鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学131 猪木の“環状線理論”と生き方への問い


f:id:ojpkb:20221211153107j:image


f:id:ojpkb:20221211153134j:image


サッカー⚽W杯カタール大会のネット記事で、『にわかサポーターが増えた💢』『にわかが騒ぐな!』というような話を読んだ。


その気持ちは少し分かる。

普段はサッカーの“サ”の字も気にしないのに、日本代表が活躍したり、メディアで取り上げだすと、“乗って”くる連中(にわか)には苛立ちを覚える。

(…ま、俺もそうだが…)


だが、こうした“にわか”な連中こそ“重要だ”と考えていた人間がいる。


先日、亡くなったアントニオ猪木である。


f:id:ojpkb:20221211153309j:image

猪木の『環状線理論』を知っているだろうか?


それはコアファン(ヘビーユーザー=熱心なプロレスファン)と、普段は興味がないのに話題になると飛び付く“にわかファン”(ライトユーザー=一見さん)へ考え方、取り組み方、見方や猪木の考えが現れていて、とても面白い。


昔、新日本がロシア(当時はソ連)のアマチュアレスラーたちをリングに上げ、“プロレスをさせよう”とした。サルマン・ハミシコフ(?)とかいたなぁ

 

この時、多くのフロント陣(社員とおそらく現場レスラー)が反対したという。

「社長、素人(ソ連のアマチュアレスラー)にプロレスは無理ですよー」というわけだ。


プロレスの“本質”を知る新日本内部、レスラーらは、猪木のこの提案を無謀に感じ、嫌悪感が走ったという。

(アマチュアレスリングと“プロレス”は全く違う


そこで猪木が説いたのが、環状線理論』だ。


…猪木がいうには、


「我々プロレスラーは、常々、東京の“大動脈”である環状線を“走って”いて、それを観て歓声を上げ、応援してくれているのが、“熱心なコアファン”である。


だが、こうしたファンは常に移り気でアテにならない。必ずしも新日本プロレスを応援するとは限らない。

プロレスは興行であり、常にいろんな人間を“引き付けなければ”成り立たない。コアファン以外を引き付けなくてはならない


環状線”だけを走っていても、ダメだ。

その“外”にいる、普段はプロレスなどを観ない“にわか”や“ライトユーザー”を取り込まなければならない。


だから“新しい事をやる”、“とにかく変化を見せる”、“新しい試みを常にする”事でそうした“にわか”を引き付け、取り込むしかない」


「いつも環状線ばかりを走っていてもダメだ。そこから伸びる、甲州街道や他の幹線路を走り、ヘビーユーザー以外を引き付けるしかない。新しい事を行い、ライトユーザーを巻き込むんだ」


…“新しい事”

それがソ連のアマチュアレスラーの参戦だった。


f:id:ojpkb:20221211153718j:image


猪木が示唆したのは、常に変化して、新しい事に進む。現状に満足したらダメ、という考えであり、スポーツなどの興行には重要と思われていたコアファン(ヘビーユーザー)に対し、否定的な見方をしているのが、面白い。 

代わりに、にわかファン(ライトユーザー)へのアピールを考えている。

 

アントニオ猪木というプロレスラーの人生を眺めると、常にこの発想がある、と思う。


f:id:ojpkb:20221211154931j:image

そこには先輩であり、“永遠のライバル”であるジャイアント馬場(と全日本プロレス)という存在があったからに他ならない。


馬場が海外レスラーの招聘ルートを独占した為、猪木は無名レスラーのタイガー・J・シンやスタン・ハンセンを新日本のリングに上げ、スターにし、国際プロレスストロング小林と“巌流島の対決”、さらに異種格闘技戦などを行い、世間の目👀を強引に引き付けた。


f:id:ojpkb:20221211155009j:image


その猪木からして、従来の“熱心なプロレスファン”(つまりヘビーユーザー)ジャイアント馬場の全日本を観るに決まっていた。

ジャイアント馬場の見せるプロレスこそ、力道山から続く日本プロレスであり、馬場こそ正統後継者で、言わば『王道』である。


そこに対抗するには、猪木の新日本は“それ以外”の観客を引き付けるしかない。


ヘビーユーザー(プロレスファン)は放っておき、ライトユーザー(にわかファン)を捕まえる。


これこそが、猪木が馬場の『王道』に対抗する術であった。


猪木はそう言いたかったのだろう。


この『ソ連マチュアレスラーの参戦』はそれなりに成果があったらしい。

常に変化と挑戦を求めた猪木には、従来のプロレスにいるファンは置いて、新しい“にわか”ファンへのアプローチを考え続けて、常に考えられないプロレスを提供した。

 

 

とすると、サッカー⚽W杯カタール大会の『にわかサポーターが増えた💢』という憤りは、その気持ちは分からないでもないが、怒るほどの話ではないのではないか。


そうした“にわか”=ライトユーザーこそ、そのジャンルが盛り上がる重要な役割であり、“にわか”が増えたら増えるだけ、興行は“興奮”(ヒート)する。興行は興奮(ヒート)する観客により、成り立っている。引き付けられ、興奮した観客が“居続ける”事が興行の成否に関わる。


f:id:ojpkb:20221211155752j:image

“にわか”という環状線の“外”に向かい、物事を広げていかない限り、拡大しない。


もしファンやそれに関わる人間で、それが分かったのなら、“にわか”を否定するのは『己の首を締める』行為に近い。


これはサッカーに限った話ではない。

それこそプロレスや格闘技もそうだろう。


f:id:ojpkb:20221211155948j:image


もしプロレスや格闘技のファン、もしくは競技者で、“とある興行”(RAIZIN?)が流行れば、にわかが増える。

そして「にわかが騒ぐな!💢」とか「にわかは観るな!」などと吠えたりしたら、どうなる?


それは“その興行”へのマイナスにしかならない。

その興行自体がやらなくなれば、困るのはファンであり、その興行に参加する競技者だ。

意味の無い行為だ。

  


また環状線”の外を見ない、つまり“王道”しか存在しない、あり得ない、というのもどうだろうか。


それは生き方の話だ。


環状線=メインストリート=スタンダード

環状線以外=抜け道=マイナー


…とするなら、誰しもが“環状線”にいたい。みんなに慕われ、知られ、まさに“王道”な生き方だ。


しかし、誰もがそんな生き方が可能ではない。

何かの弾みで、“環状線の外”に外れるかもしれない。

また猪木のように、“外される”(日プロ追放事件)事もあり得る。


そこでどうするのか?

もう一度、“環状線”に戻る?


そうでは無く、あえて“環状線の外”(抜け道)で生きる事を考えたり、そこに“訴えかける”方法を取るのも、またありである。


猪木の言葉を借りるなら「“環状線”(ヘビーユーザー)は移り気で、頼りにならない」のであり、“環状線”の“外”で“生き残る”方法を模索するしかないのではないか。(問う魂?)


猪木の環状線理論を俺なりに考察すると、こうなる。


たぶん、猪木自身は自宅の近くに環状線が走っていただけで、思い付いたのだろうが…。