昨夜、奇妙な夢を見た。
何故か、大阪の旧友らと浜松の街中で出会い、酒を飲む事に。
馴染みの居酒屋に行くと、何故か、俺の幼なじみかいる。
合流し、みんなで宴会する事になる(そんな流れはあり得ないが…)
ご機嫌の俺は、とっておきの爆笑話(?)を疲労する。
すると、幼なじみらは愛想笑い。
大阪の友人らは、何とその場で寝出した。(何故か、布団がある?)
そこで目覚めた。
悪夢、と言っても良いだろ。
先日、一人ファミレスで“誕生パーティー”をした話を書いた。
(1人でも平気♪)みたいな態度をしながら、やはり寂しかったのか?
それはあるかもしれない。
俺は孤独だ。誕生日に祝ってくれる友人もいない。
たが、もう44歳だ。誕生パーティーもあるまい。
1人でも良いだろう。
そして、俺は孤独に強い。1人でも平気な部分がある。
コロナになって、三年。
仕事場以外で人と会話したのはいつか?
他人と酒を酌み交わしたのはいつか?
でも平気だ。大丈夫。俺は1人でも居られる。
だが、この夢を見て、(…違うな)と思った。
孤独に“強い”と“それで良い”は根本的に違う。
人は誰かに関わっていないと生きていけない生物だ。人間関係性ってやつを構築しないと、社会では生活できない。
会社や組織がそうだ。
いくら孤独に強かろうが、それには抗えない。
こんな俺も会社という組織に加わっているし、誕生日には人恋しくなっている。たぶん、俺の話を聞いて欲しかったのだろう。
夢の中で呆れられ(愛想笑い&寝)、俺はショックだった。
それはどこかで『自分に都合の良い友が欲しい』と思っていたのだろう。
だか、そんな人間はいない。
いないから『1人でも大丈夫』とスネた子供のような態度になり、『俺は孤独に強い』と思ったりする。
『孤独でも大丈夫』
孤独に強いというのは、悪いことはないと思う。
誰かに依存したり、すぐに他人に頼る人間は少し“危ない”気持ちがする。
“自身に都合の良い人間”は社会にはいない。己の話に爆笑してくれる友人などいない。
しかし、『孤独だから生きていける』とはならない。
何故なら、“強い”はずの俺は夢の中で出会った友人らと居酒屋に行っているからだ。
本心では(他人と関わりたい)のであろう。“都合の良く笑ってくれる”友人などいないことを理解しつつも、人と関わっていたいのだ。
何だか、悲しい。
実家に戻ると、よく母が「結婚、どうするの?」としつこく聞いてくる。
俺も結婚したくない事はない。状況が整ったらすぐにでもしたい。
そして、いつもの『俺は孤独に強い…』に落ち着く。
そうではないのだ。母が言いたいのは『アンタ、1人で生きていけると思ってんの?』なのだ。
人は孤独に強くても、1人では生きてはいけない。
独り暮らしを始め、俺はたまに孤独を感じる。それで大丈夫なのだが、大丈夫ではダメなんだ。
それが理解出来た。