大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、
様々な想いが交錯しながら、
“和田合戦”(和田義盛の乱)が始まった。
悪辣な北条義時は、鎌倉殿(三代目将軍源実朝)を“脅迫”し、和田への加勢を阻止。
相変わらず、ずる賢い。
そして権威主義。
政敵排除のパワーゲームを展開。
こんな奴だったか?
しかも、戦に嫌悪がある実朝を陣頭に出そうとする。
実朝自身も、義盛の説得に乗り出す。
説得できそうだが?
義時が目配せ。まさか…、
…やはり、義盛を撃つ。
…和田義盛、無念。
ここまでの忠臣が排除されるなんて…。
これが内部闘争。
“親しい人間”は残らず殲滅しないと収まらない。
…だが、これで三代目実朝は政治的意欲を失う。
これで京都の朝廷(後鳥羽上皇ら)と繋がろうとし、あの承久の乱に繋がる。
そして、実朝は…。
物語は“ラスト”に向かっていく。
実朝の“事件”から、遂に鎌倉最大の危機が訪れる。
しかし、
なぜここまで、“悪く”なれる?
仕方ない。
これが政治。
安寧の為。
そんな理由で“パワハラ”するのは現代でも同じ。
そして、壮大な“内輪揉め”を展開。
北条氏が得宗(執権)として政治権力を盤石にする過程がこれだ。(この後、三浦にも挑発する…)
『狡兎死して走狗烹らる』であり、人の思考は昔も今も変わらない。
“敵”が尽きると、人は“走狗”に“手を出そう”とするのだ。
邪魔者は、常に近場にいる者になる。
これで?
☠️2 三浦義澄 1200年病没(ただ一族は宝治年間に殲滅さる →宝治合戦)
☠️3 安達盛長 1200年病没(のち子孫が霜月騒動を起こす)
☠️4 比企能員 1203年一族ごと殲滅(比企の乱) 頼家の子の一幡も殺される。(比企の乱…仁田常忠、全成も殺される)
そして、源頼家が死ぬ☠️
畠山重忠が冤罪で討たれる☠️
☠️5 北条時政 1205年追放(1215年没)
☠️6 中原親能 1208年病没 三幡(娘)の死の時に既に離脱
☠️7 二階堂行政 没年不詳
☠️8 足立遠元 没年不詳
☠️9 和田義盛 1213年和田合戦で一族ごと殲滅
今回でここまで“居なくなった”…。
残るは…。
10 八田知家 1218年病没
11 三善康信 1221年病没
12 北条義時 1224年病没 ←最終回はここ?
13 大江広元 1225年6月病没
同1225年7月 北条政子没
残り4人…。(政子を入れたら5人)