俺は社会に生きる人間には3つの性質があると思う。
技術、営業、運営
である。
『技術型』は高い能力を持って、それで働いて、自身の生活を支えている人
『営業型』は、仕事の能力は高くは無いが、人当たりや人柄で働いている、もしくはそれ自体を糧にしている人。
『運営型』は、上のような人らを束ね、組織として束ね、働いている人。
『技術』しかない人、はいる。
『営業』しかない人、もいる。
『技術』と『営業』が出来る、という人もいる。
『運営』『技術』『営業』の力が揃っている人も希にだがいる。
俺が、特に(…危ないな)と思うのは『技術しかない人』である。
高い技術を持ちながら、それを糧に働いてている人間である。
職人や技術者という人間だ。
『高い技術を持っているから、一生、仕事には困らないだろ?』と思われるが、それは違う。
『旨いラーメン屋🍜は潰れる』という話を知っているか?
近年のラーメン🍜の進化は凄い。
“国民食”と言っていいほど日本中にあるし、競合他社が多い。
当然、旨さが問われ、ラーメンを作る技術が必要になる。
そうなると、ラーメン屋側は“旨いラーメン”を作る事に力を入れていく。
魚介、アゴ出し、豚骨…。
こだわりの味を求め、日夜研究に精を出す。
だから、自分の作った物(ラーメン🍜)に自信を持つ。
(こんなに努力したんだから…)(ここまで拘ったんだから…)(俺の技量からすると不味いわけがない…)
しかし、お客は旨いラーメンを食べながら、“それ以外”も評価する。
店の中。
外装。
店員の愛想。
ラーメンの味以外を評価してしまう。
(ラーメンが旨いから、また来よう☺️)とは単純にならない。
旨いラーメン作りに熱中すればするほど、『技術型』の人間は自信を持つ。
持つから『営業』がおろそかになる。もしくは『旨いラーメン🍜を作る』=『営業サービス』と勘違いする。
どんどん客足は減る。
減るが、『技術型』の人間は理由が分からない。
何故なら、肝心のラーメン🍜は旨いからだ。
これがラーメン🍜以外ならば、まだ救いがある。
しかし、多くの競合店があるラーメン屋はキツい。
…で、ラーメンは旨いのに潰れてしまう😱
『技術』しかない人間が陥りやすいのが、これだ。
俺は派遣の現場でよくこうした“技術はある”と誇る人間を見てきた。
「…俺も昔は◯◯で一番だったんだよなぁ」
「…これでも、◯◯◯って資格持ってるから」
「…前まで店、やっていたんだよ」
よくそんな事を“自慢話”として喋る奴がいる。
「そんな技術を持ちながら、何故に派遣なと?」と尋ねると、その多くは「状況が悪い」「他の奴が悪い」「社会が悪い」と言う。要するに『俺は高い技術を持っているが、それを世間が認めてくれない、使ってくれない』と言いたいのだ。
彼らの技術は確かに凄いのだろう。
だが、ラーメン屋の話のように“技術が高い”と“儲かる”は別の話だ。
技術が高い人間は非常に扱い辛い。
プライドが高く、他者と慣れ得ない、無愛想、自身に関わる人間としか話さない…。
そんな態度を取る人間が多かった。
それで、職場で嫌われたり、人間関係のトラブルを起こす。
さらに、仕事を外されたりする。
プロレスに“シュート・マン”という役割のレスラーがいる(いた)。
簡単にいうと“制裁役”である。
プロレスは“縦社会”で成り立っている。
興行の“核”になる“エース(スター✨)”がいて、それを中心に興行が組まれる。勝敗はあらかじめ決まっていて、レスラーは2人で(ないし複数人で)戦い、観客の興奮を引き出し、メインでエースが大活躍して、興行は終わる。それで次の興行のチケット🎟️が売れる事が大前提だ。
だが、たまにそれを無視する奴がいる。
勝敗が決まっているのに、『俺の方が強いから』とか『勝てる』と思って“台本”を無視するバカである。
そんな奴を懲らしめるのが、シュート・マンだ。
“台本”通りにしないレスラーに“制裁”を加える。
プロレスにかこつけて、ボロボロにするのである。
たまにプロレスで“シュート・マッチ”というのは、プロレスの“ルール”を破ったバカに対する制裁だ。制裁役だ。
また、時折道場にくる“道場破り”に「ならば、俺を倒してみろ」と挑ませ、ボロボロに倒す。用心棒だ。
それがシュート・マンの役割だ。
プロレスは真剣勝負ではない(…と思う)
だから秩序、序列、ルール、ランクがある。
それの遵守者がシュート・マンだ。
昔のプロレスでいうと、
新日時代の藤原組長などがそれに当たる。
藤原喜明は“道場最強”で、真剣勝負ではまず負けない。
だが、藤原組長は新日時代、典型的な“前座レスラー”だった。
メインの試合に向けて、その前段階で観客を“暖める”存在だった。
決してメインやエースになれるレスラーではなかった。
何故か?
それはシュート・マンは“プロレス”が上手く無い、からである。
格闘技的な技量や体力に優れていても、観客を煽り、興奮させる“ムーブ”は出来ない。
逆に言えば、格闘技の実力や体力が無くても、“プロレス”が上手ければ、スターになれる。
以前は、それを“ジャーニー・マン”と呼んだ。
社会で『営業』が出来る人間がそれだ。
ちなみ、シュート(真剣勝負)もジャーニー(プロレス)も出来るレスラーを“フッカー”と呼ぶ。
そういうレスラーも希にいる。
真剣勝負の強いシュート・マンは悲しい😖
実力は高いが、プロレスラーとしたらそれほど“認められない”存在。団体内の存在感は薄いし、団体内の価値は低い…。
当然、「俺って、本当は強いんだよな」となる。
そんな事を愚痴たくなり、分からせたくなる。誇りたくなる。
プロレスに“本当の強さ”は要らない👋
どんな強くても、プロレスが“上手く”なければ意味がない。
だから、制裁&用心棒としか役に立たない。
で、団体に“良いように扱われて”しまう。
観客は集められないので、その強さだけを利用される。
で、使い捨てにされてしまう。
プロレスを社会、プロレス団体を組織(会社)だとしたら、シュート・マンは『技術』しか持たない社員だ。
(俺こそ最強)(俺が一番)と思いながら、その実は制裁&用心棒として“コキ使われ”、(俺は凄い)と思いながら、使い捨てにされる。
何故なら、プライドが高く、他者と慣れ得ない、無愛想で、自身を認めてくれる人間としか関わらないからだ。
藤原喜明が“組長”などと言われ、注目を集めるようになったのは、UWFに加わってからだ。
高い関節技のレスリング技術から“職人”的な扱いを取られ出した。人気レスラーの仲間入りをした。
そんなレスラーもいるが、それは“マレ”だ。そうなれるシュート・マンはほとんどいない。
“地味な前座レスラー”で終わるのがほとんどだろう。
『技術』しかなく、それを誇る、それに頼る人間の末路は悲しい。
決して“ジャーニー・マン(営業の上手い人)”より“上”には行けない。
何故なら“プロレスが下手だから”だ。
社会というリングで上手く生き抜くには、『営業』=プロレス、が上手くないとダメだ。『技術』=本当の実力、が高くても意味がない。
仕事とは、そういうものではないか?
ついつい俺達は技術の高さ(実力)を求めてしまう。
それが仕事を“上手く進めるポイント”で、“社会で勝てる”ポイントだ、と思う。
だが、実際は人当たりがよく、口先が上手い奴が出世したり、上司から誉められたり、評価される。
(…何だよ、あんな奴💢)と思い、(俺の方が実力があるのに…)なんて嫉妬して、結局そのまま“終わる”
“仕事が出来る”=実力がある、では無い。
プロレスと一緒だ。
真剣勝負が上手いレスラーは、良いように扱われてしまうだけ。
必ず“プロレス的な動き(ムーブ)”を身に付けないといけない。
そして、『シュート・マンになってはならない』と思わないといけない。
「俺は、本当は実力がある」
「俺は、不当に扱われているが、本当は凄い」
「俺は、“ホンモノ”だ」
全て意味がない。
それは社会では、意味がない。
そのプライドの高さに漬け込まれ、“シュート・マン”をやらされて、“美味しいところ”は『営業』の上手い奴に持っていかれるだけだ。(『運営型』の人間はそれが巧みだったりする)
組織のシュート・マンになるな。
そして、技術を誇るな。
「本当は、実力がある」とは思えないはいけない。無意味だ。