鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

小さな怒り④ 感情の奴隷

『小さな事で怒る人は幸せになれない』

 

それは何故か。

それは根本的にその“怒り”💢が、“快楽”😃に近いからだと思う。

 

以前、とある小説で登場人物がヒドい目に合いながら、怒る💢主人公に「“感情の奴隷”にはならないで…」と懇願して諌めるシーンを読んだ事がある。

 

怒り💢はある意味、心地好い。

沸き上がるどす黒い感情を吐露し、それを憎い相手に投げつけるのは嬉しい事でもある。ストレス発散でもはないか?

 

“少しの事”でぶちキレやすい俺には、これにも少し理解出来る。

怒り、嘆き、己の“被害”を他人に主張するのは、どこか心地好さがある。

 

だから、してしまう。

怒り💢を他人にぶつける。(両親、友人…)

 

そうして“ぶつけられた方”(両親、友人)は心地好くはない。

頭に来る💢💢💢

 

なので、


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そこに争いが生まれてしまう。怒りは怒りしか呼ばない。

 

怒りやすい人間は、何かあれば怒る💢

怒り💢の感情が吹き出させやすい。

その吹き出す感情に心から従いたくなるのは、もの凄く分かる。

 

怒ると、他人から多少、遠慮する、萎縮する。

交渉してくるタイプ人間に対し、怒りの感情を見せると「この人は怒っている💢」と認識するから、対応・態度が変わる。

 

怒る人間はこれが分かる。

(…怒れば良い)と思ってしまう。

だから、人はまた感情(怒り🔥)に従う、また怒りの“奴隷”になる。

 

感情の奴隷になるな。

 

それはで書いた『立場を上げて、おねだりをしてくる腰抜け』と同じでは?

怒り💢という感情を放つ人間(俺も?)は、それを利用しているのだ。

 

これは、他人にコントロールされているのと似てないか。


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だから、改めて思う。

『小さな事で怒らない💦』

“小さな事”とは、“自分にとって”ではなく、世の中の多くの事に対してである。

 

怒りの感情の奴隷は、そうやりやすい。

その怒りに任せて、行動し、後悔する。(両親…)

 

 

実のところ、俺は怒り💢に対して肯定的だ。

ブラック企業、求人誌、某年金事務所、派遣会社、上司、同僚、貧しさ、恋人、友人…。 

 

それに対する怒り🔥は、俺の原動力になっていたりする。(“合”シリーズで紹介…)

 

怒りは“力”だ。

不安、不満だから怒り、だから前向きに行く事もある。


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そして同時に怒り💢には際限が無い。

どこまでも怒れてしまう。それこそ『小さな事』で怒るようになる。

他人を無用に攻撃し、関係を悪くさせ、不幸になる…。  

 

で、また怒る💢

すぐに怒る俺に、優しく“立場”を押し付けてくる腰抜けがいるからだ。

 

で、また怒る💢

『小さな事』で他人、家族を怒鳴る。

 

…と、ここまで冷静に考えてみたら、やはり怒る必要が無い。

これは無限地獄か?

 

感情の奴隷は同時に、“怒りの傀儡”であり、“終わり無い地獄”への道程だ。

 

その怒り任せの行動は、他人を不快にする。

後々にはマイナスになる(と思う)

誰かに、それを理由されたりする。(⑤で解説)

 

怒らない、それが俺の今の目標だ。

 

《続く…》