辛い時、俺はいつも思い出す言葉がある。
「深谿に臨まざれば、地の厚きを知らず知らず」
という言葉だ。
これは宮城谷昌光氏の小説「奇貨居くべし」の中で主人公の呂不韋(マンガキングダムに出てきたね)が若い頃に思想家荀子に言われた言葉だ。
意味は「深い谷の底を見ないと、その谷の深さは分からない」である。この前にに「高山に登らざれば、天の高きを知らず」という言葉がある。
つまり、「実際に体感しないと、本質は理解できない」という事だろう。
この意味も俺は納得する。
何故なら、過去に病気して死にかけた俺は、実際にそうならないと、「生きる」や「命」を“体感”できなかったと思う。
それと俺は別の意味を感じた。
それは「地が厚い」という部分だ。
大きな山などを見て、「あそこ、地面が厚いなぁ」と思うか。
多くの人は「山が高い」だろ?
だが、俺は、「地が厚い」が少し分かる。
学生時代に“地形模型”を作った事がある。
地盤を高度により切り分け、山(の模型)を作っていく。
あれを作ると、「地が厚い」という意味が少し分かる(ような気がする)。
“山”は“地が高い”ではなく、確かに“地が厚い”なのだ。
俺にはそれが「窮地になったら、感じ方、見方を変えてみろ」という意味もあるような気がした。
窮地は本当にピンチか?
ヤバい状況は本当にヤバいのか?
それは見方を変えたら、違って見えたりしないか?
「チャンスはピンチの顔してやってくる」なんて言葉がある。都合の良い言葉だと思うが、そこには「捉え方を変えてみろ」という意味がないだろうか。
俺は思う。
世の中は常に「山が高い」が、同時に「地が厚い」。
窮地は別の捉え方が出来る。チャンスかどうかは自分次第だ(と思う)。
今、俺は非常に大変だ。あまり良い状況ではない。
だが、地はまた厚い。高いが別の角度から見たら、“厚い”。
窮地の際は捉え方を変えてみよう。
「気のせいだろ?」と突っ込まれそうだが、「山が高い!」と絶望するよりマシだ。
捉え方を変えてみよう。
「奇貨居べし」も「チャンスを逃すな!」という意味だ。何が起点になるか、分からない。
まずは自宅の掃除から?
独り暮らしだと荒れるね…。ペットボトルが山?