人は、他人が自分の為に動いてくれるのが大好きだ。
自分は「正しく」「まとも」であるのだから、他人は自分の意図や意見に“従うべき”であり、そうでなくてはならない。
そう思っている馬鹿をこれまで何人も見てきた。
そして、俺自身もそんな人間だ。(自覚)
以前、飲み会🍻が大好きな友人がいた。
飲み会をすると、3日もしないうちに「なー、なー、またやろうや?」と誘ってきたりした。
俺も楽しかったので了承すると、俺に“開催”を“おねだり”する
つまり、自分では仲間を呼ばないし、開催しない。あくまでも自分は“誘われた”という形にしたがるのだ。
数日前の飲み会🍻が初対面のメンバーならまだ分かる。
だが、毎日のように顔を合わせている仲間らである。
「何で、お前が誘わないんだよ?💢」と俺がいうと、必ず「今、お前を誘っているだろ?」と言い返す。そして必ず「なー、お前からみんなを誘ってくれよ💦」となる。
で、俺はまた「…何でお前から…」となる。
毎回これだった。
何故、他人にさせたがるのか?
本人から仲間に一言、「また飲み会🍻しない?」と言えば、それで、話は進むはすだ。
何故、自分から動けない?
たかだか飲み会ぐらいに?
俺はいつもそんな怒り💢を抱えていた。
何故、他人にさせる。本人がしない。飲み会🍻をしたいのは、お前だろ?
俺はこういう人間の思考を考え続けていた。
で、俺の考えた結論は「人は他人が自身の思い通りに動いて欲しい、と思うから」となった。
自身が「どう? 酒でも飲まないか?🍻」などと言えば、言われた他人は「いいねぇ。じゃ、俺が仲間集めとくよ」などと、思った通りに話が進むのが、一番だ。そうであって欲しい、あるべきだ、と人は思うのだ。
だから、自分が「飲み会したい!」と言えば、周り(俺)などはすぐに“手を挙げる”のに。
絶対に自らは動かない。
情けない💧
腰抜け💧
どうして、出来ない?
だから、他人を“使おうとする”。
「飲み会🍻は楽しいんだから、ほら、やろうよ😃」というわけだ。
で、それは“みんなの為”とか言いながら、実は自分か“仲間を集められない”からだ。
愚かでプライドだけは高いは、そんな馬鹿の“お願い”に毎度毎度、辟易としていた。
その事で一度“詰めた”事がある。
すると、「みんな、俺が誘うと断るんだ。だなら、お前に頼んでいるんだよ」とほざく。
カチン💢と来た俺は、「ならば、『俺は人望が無く、仲間を集められない。だからお願いします』と言え!」と言ってやった事がある。
すると、それは相手のプライドを痛く傷付けたようで、かなり嫌な顔をされた。
俺は別に少しもおかしな話ではないと思っている。
俺自身もそこまで…というか、ほとんど人望は無い。
無いなら「無いから…」と正直に言えば良いだろ?
恥ずかしくない。
屁理屈をこねて、人に依存する方が恥ずかしい。
そいつはその程度の人間で、俺もその程度の人間である。
また悪酔いしそうだ。