鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

おひさま家族?

昨日(1/29)、たまたま『おひさま家族』(?)というドキュメンタリー番組を観た。

 

障害を持つ少年を持った家族の話。

知的障害があり、日光を浴びれない。

 

母親は、他の兄弟や子供のように“生活”して欲しいと願う。

だが、父親の感じは少し違い、おそらく“息子は1人では生活出来なくなる”と予想し、息子に出来るだけ“寄り添おう”とする。

(…と俺には思えた)

 

ある日、この一家が公園にいく。

 

兄、弟は普通にお日さまの下で遊ぶがが、その子は日光を浴びないようにフードをしていた。

 

すると、それを見ていた同じ公園にいた別の子供らがそれを囃し立てた。

 

怒る母親。

「仕方ないよ…」と冷静な父親。

 

その子に感情移入していた俺は完全に母親側。

 

すると、兄がその囃し立てていた子供に接触

何かを話していたのが写し出されていた。

 

スタッフが兄に「何、言ったの?」と尋ねると、「さぁ、どうでしょう?」と惚けたいた。

 

ここからは俺の勝手な予想だが、

 

(囃し立ていた)子供らに「ごめんね。俺の弟、病気でさー、どうしても“あんな格好”でしか、外、出れないんだよ」と説明しても、子供らの態度は、

 

「あー、そうっすか?」

 

というような感じではなかったのだろうか?

他人事というか、響かない、疎外感がある態度ではなかったか?

 

昼間の公園に、頭からフードを被った人間が現れたら、どうしても“異物感”がある。

寛容、許容、容認…など思ってはいるが、驚いてしまうだろう。

囃し立てたりはしないが、遠慮はするような気がする。

 

俺にも苦い記憶がある。

二度の手術後、退院して、再就職活動している中、静岡県内のある企業の求人に派遣会社を通じて応募した。

 

その席で俺を面接した会社側の“課長”…。

俺の履歴書を見るなり、露骨に顔を曇らせた…。

 

(…何だよ、こんな“病気持ち”。働けるかよ?)

 

とでも言いたげな顔を見せた。(…無駄な時間、取らせやがって)という顔。

 

俺はこれにカチン💢と、来た。(俺の思い込みか?)

 

気持ちはわかる。30半ばの脳腫瘍から回復した男が“働きたい”と言っても、困惑するだけだ。

 

だが、その表情は無いだろ?

俺は面接も受けられないのか?

働く価値も無いのか?

 

だか、その課長の気持ちも分かる。

忙しい仕事の途中で呼ばれ、“病気持ち”のバカの面接。

しかも、それを“おおっぴら”には言えない。

形として、「残念ながら…」と遠慮した態度になる。

 

俺が逆の立場なら、その課長と同じ態度をしていたかもしれない。

 

それは、その公園の子らと変わらない。 

批判できない。

非難するべきでもない。

差別も出来ない。

 

だから、“区別”する。『可哀想だな』と同情する。

(…あー、そうっすか?)と言うしかないのだ。

 

人は必ず“区別”する。

差別できないと、区別する。

『こちらには来ないで。俺たちとは違うから…』

『これは仕方ないから…』

などと、いう。

 

で最後は、『あー、そうっすか?』で終わるのだ。

『自分には関係無い…』

『知らない…』

『分からない…』

で、終わる。

それが人間だ。

 

そう思うと、その父親の感じも少し理解できる。

「この子は、もうすぐ1人では生活できなくなる」もいうのであるなら、父親として“寄り添う”しかない。

親としてかなり哀しいが、それしか出来ないからだ。