俺がよく行くファミレス🍴🏠️の話。
そこには、月に5回はいくだろう。
食事だけの時とあれば、時間潰しや原稿書きなどもある。
そこの駐車場🅿️がおかしいのだ。
レストランのすぐ横に駐車場🅿️がある。
長方形の白線が敷かれ、車はそれに合わせて駐車する。
そのレストラン側の駐車スペースが、なんと、縦に二並びになっているのだ。
つまり、奥のスペースに駐車して、その前に別の車が停めると、もう“出れない”😱😱😱
奥のスペースには車止めがあり、さらに奥から車が出せる広さもない。
将棋の“雪駄詰め”のようなのだ。
何故、こんなスペースの取り方、“枠”の“引き方”をしたのか?
もし、奥に停めて、前に違う車に停められたら、どうするのか。
食事後、まだ食べている途中の前方の車のお客を呼んで、車を移動されるのか?
何となくトラブルになりそうな気もする。
だが、そうでもしないと絶対に抜け出せない。
何故、いちいち揉めそうな事をするのか。
全国展開しているファミレス🍴🏠️で行っているのか?
…という事を以前、とある知り合いに言ってみた事がある。
二人で考えたが、結論は出ない。
結局、「やはり、いちいち“前の車のお客”に移動してもらうしかない」となった。
また、「奥に車がある時点で、その前に車を停めない可能性が高い」という、“人の配慮に期待する”思惑しか浮かばなかった。
本当に不思議だ。
もしそうなら混雑時には、相当面倒だ。
だが、別の知り合いの見解では、「そのファミレス🍴🏠️はそんな満員にならない」と「少しでもお客を入れたいのだから、そこはお客の“好意”にすがっているのでは?」と言われ、納得した。
というか、やはりそれしか考えられない。
そうとしか考えられず、それに苦痛や違和感を覚えた俺は、『極力、他人に関わりたくない』と思っているのか?、とその知り合いに指摘された。
「そんな事、無いぞ?」とは言ったが、内心、そうした駐車並びに車の入出庫に嫌悪感があるのだから、やはりそうなのだろう。
俺は、他人とは全て“交渉”だと思っている。
後輩、年下、部下、同僚、友人、親戚、先輩、年上、上司、お客…。どんな立場の人とでも、結局は交渉しなければならない、と思っている。
交渉を拒否すると、社会ではとても生活しにくい。
交渉は非常に面倒だ。出来たら、自分の言った事が全面に通る環境が好ましい。
だが、誰もそうした環境など手には入らない。
『俺は手にしている!』と思うなら、そこはあなたの都合を優先してくれる“小さなグループ”に過ぎない。そして、そこに満足しているなら、ずっとそこにいるしかない。
小さな小さな“世界”を大事にしているしかない。
それは俺からしたら、情けなく、格好悪く、腰抜けだが、それで良い、と想うなら、そうしていたら良い。
そういう“小さなグループで威張る奴”を俺は腐るほどみてきた。
そして、そうした奴らの最後は実に惨めだった。
俺自身がそうだった時もあったと思う。
今から考えたら、『何て小さな事で悩んでいたのか?』『何で俺はあんなに威張り散らしていたのか?』と恥ずかしくなる。
それは“交渉”を否定していたからだ。
他人と関わる事に臆病だったからだ。
他人は、どこまでも他人だ。自分に遠慮などしない。
混雑した駐車場で停めるスペースが無ければ、他人の車の前に停め、食事中に移動を促されたら、露骨に嫌な顔をする。
それが人間だ。当たり前の話だ。