などがいた。その夢も一様では無かった。
「金持ちになりたい」
「将来は海外に住みたい」
「もっと輝きたい」
…など。それを店長が黙って聞く。
次に、その新人ら個々の来歴や現状、会社に入るまでが説明された。
そして、新人研修最終日。
店長は再び、新人に「君の夢は何だ?」と訪ねる。
初日同様、個々の夢を語る新人。
それに対し、店長が吠える。
「お前の夢はそんなもんか? もっと本気を見せろ!」
そう言って、新人らに自らの希望や夢を叫ばせるのだ。
そして、最後に店長は言う。
「お前らの熱い気持ちは俺が受け止めた…」
こうして新規パチンコチェーンの新人研修は終わり、夢を追いかける新人と、それを応援する店長の日々は続いて行く……という終わり方だった。
これを見た時、俺は即座に『これは"自己暗示の肯定"と"追承認"を使った"洗脳"ではないか?』と思った。
まず、人は誰でも夢を見るし、希望を抱く。
「金持ちにになりたい」と漠然とした夢を持ったとしよう。
そう思うのは人の勝手だが、それの実現の方法は様々だ。コツコツ真面目に働くのも、宝くじやギャンブルで一攫千金を狙うのも、(正否はともかく)自由だ。
だが、他人を傷付けたり、他人から金を奪ったりして実現してはいけない。倫理や社会的な常識の範囲内で実現させるのだ。
この店長(というか、会社)はまず、新人らに「なりたい自分」を言わせる。心の中で思っている『夢』を口に出させるのだ。
『夢を持つ事は良いこと』だが、その方法は実は限定される。もしくは個々により違う。
だが、それを発言させる事でその実現に"正当性"を感じさせるのだ。
『夢を持つのは素晴らしい』
『君の夢は素晴らしい』
『だから、その夢は何としても叶えないといけない』
この会社(パチンコチェーン)はおそらく"ブラック企業"なのだろう。
"夢"という聞こえの良い言葉を使い、その"実現"の為にはありとあらゆる理不尽を受領させる。
何故なら『夢の実現の為』である。
個人の夢を実現させるには、いかなる理不尽も、個人的なその他の欲望も"怠惰"に他ならない。
それを各新人に叫ばせる事で肯定させる。自己暗示を強化させるのだ。
他人から強いられる"夢"は、時に反発したくなるが、自分が言い出した"夢"は抗いにくい。
これを"自己暗示の肯定"という。
よく考えてみたら、自分の夢を大声で叫ぼうと、それが実現するかどうかは別物だ。
これは『自分で"言い出した"のだから、この追及は正しいのだ』という"決め付け"だ。
また、叫ばせた後の『お前らの熱い気持ちは受け止めた』というのも、それだ。
自分が持つ夢への"熱意"を受け止めてくれる人がいる。
自分の夢を肯定し、応援してくれる"他人"がいる。
それは間違いなく自分に対して"かけがえ"の無い人だ。だって、自分の"夢"を"承認して"くれるのだから。
人は自己の欲求や希望の実現を承認してくれる人に親近感や信頼感を抱く。
SNSの『いいね!』を貰うと嬉しいのこれだ。
誰かに『あなたの夢は素敵!』と認めて貰っているのだ。
これを"追承認"という。
これは非常に嬉しい反面。"承認してくれた人"に対し、追従感を抱く。
『応援して貰ったのだから、頑張らないとな…』というわけだ。
よく考えてみたら、店長に認めてもらおうが、もらうまいが、自分の夢の実現には意味が無い。
だが、人は"決め付ける"。
自分の夢の実現を"受け止めてくれた"あの人(会社)の為に身を粉にして頑張らないと。
それが正しい事だと思い込む。
こうして会社にとって都合の良い"ブラック戦士"が生まれ、"夢"という言葉と引き換えに、死ぬ気で働いてくれる"奴隷"に自分からなってくれる。
これはまさに"洗脳"ではないか?
俺にも覚えがある。
大学卒業後に入社したブラック企業で、"例の"研修終了後、各ブロックに配属された。
その配属初日、俺のエリアの部長が俺に聞いた。
「君の夢は何にかな?」
今から思えば、テレビで見たパチンコ屋の店長と同じ"手法"た。
俺に自身の夢を語らせ、そこから「その夢を叶えるには、この会社で頑張るしかないよな?」と、ブラックな方向に持っていくのだ。
(それを大声で叫ばせたり、「応援するよ」とは言わなかったが…)
この"自己暗示の肯定"と"追承認"という心理トリックが実に巧妙なのは、これを行わせる人間があくまで"善人"でいられる事だ。
何故なら、『夢を持つ』事は素晴らしく事であり、それを"応援"する事もまた、素晴らしくからだ。
夢を語る若者が自分自身を信じ、身を粉にして、安い給料で、昼夜も無く会社の為に働く。それも『自らの意志』で。
「…別に強制はしていない。
だって本人が『夢の為に頑張るしかない』と言っていたから…」
そう言えるからだ。
実に汚いやり方だ。
そして、夢を語った本人やそれを"受け止めてもらった"人間は、それを"善いこと"と"思い込む"。
人は悪い事には、罪悪感や良心の呵責ごあるから遠慮するが、『善いこと』と思うと、突き進む。
罪悪感が無いから、自ら進んで行う。
"思い込み"とは、この罪悪感を除去し、他人の為に行動させる洗脳に使われてしまう時がある。
プロレスには様々な団体、スタイルがある。
ストロングスタイル、王道スタイル、格闘スタイル、デスマッチ、エンタメ…。
そして、各々にそれを信じる"信者"がいる。
全てに言えるのは、どのスタイルも『プロレスである』という事だ。
プロレスの結末は予め、決まっている。
プロレスはショー🃏(お芝居)であり、レスラーは観ている観客を興奮させる為に"闘う"。
だから、個人の体力的、技術的な優劣は全く関係ない。
レスラーが試合後、「おらっ! 勝ったぞ」と言ってもそれは『勝つように見せた』に過ぎない。そう風な『台本』なのだ。
『プロレスなんて八百長だろ?』
そう言われてしまえば、そうなのだ。
だが、そのプロレスを楽しむには目の前の"闘い"を『所詮は八百長』と思っていたら、興奮できない。
レスラーの繰り出す大技や、驚くような攻撃、観客を虜にするムーヴ(アクション)は全てショー👯♀️なのだが、"闘い"だ。
何故なら、プロレスはプロレスがショーであるとはオープンにしていないからだ。
プロレスを一目見たら、それがリアルな闘い(真剣勝負)ではないのは一目瞭然だろう。
それでもプロレスは自身を「お芝居です!」とは言わない。それならば、観ているこちら(観客)が、それを闘いと"思い込まない"といけない。
プロレスは思い込みよって成り立っている。
信者は便利な存在だ。
『これはリアルでは無い。だが、リアルだと思い込まないと、そもそも楽しめない』
そう思い込んでくれる。
そしてこれは、新入社員に夢を語らせ、自己暗示させるブラック企業の手法と変わらない。
目的(夢)を達成させる為に、自身に『これは、善いことだ』と暗示をかける。
目的(興奮)を得る為に、自身に『これは、正しい』と暗示させる。
二つはよく似ている。
ただ似ていないのは、ブラック企業の方がそうなる事で、かなり"実害"が出る可能性がある事と、暗示させた人間がこちら(ブラック企業)に歯向かってくる可能性がある事だ。
だから、ブラック企業側は"追承認"を行う。
常にこちら(企業)に追従し、盲信してくれるように仕向ける。
何故なら、こちら(企業)はその"信者"の応援し、その夢を承認し、夢を叶える為にサポートする親切な"善人"なのだからだ。
…俺が前に書いた"善意固め"だ。
『善いことをしている』という意識を持つ人間は、それを他人に押し付ける。善いことだから…。
そんなこちら(企業)に歯向かったり、疑問を持つなど持っての他なのだ。
たから、"思い込み"は恐ろしい。
プロレスの思い込みは、それを愉しく観るための"ポイント"だが、企業の意図に絡むと、途端に都合の良い"ロボット"にされてしまう。
夢を語らせる奴には注意が必要だ。
夢を語るのは人の自由だ。
また、それを応援してくれたり、認めてくれるのも嬉しい事だ。
だが、そこに他人の意志が入り込んではいないか?
よく考えてみろ。
夢を語ろうが、夢を応援しようが、その夢が叶うかは、自分次第だ。
他人に夢を語るな。
そして、他人に夢を語らせるな。
それは自分で決めるから。応援しなくも認めてくれなくても構わない。
思い込ませるな。
そして、思い込むな。