「ふざけんな」「おぞましい」旭川少女イジメ凍死 ついに「臨時保護者会」開催も怒号飛び交う90分に《教育委員会は「重大事態」認定》《生徒7人の行為をイジメと認定》(文春オンライン) https://news.yahoo.co.jp/articles/7d35137eb9bb6499f0c9a228690f8979d56bff6d
この事件は分けて考えないといけない気がする。
まず1つは、学校、教育関係者の対応や行動の緩慢さ、逃げる姿勢への糾弾、と責任逃れをさせない事。
これは学校関係者の辞職に値しないか?
『イジメ認定』までに時間がかかりすぎている。
まるで加害児童を庇っているようにさえ、思える。
何故、ここまでイジメに“関わらない”ようにする?
“イジメ”はどこにでもある。
学校だけでなく、職場、仲間内、社会…。いろんな場所でイジメがある。関わらたくなくても、見たくなくても、必ずある。(俺にも経験がある…)
避けがたい、と俺は思う。人が人の間で生きるかぎり、軋轢や差別、迫害、攻撃、行動は起こる。
逃げられないのだ。(これは被害少女にも言えるが…)
ならば、教師やその周りの人は早く対処すべきだった。逃げられないのなら、“挑め”ば良かったのに。
母親からの相談がその契機だったのでは?
それを逃し、対応を渋って、しかも当時の校長は他に異動?
これは必ず非難されるべき。イジメから逃げるべきは被害者。周囲はもっと取り組んで欲しかった。
…失われた命♥️は戻らない💧💧💧
もう1つは加害者ら。
コイツらは“人”か?
酷すぎる😭
きっちり罰を受けて、こんな事をしたことを悔いて欲しい。他人を何だと思ってやがる💢
…と、やはり思ってしまう🤔🤔🤔
イジメの内容はとても読めない事ばかり。こんな事を中学生の女の子にさせたのか。しかも、別の中学校の奴もいた…。(地元の不良グループ?)
一応、氏名などは伏せられているが、すぐに晒されてしまうだろう。
だが、それは仕方なく思えてしまう。記事を読んだだけの俺でも庇う気持ちが失せる内容だ。
『イジメはどこにでもある』と書いたが、どこにでもあるから考えなければならないし、参加したり、傍観する前に止めるべきだ。(止められる立場なら尚更)
(加害者らが)止めないのは、イジメという“楽な方”に傾いていったのだろう。
それがいかに重大な代償を払わなければならないか、知るべきだ。
この加害者らも未成年で、これからの人生があるのは理解できる。
ならば、もうこんな事をしないように罰っして欲しい。(社会的にはもう制裁される?)
ある評論家が「何故、いつも“イジメられる人間”が逃げたり、カウンセリングを受けるのか? “イジメている”人間こそ隔離したり、カウンセリングを受けるべきでは?」と言っていた。
つまり「彼ら(イジメる側)は“病んでいないか?”」という事だろう。
これはこうした未成年のイジメ事件の根本に関わる事だと思う。
イジメ“られる”側の訴えを理解するのと、イジメ“ている”側を更正させるのは、同じくらい大変だ。
何度も書いているが、「イジメはどこにでもある」ので、イジメ“ている”側”はまた繰り返す。必ずまたやるだろう。社会的な罰は受けてしかるべきだが、排除してはならない。
それを根本的に解消させるのは、イジメ“ている”人間を“保護”する必要がある。
非難し、晒し、社会から排除されたら、今度はもっと酷い事をしないだろうか?
それを“元”から“守る”べきでは?