『小さな事で怒る人は幸せになれない』
それは何故か。
それは根本的にその“怒り”💢が、“快楽”😃に近いからだと思う。
以前、とある小説で登場人物がヒドい目に合いながら、怒る💢主人公に「“感情の奴隷”にはならないで…」と懇願して諌めるシーンを読んだ事がある。
怒り💢はある意味、心地好い。
沸き上がるどす黒い感情を吐露し、それを憎い相手に投げつけるのは嬉しい事でもある。ストレス発散でもはないか?
“少しの事”でぶちキレやすい俺には、これにも少し理解出来る。
怒り、嘆き、己の“被害”を他人に主張するのは、どこか心地好さがある。
だから、してしまう。
怒り💢を他人にぶつける。(両親、友人…)
そうして“ぶつけられた方”(両親、友人)は心地好くはない。
頭に来る💢💢💢
なので、
そこに争いが生まれてしまう。怒りは怒りしか呼ばない。
怒りやすい人間は、何かあれば怒る💢
怒り💢の感情が吹き出させやすい。
その吹き出す感情に心から従いたくなるのは、もの凄く分かる。
怒ると、他人から多少、遠慮する、萎縮する。
交渉してくるタイプ人間に対し、怒りの感情を見せると「この人は怒っている💢」と認識するから、対応・態度が変わる。
怒る人間はこれが分かる。
(…怒れば良い)と思ってしまう。
だから、人はまた感情(怒り🔥)に従う、また怒りの“奴隷”になる。
感情の奴隷になるな。
それは③で書いた『立場を上げて、おねだりをしてくる腰抜け』と同じでは?
怒り💢という感情を放つ人間(俺も?)は、それを利用しているのだ。
これは、他人にコントロールされているのと似てないか。
だから、改めて思う。
『小さな事で怒らない💦』
“小さな事”とは、“自分にとって”ではなく、世の中の多くの事に対してである。
怒りの感情の奴隷は、そうやりやすい。
その怒りに任せて、行動し、後悔する。(両親…)
実のところ、俺は怒り💢に対して肯定的だ。
ブラック企業、求人誌、某年金事務所、派遣会社、上司、同僚、貧しさ、恋人、友人…。
それに対する怒り🔥は、俺の原動力になっていたりする。(“合”シリーズで紹介…)
怒りは“力”だ。
不安、不満だから怒り、だから前向きに行く事もある。
そして同時に怒り💢には際限が無い。
どこまでも怒れてしまう。それこそ『小さな事』で怒るようになる。
他人を無用に攻撃し、関係を悪くさせ、不幸になる…。
で、また怒る💢
すぐに怒る俺に、優しく“立場”を押し付けてくる腰抜けがいるからだ。
で、また怒る💢
『小さな事』で他人、家族を怒鳴る。
…と、ここまで冷静に考えてみたら、やはり怒る必要が無い。
これは無限地獄か?
感情の奴隷は同時に、“怒りの傀儡”であり、“終わり無い地獄”への道程だ。
その怒り任せの行動は、他人を不快にする。
後々にはマイナスになる(と思う)
誰かに、それを理由されたりする。(⑤で解説)
怒らない、それが俺の今の目標だ。
《続く…》