上総広常はなぜ源頼朝に殺されなければならなかったのか(nippon.com) https://news.yahoo.co.jp/articles/59f8099a1ce1703c261b7bad45bb690b2964a46b
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、
上總介広常が源頼朝により誅殺された。
原因は、後家人らのクーデターてある。
このドラマでは、京都にいる木曽義仲を倒す準備を進めたい頼朝だが、関東の後家人らは『何故、源氏同士の争いに我々が手を貸さねば?💢』となり、頼朝を排斥しようとなった。
で、クーデターの頭目格である広常は、実は頼朝(と北条高時)と繋がっていて、その叛乱は鎮圧された。
しかし、その広常を頼朝は“裏切り”、“叛乱の首謀者”として切り捨てる。
上総介広常はこの時、鎌倉方(源氏)の中の最大兵力を有しており、それを誅殺するほかなり奇妙だ。内部崩壊を起こしかねない危険性がある。
そして、高時も納得がいかない様子。
広常は、クーデター鎮圧の功労者であり、最大兵数を擁する鎌倉方の“大口支援者”である。
策謀したのは、頼朝と“参謀”の大江広元。
史実では、上総介広常は謀反の罪で斬られている。
これはドラマとも通じる部分だが、関東武者らにとって、頼朝は“神輿”に過ぎない。
平家から権利を奪いたいので、源氏の頼朝を“立てて”いるだけである。
だが、それを頼朝は分かっている。
関東武者(後家人)は己など“神輿”に過ぎない、と理解している。
なので、内心は己を侮っている後家人らに“引き締め”として、広常を“騙し討ち”の誅殺を行った、…というのが、ドラマの筋だ。
これにより、後家人らは驚愕し、頼朝を畏怖するようになる。
また、これにより頼朝の妻、北条政子は『後家人と頼朝』の“繋ぎ”になろうと決意する。
頼朝が“神輿”だったのは事実だろう。
歴史は頼朝と関東後家人らを勝者にしている。
だが、それは当時(平安後期)に日本各地にいた下級貴族(武士)の“独立心”から、“旗頭”が欲しかったからであり、源氏の嫡流である頼朝はそれに“適合”しただけである。
なので、関東武者らは頼朝を“担い”でも、“従う”気持ちは少ない。
それを頼朝自身もよく分かっている。
だから、土地を分配し、後家人とし、“一所懸命”を促したのである。
上総介誅殺は、
まさに、関東の“地盤固め”であり、頼朝亡き後に起こる“内部闘争”(内輪揉め)と北条政子の“説法”(承久の乱)の“下地”となっている。
まさに“走狗、煮らる”という、どの権力下でも行われた悲劇がまもなく開幕するだろう。