鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。

プロレス心理学127 橋本真也という悲しき男(下)

2000年11月、橋本は新日本を解雇される。


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新日の黄金期(92~97年)を牽引し、介入してきた猪木(UFO・小川)と散々と絡んで引退までさせられそうになったのに、新日は橋本をあっさり“切った”✂️

 

ちなみにこの“橋本-小川”戦通算5度も行われ、特に3回目と5度目が酷かった💦

 

……少し振り替える。

 

3度目の99年1月4日、東京ドーム大会における戦いは、橋本が小川のSTO(ステップ・トルネード・オガワ)でKO負け。

試合後に両選手のセコンド同士による乱闘騒ぎになった。

勝った小川が「新日本ファンのみなさま、目を覚まして下さい!」と吠えたのを覚えている。

 

小川のセコンドについていた佐山聡初代タイガーマスク)はセメントマッチであった語っていたが、俺はリアルファイト(真剣勝負)というより、『猪木の“ゴリ押し”でカードを決め、“予定調和”のスクリプト(約束)を小川の暴走でぶち壊した』と見ている。

小川は暴走王と言って良い暴れっぷりを示し、新日を混沌に叩き込んでいく。

(この年のドームには、大仁田も参戦。大騒ぎになる🔥)

 

橋本は、同年10月の4度目のリマッチにも敗れ、“負け”の印象が強くなってしまった。

新日リングを引っ掻き回し、それに憤る長州(監督)、そして“ゲテモノ”の大仁田の参戦…。

 

この結果を橋本自身はどう受け止めていたのか?

 

この小川戦は“リアル”と“スクリプト”が入り乱れるよく分からない闘いだった。

橋本は、“反長州”の色合いから、猪木の“ブック”に乗ったが、そこで小川という“暴走”が待っていて、“巻き込まれた”のではないか?

 

そして、2000年4月、東京ドームで行われた5戦目の対戦は、橋本真也、負けたら即引退」という公約させられて、試合に臨んだ。(かなり唐突感があったなあ)

橋本は、ダウン中の小川にジャンピングエルボーを仕掛けて腕を脱臼させたらしいが、また小川のSTO連発を受けて大敗した。

 

このダウンカウントを取られている際の橋本の意識朦朧な様子をよく覚えている。

その後、公約どおり新日本に辞表を提出した。

(マジで引退すんのか?)とかなり驚いた。

 

だが、この年(2000年)8月に復活した。

『熱心なファンの兄弟の願いにより…』という、よく分からない理由だった。

 

で、10月新日本プロレス“団体内組織”としてZERO-ONEを作る。

(これに長州は露骨に反対する)

 

直後の11月に新日本は橋本を解雇する。

 

この時、橋本真也はどんな気分だったのだろうか?

 

猪木に付き合いながら、橋本は猪木にも“諦め始めて”いたのでは?

つまり、猪木に近付くと、小川への“当て馬(引き立て役)”として“使い回されて”しまうことに気付いたのでは?

 

だが、長州は嫌い。

長州の仕切る新日本には、自分の居場所が無い。

 

なので、橋本は新日本内に『ZERO-ONE』を作ろうとしたのだろう。

だが、これを長州は許さず、橋本はクビになる。

 

このZERO-ONEは団体化され、翌2001年3月2日、両国国技館で旗揚げされた。

 

そのテーマは、

 

「破壊なくして創造はなし、悪しき古いものが滅せねば誕生もなし、時代を開く勇者たれ!」

 

だった。

 

橋本が“破壊”したかったのは、何だろう?

“悪しき古いもの”とは何か?

 

それは、アントニオ猪木であり、長州だったのではないか?

橋本にとって猪木は“過去の人間”であり、長州は“破壊”すべき“敵”だった。

その関係性から抜け出したくて、団体を立ち上げたのかもしれない。

 

この頃の新日本は、本当にもうめちゃくちゃだった。

 

これも振り替えってみると?

 

99年、馬場がなくなり、鶴田が引退し、前田日明も引退した。

日本マット界が混沌とする中、新日本も混沌の度合いが増す。  

 

先の1/4(3度目の橋本・小川戦)を受けて、新日本は、猪木もUFOと絶縁。

坂口・長州は猪木介入を阻止したかったのだ。

 

大仁田は新日に上がり続け、蝶野と“チーム2000”を結成。

さらに、新日は社長が坂口から藤波に代わる。その藤波は何故かUFOと和解しようとする。  

確か、小川はPRIDEに参戦。

猪木の指示か?

 

その間に、ムタ(武藤)とニタ(大仁田)が新日で電流爆破デスマッチを慣行。

 

4度目の橋本・小川戦には猪木が介入。

さらに、永田は怪人キモと闘う。

 

そして、フリーランス参戦していた天龍が49歳でIWGP王者となる。

 

この年、PRIDE桜庭が“グレイシー狩り”に成功し、俺の興味は完全に総合格闘技へ。嬉しかったな😃💕

 

2000年。藤田和之が新日本を退団し、猪木事務所へ。猪木が格闘技の匂いのする選手を新日本から引き抜いたと見て良いだろう。

藤田はこの後、PRIDE GPに出たりする。

 

猪木は何故か、格闘技(PRIDE)とプロレス(新日本)を“同時進行”で介入していく。おそらく『格闘技なら俺!』と思ってでしゃばりたかったのだろう。

 (小川・村上vs橋本・飯塚とかやっていたなぁ)

 

この猪木の“格闘技路線”に嫌気が差したのか、ムタ(武藤)が海外団体(WCW)と契約。

武藤自体は長州に近く、猪木の押す格闘技“色”が納得いかなかったらしい。猪木離れと見て良いか。

 

橋本-小川の5度目の闘い(即引退SP)があり、この時のIWGP王者は長州の“愛弟子”佐々木健介。悪まで、プロレスの領域を守っていく。

 

長州は猪木の介入を抑えていたかったのだ。

 

三沢らが『プロレスリング ノア』を旗揚げしたり、船木がヒクソンに負けて引退したり(コロシアム2000)、大仁田が長州に嘆願書を渡したり(“またぐなよ”…)たりしながら、猪木vs長州・坂口の暗闘が続く。

 

その長州は、何故か大仁田戦で現役復帰

介入する猪木に対する対抗措置?

 

2000年8月、三沢らが大量離脱した全日本と、新日本が開戦。淵が蝶野と握手したりした。

 

PRIDEに、新日本からカシン(石澤常光)、そして藤田和之が参戦。

 

11月に橋本が退団。

 

12月、橋本はノアに参戦。

 

猪木は大晦日に“プロレスと格闘技の融合”として『INOKI ボンバイェ』(大阪ドームを開催。 この大会は、高田、武藤、橋本、桜庭、猪木自身も出るというカオスな大会だった。

 

2001年の1/4(新日本)は、佐々木健介vs川田(全日)がメインだったが、明らかに格闘技を意識した闘いだった。

 

…俺はこの闘いでプロレスに“失望”した。

 

この大会では、退団した橋本は因縁の長州と“遺恨精算”マッチとして、新日本マットに上がった。

だが、藤波が“ドラコンストップ”という不可解裁定。

 

新日本は大谷と高岩が退団。

 

さらに武藤が、人生、ケアらと超党派ユニット(BATT?)を作る。

 

3月には橋本が遂に、ZERO-ONEが旗揚げ。

旗揚げ戦は、永田(新日本)、三沢(ノア)、小川(UFO)、藤田(猪木事務所)が入り乱れての大乱闘。

 

この頃の新日本IWGP王者にはいろいろあって、猪木事務所所属の藤田和之。猪木の勢力が拡大?

(この頃、猪木は意識的に藤田を“推していた”感じがする)

 

4月には、小川と長州が大乱闘。 

長州は小川の後ろに猪木を見ていたはず。

 

さらに猪木は新日本の永田、中西に格闘技戦をさせたりしている。

 

8月には、猪木はK-1のリングに上がり『K-1軍vs猪木軍』という、またカオスな闘いを行っている。(藤田がミルコにTKO負け…)

 

この頃、橋本は猪木と“コールマン貸出問題”で決裂している。

 

12月の『イノキ ボンバイェ』に新日本からまた永田が出場し、またミルコにKO負け。  

 

猪木は、新日とPRIDEを自由に振り回し、長州はそれにストレスを抱え、橋本はそんな両者と決裂していった感じがする。

 

サッカー日韓杯の行われた2002年。新日本はさらに混沌。

 

1・4(新日本)、大晦日(ボンバイェ)から4日後にも関わらず永田が秋山(ノア)戦に強行出場して涙💧(永田も猪木の被害者か?) 

 

そして、小川vs佐々木健介戦は、またノーコンテストの大荒れ。長州、頭に来た💢だろうな。

 

そして、武藤、小島、カシンが新日本を退団。 

 

その後、有名な“猪木御殿”が起こる。


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そして、蝶野が“現場監督”になる。

蝶野は、ノアの三沢などと提携したりする。

(俺はこの“蝶野監督”時代の新日本が結構好きだったが…)

 

さらに5月には、遂に長州も新日本を退団。

猪木にぶちキレれ、新団体(WJ)を旗揚げする。(また新日本に戻ってくるが…)

 

この退団は、武藤退団に対する“引責”だったらしい。

武藤は“長州派”と見られていて、その退団を引き留められなかった事を新日本内部で指摘されたようだ。

 

武藤自体は、長州“政権”下で輝いたが、猪木介入で「プロレスができない」事に嫌気がしていたらしい。

武藤らは全日に合流する。

 

この99~2002年、日本マット界と新日本プロレスまさに混沌期だった。 

振り返っただけで、もうめちゃくちゃ。

猪木(=格闘技)と、長州(=プロレス)が新日内で“争っていた”のだ。

新日本は、このプロレス・格闘技の狭間で揺れ続けていた

 

それに沿って、新日は混乱に次ぐ混乱。

 

猪木は新日本(プロレス)、PRIDE(格闘技)、ZERO-ONE(橋本)を牛耳りたかったような気がする。

 

橋本は、そんな新日内部の争いをどう見ていたのか?

 

現場監督の長州とは相容れないしUインターとの対抗戦では“外された”。

だが、猪木は小川を使い、橋本と競わそうさせてくる。猪木はレスラーを“使い捨て”にする。そのやり方を知っていた橋本は、猪木に与するのを危険と思っていたのだろう。

 

橋本の立ち上げたZERO-ONEには、大谷や高岩という新日本レスラーも加わり、そして、あの小川直也と和解して、タッグを組みOH砲となる。

(この小川の参加は、ZERO-ONEを掌握したかった猪木の差し金と俺は見ている)

 

橋本は、2003年には、武藤率いる全日本プロレスに乗り込み全面抗争に臨み、まさかの三冠王者になった。

11月には、今度はあの長州タココラ問答を起こし、WJ(長州)と抗争。に突入。


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このタココラ問答からの長州との抗争には、かなり驚いた。

 

過去のいきさつから、二人が絡むのはかなり難しく思えたからだ。性格的にも合わない。

第一、橋本が新日を解雇された原因は長州にある。

   それなのに、二人は“噛み合った”

 

おそらく、長州の“WJ”、橋本の“ZERO-ONE”はかなり経営が厳しかったのではないか?

それでも橋本は嫌いな長州と絡むのに躊躇はなかったのか?

 

俺は、橋本が長州自体を“食おう”としていた、と思っている。

靡く事なく、従う事も無い。

新日本という“居場所”から飛び出してきた長州を、自身の為に“使おう”と思ったのでは?

 

だから、長州と“絡んだ”のでは?

 

2004年(平成16年)から橋本『ハッスル』に移行。小川(キャプテン)から「ハッスル・キング」と命名されたりした。

ハッスルは小川も積極的に参戦する。


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『ハッスル』は橋本の考えた“独自路線”だったはず。猪木、長州を否定し、己のプロレスを編み出そうとした。(小川と一緒に…)

 

だが、これで『ZERO-ONE』が停滞する。

11月、『ZERO-ONE』は崩壊する。(経営破綻)

 

『ハッスル』という“新なブランド”が橋本を中心に回るか?、と思っていた矢先の『ZERO-ONE』だった。(『ハッスル』の有り方にはいろいろ疑問があったが…)

 

こうして橋本は、フリー(ランス)になった。

あの新日本の“エース”、“破壊王フリーランスのレスラーに…。

 

団体崩壊で、橋本の“命運は尽きた”ようだった。

     

今から思えば…、

長州が橋本の“団体内組織(ZERO-ONE)”を認めていたら…。

落選した猪木が、新日本に介入して小川を引っ張り込まなかったら…。

橋本の運命は違っていただろう。

 

この2004~06年がプロレスの“冬⛄🎄の時代”の“底”だったと俺は思う。

事実、俺もプロレスは追ってはいたが、気持ちはMMA(PRIDE)やK-1に向いていた。

 

この頃から、橋本の体調は極めておかしくなる。右肩の故障がかなり長引いていた。

直前にバラエティー番組に出ていたのを見たが、激しく太っていたのを覚えている…。

 

そして、2005年7月11日に脳幹出血で亡くなる。享年40歳。

 

その後、息子の大地くんが、ZERO-ONEでデビュー。


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紆余曲折があり、今は大日本プロレスにいる。

新日本ではなくて良かったのか?

それはわからない。今後の日本マットの主要人物にはなるだろうが…。

 

振り返ると、橋本真也というプロレスラーの人生には様々な“if”がある。

 

高田とUWFに行っていたら?

長州と敵対していなかったら?

猪木側に入っていたら?

小川に勝っていたら?

というが、そもそも猪木が介入していなかったら? 

『ハッスル』に加わらなかったら?

独立心を持たなかったら?

 

橋本の命運、大地くんの現状も少し変わっていたと思う。

 

だが、そういう風にしか生きられず、そういう風な環境にしかいれなかったのかも知れない。

橋本大地というレスラーは、こうして世に出た方が良かったのかも知れない。