鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学129 仕事論(シュート・マンになるな)

俺は社会に生きる人間には3つの性質があると思う。

 

技術、営業、運営

 

である。

『技術型』は高い能力を持って、それで働いて、自身の生活を支えている人

『営業型』は、仕事の能力は高くは無いが、人当たりや人柄で働いている、もしくはそれ自体を糧にしている人。

『運営型』は、上のような人らを束ね、組織として束ね、働いている人。

 

『技術』しかない人、はいる。

『営業』しかない人、もいる。

『技術』と『営業』が出来る、という人もいる。

『運営』『技術』『営業』の力が揃っている人も希にだがいる。

 

俺が、特に(…危ないな)と思うのは『技術しかない人』である。

高い技術を持ちながら、それを糧に働いてている人間である。

職人や技術者という人間だ。

『高い技術を持っているから、一生、仕事には困らないだろ?』と思われるが、それは違う。

 

『旨いラーメン屋🍜は潰れる』という話を知っているか?

 

近年のラーメン🍜の進化は凄い。

国民食”と言っていいほど日本中にあるし、競合他社が多い。

当然、旨さが問われ、ラーメンを作る技術が必要になる。

そうなると、ラーメン屋側は“旨いラーメン”を作る事に力を入れていく。

魚介、アゴ出し、豚骨…。

こだわりの味を求め、日夜研究に精を出す。

 

だから、自分の作った物(ラーメン🍜)に自信を持つ。

(こんなに努力したんだから…)(ここまで拘ったんだから…)(俺の技量からすると不味いわけがない…)

 

しかし、お客は旨いラーメンを食べながら、“それ以外”も評価する。

店の中。

外装。

店員の愛想。

ラーメンの味以外を評価してしまう。

(ラーメンが旨いから、また来よう☺️)とは単純にならない。

旨いラーメン作りに熱中すればするほど、『技術型』の人間は自信を持つ。

持つから『営業』がおろそかになる。もしくは『旨いラーメン🍜を作る』=『営業サービス』と勘違いする。

 

どんどん客足は減る。

減るが、『技術型』の人間は理由が分からない。

何故なら、肝心のラーメン🍜は旨いからだ。

 

これがラーメン🍜以外ならば、まだ救いがある。

しかし、多くの競合店があるラーメン屋はキツい。

 

…で、ラーメンは旨いのに潰れてしまう😱

 

『技術』しかない人間が陥りやすいのが、これだ。

 

俺は派遣の現場でよくこうした“技術はある”と誇る人間を見てきた。

「…俺も昔は◯◯で一番だったんだよなぁ」

「…これでも、◯◯◯って資格持ってるから」

「…前まで店、やっていたんだよ」

よくそんな事を“自慢話”として喋る奴がいる。

「そんな技術を持ちながら、何故に派遣なと?」と尋ねると、その多くは「状況が悪い」「他の奴が悪い」「社会が悪い」と言う。要するに『俺は高い技術を持っているが、それを世間が認めてくれない、使ってくれない』と言いたいのだ。

 

彼らの技術は確かに凄いのだろう。

だが、ラーメン屋の話のように“技術が高い”と“儲かる”は別の話だ。

 

技術が高い人間は非常に扱い辛い。

プライドが高く、他者と慣れ得ない、無愛想、自身に関わる人間としか話さない…。

そんな態度を取る人間が多かった。

それで、職場で嫌われたり、人間関係のトラブルを起こす。

 

さらに、仕事を外されたりする。

 

 

プロレスに“シュート・マン”という役割のレスラーがいる(いた)。

簡単にいうと“制裁役”である。

 

プロレスは“縦社会”で成り立っている。

興行の“核”になる“エース(スター✨)”がいて、それを中心に興行が組まれる。勝敗はあらかじめ決まっていて、レスラーは2人で(ないし複数人で)戦い、観客の興奮を引き出し、メインでエースが大活躍して、興行は終わる。それで次の興行のチケット🎟️が売れる事が大前提だ。

 

だが、たまにそれを無視する奴がいる。

勝敗が決まっているのに、『俺の方が強いから』とか『勝てる』と思って“台本”を無視するバカである。

そんな奴を懲らしめるのが、シュート・マンだ。

 

“台本”通りにしないレスラーに“制裁”を加える。

プロレスにかこつけて、ボロボロにするのである。

 

たまにプロレスで“シュート・マッチ”というのは、プロレスの“ルール”を破ったバカに対する制裁だ。制裁役だ。

 

また、時折道場にくる“道場破り”に「ならば、俺を倒してみろ」と挑ませ、ボロボロに倒す。用心棒だ。

 

それがシュート・マンの役割だ。

 

プロレスは真剣勝負ではない(…と思う)

だから秩序、序列、ルール、ランクがある。

それの遵守者がシュート・マンだ。

 

昔のプロレスでいうと、


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新日時代の藤原組長などがそれに当たる。

藤原喜明は“道場最強”で、真剣勝負ではまず負けない。

 

だが、藤原組長は新日時代、典型的な“前座レスラー”だった。

メインの試合に向けて、その前段階で観客を“暖める”存在だった。

決してメインやエースになれるレスラーではなかった。

 

何故か?

それはシュート・マンは“プロレス”が上手く無い、からである。

格闘技的な技量や体力に優れていても、観客を煽り、興奮させる“ムーブ”は出来ない。

逆に言えば、格闘技の実力や体力が無くても、“プロレス”が上手ければ、スターになれる。

 

以前は、それを“ジャーニー・マン”と呼んだ。

社会で『営業』が出来る人間がそれだ。

 

ちなみ、シュート(真剣勝負)もジャーニー(プロレス)も出来るレスラーを“フッカー”と呼ぶ。

そういうレスラーも希にいる。

 

真剣勝負の強いシュート・マンは悲しい😖

実力は高いが、プロレスラーとしたらそれほど“認められない”存在。団体内の存在感は薄いし、団体内の価値は低い…。

 

当然、「俺って、本当は強いんだよな」となる。

そんな事を愚痴たくなり、分からせたくなる。誇りたくなる。

 

プロレスに“本当の強さ”は要らない👋

どんな強くても、プロレスが“上手く”なければ意味がない。

だから、制裁&用心棒としか役に立たない。

 

で、団体に“良いように扱われて”しまう。

観客は集められないので、その強さだけを利用される。

で、使い捨てにされてしまう。

 

プロレス社会プロレス団体組織(会社)だとしたら、シュート・マン『技術』しか持たない社員だ。

(俺こそ最強)(俺が一番)と思いながら、その実は制裁&用心棒として“コキ使われ”、(俺は凄い)と思いながら、使い捨てにされる。

 

何故なら、プライドが高く、他者と慣れ得ない、無愛想で、自身を認めてくれる人間としか関わらないからだ。


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藤原喜明“組長”などと言われ、注目を集めるようになったのは、UWFに加わってからだ。

高い関節技のレスリング技術から“職人”的な扱いを取られ出した。人気レスラーの仲間入りをした。

そんなレスラーもいるが、それは“マレ”だ。そうなれるシュート・マンはほとんどいない。

“地味な前座レスラー”で終わるのがほとんどだろう。

 

『技術』しかなく、それを誇る、それに頼る人間の末路は悲しい。

決して“ジャーニー・マン(営業の上手い人)”より“上”には行けない。

何故なら“プロレスが下手だから”だ。

 

社会というリングで上手く生き抜くには、『営業』=プロレス、が上手くないとダメだ。『技術』=本当の実力、が高くても意味がない。

 

仕事とは、そういうものではないか?

 

ついつい俺達は技術の高さ(実力)を求めてしまう。

それが仕事を“上手く進めるポイント”で、“社会で勝てる”ポイントだ、と思う。

 

だが、実際は人当たりがよく、口先が上手い奴が出世したり、上司から誉められたり、評価される。

(…何だよ、あんな奴💢)と思い、(俺の方が実力があるのに…)なんて嫉妬して、結局そのまま“終わる”

 

“仕事が出来る”=実力がある、では無い。

プロレスと一緒だ。

真剣勝負が上手いレスラーは、良いように扱われてしまうだけ。

必ず“プロレス的な動き(ムーブ)”を身に付けないといけない。


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そして、『シュート・マンになってはならない』と思わないといけない。

 

「俺は、本当は実力がある」

「俺は、不当に扱われているが、本当は凄い」

「俺は、“ホンモノ”だ」

 

全て意味がない。

それは社会では、意味がない。

そのプライドの高さに漬け込まれ、“シュート・マン”をやらされて、“美味しいところ”は『営業』の上手い奴に持っていかれるだけだ。(『運営型』の人間はそれが巧みだったりする)

 

組織のシュート・マンになるな。

そして、技術を誇るな。

「本当は、実力がある」とは思えないはいけない。無意味だ。