鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学128 悪役(ヒール)論

 

新日本プロレスの“悪役”(ヒール)レスラー、グレートーOーカーンが人助け(酔っぱらいに絡まれていた女性を救出)したニュースがネットやワイドショーで流れ、『心優しき悪役レスラー』などという形で取り上げられた。


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だが、あまり驚かない。


このブログでも書いたが、彼は“悪役”(ヒール)であり、悪人ではない。

リングを降りたら、ただの岡倫之でしかない。しかも現役のプロレスラー。腕力には自信がある。目の前で危険にさらされた人間がいるなら、助ける可能性は高い。(腕力に自信がなくてもどうにかしよう、俺)


何度も書いているが、プロレスはショーである。

プロレスラーはあらかじめ決まっている勝敗に向かって、対戦相手と“協力”して試合を行い、観客を興奮させる。

プロレス側はその事をオープンにはしていないが、おそらくはそうだろう。


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その(興奮させる)為の“方法”として、悪役(ヒール)がある。

リングの上で、悪態を放ち、傍若無人な振る舞いや暴言を吐く。反則や反則すれすれの卑怯な方法で対戦相手(ベビーフェイス)を追い込む…。

その姿に我々観客は罵声やブーイングを浴びせ、復活した対戦相手の奮闘に喝采と声援を送る。そして興奮する…。 


これがプロレスのスタンダードな“一面”であり、昔からある“酒保”だ。

だから、ヒール(悪役)は悪人ではない。

“悪”を“演じている”に過ぎない。


…というような事を訳知り顔😏😏😏で書くと、「それくらい知っているよ💢」と怒られそうだが、では、悪役(ヒール)はどこまで“役”なのか?


かつて、フレッド・ブラッシーというレスラーがいた。

日本プロレスの父、力道山の好敵手だった悪役レスラーで、『吸血鬼』の異名を持っていた。


この『吸血鬼』のイメージを付けたのは、他ならぬ力道山本人である。


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アメリカにいたブラッシーは“CLASSY”(クラッシー=上品、“さすが”という皮肉でもある)という異名を持っていた。

対戦相手やその観客をマイクパフォーマンスで小馬鹿にしてコキ下ろすのだ。自身は“上流階級キャラ”を演じていた。

俺たちの知るティーブン・リーガル“ミリオンダラー”デイビスなどと似たキャラ設定か?


そのブラッシーが来日した際、英語の分からない日本人にマイクで捲し立ても意味がないので、力道山が付けたキャラが“吸血鬼”キャラだったのだ。

ブラッシーはこれを忠実に守った。

リング上で、その力道山の額に噛み付き、血だるまにさせてまで、吸血鬼キャラを演じた。(…確か心臓の悪い老人がテレビ観戦中に心臓マヒで死んだりした)


それは徹底していて、力道山の葬式(1964年)に来日した際、会場で流されていた本人と力道山の対戦VTRを見て、「俺はリキに負けた事がない! これは日本人が作った“フェイク”映像だ💢」とブチキレたらしい。


それを見て周囲の関係者は、「彼は“プロ”だ」「まさに悪役(ヒール)の鏡だ」と称賛した。


俺もそう思う。

もう力道山は亡くなっている。ブラッシーの“悪役”としての“契約”は履行が終わっているはずだ。

なのに、彼は力道山の前でも悪役(ヒール)であろうとした。

フレッド・ブラッシーはプロである。

名前の通り、プロフェッショナル・レスラーだ。

己の“役割”に忠実だ。

プロとして悪役をしている。リングを降りても、である。


A・ブッチャーアンドレ・ザ・ジャイアントもそうだった。

彼はリングを降りても、決して“素”を見せなかった。

『悪役(ヒール)は常に残虐非道で、傍若無人で、非道である』というイメージを保っていた。


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何故か?

それは彼らが悪役(ヒール)だからだ。


プロレスに違わず、社会には“悪役”が必要だ。

特にショーの世界には必ず必要だ。

アニメの悪役キャラ。

ドラマの敵役。

芸人などの“毒舌キャラ”や“クズキャラ”もそれに似た役割ではないか?


世の中に“悪役”が必要だ。

それは社会に“悪”がいないからだ。

犯罪を行う人間はいる。彼らは“悪”である。絶対とした悪であり、悪と認識できる行動、言動を行う。


だが、同時に我々は、彼らが“悪人”にならざるを得なかった理由を見てしまう。

社会として排斥され、社会の中で阻害され、社会の中で生きようとした結果、“悪人”になる。

その“悲劇”に、一定の理解をしてしまう。(たまに出来ない奴も出てくるが)


だから、“絶対悪”を社会上で見つけるのは難しい。他人は立場や地位に寄り発言したりするからだ。 

 

だから“悪役”(ヒール)が欲しくなる。

このグレートーOーカーンのように、『普段は善人』だが、リング(という社会)では“悪人”を“演じてくれる”人が欲しくなる。


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RIZIN】萩原京平、クレベルは「勝てる相手」と豪語する根拠 飢えていた地下格時代へ回帰(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース https://news.yahoo.co.jp/articles/35ce49b3a9402fcf3fdaa70088cb8a896f9b52a6

 

たまに格闘技やスポーツ界で大口を叩いたり、相手を言葉で威嚇したり、他人に文句を言う人がいる。


非常に面白い存在だと思う。


悪態を放ち、威嚇したり、他人を“口撃”する人間は嫌われる。

俺なら絶対にしたくない。

それをしてくれるのだ。

何の為?

それは、その対戦を煽る為である。


古くはモハメッド・アリの試合前の暴言などがそれである。

観る者の憎悪を掻き立て、リングに眼を向けさせる。その為である。

(ボクシングの亀田兄弟などもこのパターンか?)


だが、たまに“ヒヨる”人間がいる。

悪役に疲れたのか、元々そういう性格ではないのか、“悪役”を放棄する人間がいる。


それはプロとは言えないが、気持ちは理解できてしまう。

何故なら、俺を含め多くの観客が“ヒール”(悪役)などはしたくないからだ。


それを“悪役”はやってくれているのだ。

おかしな話だが、悪役が対戦前に暴言を吐いたり、相手をコキ下ろすのを、我々観客は“ありがたい”と思わないといけない。

そうすることで盛り上げているからだ。

我々の出来ない(成れない)悪人を“演じて”くれているのだ。


だから、だ。


悪役には悪役のままでいて欲しい。

ずっと罵声を浴びていて欲しい。

ブーイングも非難の声も“どこ吹く風”とすまし顔で無視して、俺達を煽っていて欲しい。


誰も暴言を吐きたくない。

傍若無人な振る舞いをしていて欲しい。

極悪非道なふりをしていて欲しい。

卑猥で不遜な言葉を吐き続けて欲しい。

非難され、叱責されても、平然として欲しい。


それが悪役(ヒール)だ。

俺に絶対に出来ない。だからそうであって欲しい。


WWF(現WWE)のジ・アンダーテイカ『墓堀人(怪奇)キャラ→アメリカン・バッドアス(不良中年)キャラ→墓堀人キャラ』とキャラ変遷したが、常に“悪役”だった。(去年遂に引退…💧)


彼もまたプロフェッショナルだ。

一貫して悪役を貫いた。

あれがプロだ。

 酷い事を言えば“本当の悪役の素顔”などに全く興味は無い。

他人を攻撃し、無遠慮に振る舞う悪役が観たいのだ。悪役こそ、観たくなる。


だから、辛くても止めるな。諦めるな。素を見せるな。挫けるな。プロなら貫き通せ。

“本当は優しい”とか“普段は普通の人”とか要らん。

悪(役)を貫き通せ。