鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

3/17 話題という“風”

昨夜の23時過ぎ、別ブログを書いていて、(…スポーツ情報観ようかな?)と何気無くテレビをつけたら、「東北で地震震度6!」と流れ、びっくりした。


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(↑これは翌朝の番組)

 

「東京でも停電頻発」「火事🔥」などの報道を観て、慌てて東京の友人に連絡を入れた。問題はないようだ。

 

一夜明け、メディアはこの地震の話題でもちきりだ。俺もカーラジオを聞いていると、最初の“切り出し”が全て地震の事であった。

ま、当たり前と言えばその通りなのだが、少し違和感を感じた。

 

今年の年明けは


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新型コロナの変異株(オミクロン)の話…。

 

次は、


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北京冬季オリンピックの話題。

特にフィギュアのワリエワ(ROC)のドーピングの話に熱。

 

さらには3月頭からは、


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ロシアのウクライナ侵攻の話題で一杯。

 

で、今は地震…。

コロコロと話題は変わる。  

 

日々、話題は変わるし、その日その日の情報は更新されていく。俺もこのブログでそれを書いて下らない意見を吐いたりしているから、人の事は言えない。

 

それでも、新型コロナの感染者は大幅に減らず、ロシアのスポーツにおけるドーピング問題はまだ闇が深そうだ。

 そのロシアによるウクライナに対する軍事行為は止まない。(停戦するのか?)

 

そして、昨夜の地震の報道。

 

メディア、報道は常に新しい“事実”(と思えるもの)を俺たちに見せてくれる。過去の事実の結末よりもそちらを重要視しているし、こちらもそれを受け入れている。

で、後から(…あの話題、どうなった?)などと思い出し、調べたりして、一人で納得したり、それを世間話のように他人に話したりする。

 

あるコラムニストが書いていた。

『情報とは“風”のようなものである。こちらに“流されて”くると気になってしまうが、遠くに流れていくと、もう気にしなくなる』

 

その通りだと思う。

“風化”とはよく言ったものだ。その瞬間は眼を見張って見つめるが、次の“話題”がくると、もう眼を向けなくなる。

大変な思いをしている人、苦しんでいる人、悲しんでいる人はいつまでもそこにいて、また新たに苦しむ人間が現れ、俺たちは(大丈夫かな?)とか(大変だ)(頑張れ!)“他人事”のように感想を吐いて、また次の話題に感想を差し向ける。

 

俺はそれは仕方ない事だと思う。

 

コロナは収まって欲しい。

若いアスリートにドーピングするのは止めて。

ロシアはウクライナを攻めんな。

 

それは俺1人ではどうにもならない。

やはり俺個人の“感想”を述べるだけ。現実は変わらない。変える力も俺には無い。

ただ漫然と“祈る”だけだ。

そして、また“風”(話題)を観るだけ。

 

『人はメディアに踊らされている』という人々がいる。それはその通りだと思う。今年の始めからの話題の流れと報道を見たらその通りだし、それはもう昔からで変わらない。

 

『ネットという“新しいメディア”は違う…』というよう主張をする人もいる。

そうかもしれないが、ネットもやはり“風”の一部ではないのか。詳細だったり、知られていない事実をあぶり出したりしてくれるが、やはり“話題”にならないと取り上げ続けないからだ。

 

ならば、俺たちが“考える”しかないだろ。

メディアは『話題を提供する』のではなく、『考えるのに必要な情報を提供するもの』でしかない、と俺は思う。

成否正誤、詳細結果、印象は、観ているこちら側が考えるしかない。それは間違ってしまうかもしれない。俺もしょっちゅう間違えてしまう。

そしたら、訂正修正だ。

 

判断を他人(メディア)に任せるな。

特に自分自身に関わる事は自分で決めてから“任せる”べきだ。それでも遅くないはずだ。

信じるのは、まず自分だろ。

気になる情報を得ようとするのも自分だ。