とある雑誌編集長が言っていた。
「アントニオ猪木というプロレスラーの功績は
異種格闘技戦という“プロレス”で世間の目を強引にプロレスに向けさせたところにある」
猪木完至という男を見れば、非常にずる賢く、威圧的で、我田引水、表裏比興で失敗も多い。政治家としても?、目立ちたがりで、人望も薄い。
アントニオ猪木、というプロレスラーは不出世のレスラーで唯一無二、千両役者、最強のプロレスラーである。間違い無い。
猪木の凄さは、現役時代をほとんど知らない俺でも分かる。
観客、対戦相手を、自身の“ペース”にするのがとても上手い、いや“とてつもなく上手い”、天才だ。
引き込みが凄い。
観客、対戦相手を“猪木の世界”に引きずり込む。巻き込む(プライベートでも…)
よく“魔性のスリーパー(ホールド)”と言われるが、あの単純な技(裸締め=ネイキッドチョーク)をあれほど“魅せられる”プロレスラーが何人いるか。
猪木の“強さ”は“アントニオ猪木である”ことに他ならなかったのでは?
そして、猪木は異種格闘技戦でプロレスラー以外とも戦った。その多くは“プロレス”だったが、あのモハメド・アリとも戦った。
※アリもまた猪木に“引き込まれた”1人。
この異種格闘技戦は、勝敗やリアリティー、“ガチ論”など関係はない。
『プロレスラーが他の競技者と戦う』
その構図を見せるだけで、猪木はプロレスの地位を上げ、自身をトップにした。冒頭に書いた元編集長の『…世間の目を…』で、プロレスを“世界最強(の幻想)”として見させてくれた。
そんなプロレスラーは他にいない。
プロレスに“市民権”を得たのは、猪木の功績だ。
まさに、“絶対的な”存在だ。日本にプロレスがあるのは、力道山などの功績もあるが、猪木の“プロレス”があったからだ。
やはり、それは間違い無い。
俺は全日(本プロレス=G馬場)からプロレスにのめり込んだ。猪木の現役時代の話も後追いであり、“ダーティ”な事柄(アントン・ハイセル…)の事も知っている。
UWFの起因となった新日本のクーデター…。
議員落選後の現場介入…。
金への執着と放埒な使い方…。
いくら現役時代が凄くても、俺の見る猪木は“過去にしがみつく老人”もしくは『1、2、3、ダァー!』の人、『パチスロ🎰のキャラ』くらいでしかなかった。
だが、「何故、UWFは失敗したか?」「プロレスとは何か?」「何故、プロレスには“ブック”があるのか?」「異種格闘技とは何か?」をそれぞれ問えば、アントニオ猪木にたどり着いたり、触れたりする。プロレスには、どこかで“猪木”という“地表”に当たる。
以前、とあるスポーツ雑誌で猪木特集をしたとき、その題名は『アントニオ猪木の惑星』だった。
それは実によく日本のプロレスを表している。
“アントニオ猪木”は確かに“惑星🪐”だ。
この国のプロレス(と格闘技)はどこかでこの人に“当たる”。
「やれんのか、オイっ!」(飛龍革命)
そうなっている。
プロレス、MMA、UFC、K-1、RAIZIN、格闘技…。掘れば必ず“アントニオ猪木”という“地盤”が見えてくる。
過去の人だし、単なる人騒がせな老人👴だったのかもしれないが、日本マット界の中心はこの人だったし、アントニオ猪木の通った“道”を多くのレスラー、格闘家が通り、それを観客、アンチが見ていた。
猪木はプロレスであり、プロレスは猪木である。
※若い時は馬場はライバルではなく、良き先輩?
※最近の猪木…。
『過去は覆せない。だから否定してはいけない』と俺の好きな格闘家が言っていた。
だから、アントニオ猪木を否定してはならない。
俺は特に好きでもないし、ファンでもない。
しかし、プロレスファンであるなら“アントニオ猪木”という惑星🪐からは出られない。忘れたり、知らなくてと、そこに猪木は“いた”
アントニオ猪木は“惑星🪐”だ。“地表”だ。“道”だ。
我々(観客)はその惑星🪐から放たれる光✨を受け、照られた地表や道を見つけのみである。
この道を行けば、どうなるものか。
危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し。
踏み出せば、その一足が道となり、
その一足が道となる。
迷わず行けよ、行けばわかるさ。
(バカ野郎!)
合掌…。🙏