鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2/1 『冒険少年』“過剰演出”問題

 


(3ページ目)《他にもあった『冒険少年』“やらせ疑惑”》ハリセンボンはコンビニ弁当を片手にホテルへ、あばれる君は脱出翌日にも無人島ロケ…「脱出島」“過剰演出”は本当に「出演者の安全のため」だったのか? | 文春オンライン

 

最近、SBSの『冒険少年』の“やらせ”疑惑がネットで盛り上がっていた。

 

昨日(1/31)の放送では?
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かなり“手作り感”を出しすぎでは?

 

前の『イッテQ』の『お祭り』の時もそうだったが、これはあくまで“テレビ番組”だ。

“演出”か有って当然たろ?

“自力”、“偶然”、“たまたま”をにそこまで拘る理由があるが?

 

『こんな祭、本当にあるの?』

『本当にキャンプ⛺してんの?』

『船、一人で作ってんのか?』

 

どうでも良くないか?

 

テレビ番組の判断基準は『観ていて、“おもしろいか、否か?”』しかないだろ?

 

これは…、


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プロレスと一緒だ。

 

勝敗、リアル、フェイク、八百長…。

 

それはどうでも良い。

プロレスの価値基準は『興奮するか、しないか?』でしかない。

 

公序良俗や法律、モラルを逸脱してはならないが、“プロレス”・“テレビ番組”というのなら、価値基準の優先順位は、観ている人(観客・視聴者)の“興奮”が全てだ。

だから、演出(ブック)は当然。

騒ぐ事は無いたろ?

 

いちいち“本物か”、“本当か”は重要か?

拘らなくても良くないか?