先月(9月)の事。
“コロナ”から立ち直り、実家に向かった時だ。(食料品を大量にもらった時…)
母親から「お父さんが畑で草刈りしているから手伝ってきて!」と言われ、実家から数メートル離れた畑に向かった。
コロナ感染で両親に迷惑を掛けたので、少しは役に立ちたかった。
父には実家を出る前に、「俺に手伝ってほしいことがあれば言えよ」と伝えてある。しかし、この日の草刈りを知らなかった。
それで畑に向かうと、父が草刈りをしていた。
…這いずり周りながら。
腰の悪い父は屈んで草を刈れず、ほとんど寝転がるように草を刈っていた。
今から思えば、この時から親父の調子は悪かったのか?
俺は、「親父! 何してんだよ💢」と怒鳴った。
父「何って、草刈りじゃねぇか?」
俺「…立てよ」
父「腰が痛ぇんだよ!」
俺「なら、先に俺に言えや! …言っただろ!」
父「そしたら、お前怒るだろ!?」
父親が寝転がるように草刈りをする経緯はこうだ。
畑の草が気になる。
↓
草刈りを息子(俺)に頼もうと思う。
↓
だが、忘れてしまう😨
↓
草刈り予定日がくる。
↓
直前に言うと息子(俺)は激怒💢する。
↓
で、仕方なく自力で草刈りをしようと思う。
↓
腰が痛くて立てなくなる。
…という事らしい。
これに俺の癇癪が爆発した。
「何故、事前に言わないんだよ!」
「早めに言えや。それなら手伝うっていうだろ!」
「何で忘れんだ!」
で、父親が逆キレ。
「うるせぇ💢」「しょうがねぇだろ!」「これしかないんだよ!」
頭に来た。畑で父親にドラゴンスリーパーをかけるところだった。(汗だく👕💦で止めた)
実家に父親を戻し、残りの草は刈り込み、俺は改めて父とケンカ💥になった。
…そして改めて考えてみる。
これって俺が悪くないか?
実家にいた頃、俺が休みの日、父は何かと“用事”を頼んできた。長男として出来るだけ俺がやるようにしていた。
だが、父はよく俺が出かけようとしたり、他の用事がある時に「おーい、ちょっと良いか?」と声をかけてくる。
その度に、俺は父親に怒った💢
「たがら、早めに言えよ。大変なら俺がやるからさー💢」
これがいけなかった(反省)
父は俺に草刈りの予定を告げるのを忘れ、当日に言うと、また俺がキレると思い言えず、泣く泣く自力でやり、腰を痛めたのだ。
これは俺のせいではないか?
すぐに怒る俺に父が遠慮したのが原因だな。
俺が父に怒らなければ、親父は1人で除草に向かわなかった。
当日に言われても、怒らずに対応していたら、親父は入院しなかった?
俺は激しく反省している…。
「小さな事で怒る人は、幸せになれない」といのはこの事からも、本当だと思う。
畑の草刈りぐらい30分ぐらい済む事だ。俺は怒らずにやれば良いだけ。怒鳴るのはからおかしくなる。
俺を“器の小さい俺”はすぐにキレる💢
だから、父親は俺に「草刈りしてくれよ」を言えなかったのだ。
これは俺の責任だ。
父を詰る(なじる)権利は無い。
…他責と自責。
俺達はついつい他責をしたくなる。
「俺は悪くないぞ!」
「アイツの責任だ!」
直接言えなくても、遠回しにそんなニュアンスを言いたがる。
なかなか「悪いのは俺自身」と言えない。
自責だけ、というもどうかとは思うが、他責だけする、というはかなり間違った話だ。
小さな事ですぐに怒る人(俺?)は、必ず他責をして、自身を責めない、責められない。甘い人間だ。
上の草刈りの話の通り、自分を責めきれないと不幸になる。他者と不和になる。
他責は、他責をする方は気分は良いが、“責任を押し付けられる方”、“責められる他人”はたまったものではない。
当然、揉める。
俺からすると、そこで揉めるのはアリとも思うのだが、そうした争いが必ずしも温和に収束するとは思えない。
他人を責める前に、我慢して、己れの行動を振り返ってみるべきだ。
…と冷静になると思うのだが、上の草刈りの時のように“寝転がる父”を見ると、カチン💢となる。
怒りは何も生まない。
怒りは、孤立を産むだけ。
怒りは、必ず最期は自己に向かう。
怒りは“麻薬”だ。
自分を守り、他人に怒りをぶちまけるのは“心地好い”ものだ。
そして不幸になる。
(続く)