鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

4/4 不思議な駐車場の話(交渉)

俺がよく行くファミレス🍴🏠️の話。

 

そこには、月に5回はいくだろう。

食事だけの時とあれば、時間潰しや原稿書きなどもある。

そこの駐車場🅿️がおかしいのだ。

 

レストランのすぐ横に駐車場🅿️がある。

長方形の白線が敷かれ、車はそれに合わせて駐車する。

そのレストラン側の駐車スペースが、なんと、縦に二並びになっているのだ。

つまり、奥のスペースに駐車して、その前に別の車が停めると、もう“出れない”😱😱😱

奥のスペースには車止めがあり、さらに奥から車が出せる広さもない。

将棋の雪駄詰め”のようなのだ。

 

何故、こんなスペースの取り方、“枠”の“引き方”をしたのか?

もし、奥に停めて、前に違う車に停められたら、どうするのか。

食事後、まだ食べている途中の前方の車のお客を呼んで、車を移動されるのか?

 

何となくトラブルになりそうな気もする。

だが、そうでもしないと絶対に抜け出せない。

何故、いちいち揉めそうな事をするのか。

全国展開しているファミレス🍴🏠️で行っているのか?

 

…という事を以前、とある知り合いに言ってみた事がある。

二人で考えたが、結論は出ない。

 

結局、「やはり、いちいち“前の車のお客”に移動してもらうしかない」となった。

また、「奥に車がある時点で、その前に車を停めない可能性が高い」という、“人の配慮に期待する”思惑しか浮かばなかった。

 

本当に不思議だ。

もしそうなら混雑時には、相当面倒だ。

 

だが、別の知り合いの見解では、「そのファミレス🍴🏠️はそんな満員にならない」と「少しでもお客を入れたいのだから、そこはお客の“好意”にすがっているのでは?」と言われ、納得した。

というか、やはりそれしか考えられない。

 

そうとしか考えられず、それに苦痛や違和感を覚えた俺は、『極力、他人に関わりたくない』と思っているのか?、とその知り合いに指摘された。

 

そんな事、無いぞ?」とは言ったが、内心、そうした駐車並びに車の入出庫に嫌悪感があるのだから、やはりそうなのだろう。

 

俺は、他人とは全て“交渉”だと思っている。

後輩、年下、部下、同僚、友人、親戚、先輩、年上、上司、お客…。どんな立場の人とでも、結局は交渉しなければならない、と思っている。

交渉を拒否すると、社会ではとても生活しにくい。

交渉は非常に面倒だ。出来たら、自分の言った事が全面に通る環境が好ましい。

 

だが、誰もそうした環境など手には入らない。

 

『俺は手にしている!』と思うなら、そこはあなたの都合を優先してくれる“小さなグループ”に過ぎない。そして、そこに満足しているなら、ずっとそこにいるしかない。

小さな小さな“世界”を大事にしているしかない。

 

それは俺からしたら、情けなく、格好悪く、腰抜けだが、それで良い、と想うなら、そうしていたら良い。 

そういう“小さなグループで威張る奴”を俺は腐るほどみてきた。

そして、そうした奴らの最後は実に惨めだった。

俺自身がそうだった時もあったと思う。

 

今から考えたら、『何て小さな事で悩んでいたのか?』『何で俺はあんなに威張り散らしていたのか?』と恥ずかしくなる。

 

それは“交渉”を否定していたからだ。

他人と関わる事に臆病だったからだ。

他人は、どこまでも他人だ。自分に遠慮などしない。

混雑した駐車場で停めるスペースが無ければ、他人の車の前に停め、食事中に移動を促されたら、露骨に嫌な顔をする。

それが人間だ。当たり前の話だ。