鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

8/30 夏の夢と孤独

昨夜、奇妙な夢を見た。

 

何故か、大阪の旧友らと浜松の街中で出会い、酒を飲む事に。

馴染みの居酒屋に行くと、何故か、俺の幼なじみかいる。

合流し、みんなで宴会する事になる(そんな流れはあり得ないが…)

 

ご機嫌の俺は、とっておきの爆笑話(?)を疲労する。

すると、幼なじみらは愛想笑い。

大阪の友人らは、何とその場で寝出した。(何故か、布団がある?)

 

そこで目覚めた。

悪夢、と言っても良いだろ。


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先日、一人ファミレスで“誕生パーティー”をした話を書いた。

 

(1人でも平気♪)みたいな態度をしながら、やはり寂しかったのか?

 

それはあるかもしれない。

俺は孤独だ。誕生日に祝ってくれる友人もいない。

 

たが、もう44歳だ。誕生パーティーもあるまい。

1人でも良いだろう。

 

そして、俺は孤独に強い。1人でも平気な部分がある。

コロナになって、三年。

仕事場以外で人と会話したのはいつか?

他人と酒を酌み交わしたのはいつか?

 

でも平気だ。大丈夫。俺は1人でも居られる。

 

だが、この夢を見て、(…違うな)と思った。

 

孤独に“強い”と“それで良い”は根本的に違う。

人は誰かに関わっていないと生きていけない生物だ。人間関係性ってやつを構築しないと、社会では生活できない。

会社や組織がそうだ。

いくら孤独に強かろうが、それには抗えない。

こんな俺も会社という組織に加わっているし、誕生日には人恋しくなっている。たぶん、俺の話を聞いて欲しかったのだろう。

 

夢の中で呆れられ(愛想笑い&寝)、俺はショックだった。

それはどこかで『自分に都合の良い友が欲しい』と思っていたのだろう。

だか、そんな人間はいない。

いないから『1人でも大丈夫』スネた子供のような態度になり、『俺は孤独に強い』と思ったりする。

 

『孤独でも大丈夫』

孤独に強いというのは、悪いことはないと思う。

誰かに依存したり、すぐに他人に頼る人間は少し“危ない”気持ちがする。

“自身に都合の良い人間”は社会にはいない。己の話に爆笑してくれる友人などいない。

 

 

しかし、『孤独だから生きていける』とはならない。

何故なら、“強い”はずの俺は夢の中で出会った友人らと居酒屋に行っているからだ。

本心では(他人と関わりたい)のであろう。“都合の良く笑ってくれる”友人などいないことを理解しつつも、人と関わっていたいのだ。

 

何だか、悲しい。

実家に戻ると、よく母が「結婚、どうするの?」としつこく聞いてくる。

俺も結婚したくない事はない。状況が整ったらすぐにでもしたい。

そして、いつもの『俺は孤独に強い…』に落ち着く。

 

そうではないのだ。母が言いたいのは『アンタ、1人で生きていけると思ってんの?』なのだ。

 

人は孤独に強くても、1人では生きてはいけない。

 

独り暮らしを始め、俺はたまに孤独を感じる。それで大丈夫なのだが、大丈夫ではダメなんだ。

 

それが理解出来た。