「アイツにこの話、しておいて?」
「◯◯にいつ来るか、訊いておいてよ…」
何故、そんな安易な事を俺に頼むのか?
自分で出来ないのか?
他人に頼む必要性が感じられない頼み事、特に人間関係上の連絡などを頼んでくる人間が多くいた。
『コイツ、こんな事も出来ないのか?』
心の中で小馬鹿にしながら、俺はよくこの手のお願い事を受け入れた。
そんな俺を『使い勝手が良い』と見たのか、皆、よく俺に頼み事をした。
俺としては、『こんな事を何故、頼むのか?』と相手を小馬鹿にしていた俺だから、こういう頼み事を訊いているとストレスが溜まる。溜まるから次第に対応が雑になる。そのうちに俺から文句が出始める。『使い勝手良い』と思っていた相手からしたら、自分の言いなりにならない"フザけた"人間である。
なので、職場の人間関係が険悪になる…。
これが、俺の社会人生活でよくある人間関係トラブルだ。
よく考えてみたら、俺からしたら『何故、こんな簡単な事が出来ないのか?』という程の事なのだが、別の人間から見たら、かなり"難解な問題"だったりする。
『何で、あんな事が出来ない?』
『何で、そこまで疑う?』
『何で、そう思うの?』
『何で、あんなに怒るの?』
それは、自分がその人ではないからだ。
こちらからしたら、僅かな事は別の人間からしたら、大きな出来事であったりする。
あの"あおり運転"で暴行した宮崎とかいうバカもそうだろう。
あの映像(動画)を観た時、俺は(コイツ、一体、何をやられたのか?)と、人をぶん殴るほど怒るとは、『余程、頭に来るような事をされたに違いない』と思った。
しかし、話をよく聞いたら、被害者は単にインターの出口付近が混んでいたから、進路変更したらしい。そして、この宮崎の前に。
…よくある話ではないか?
しかも、車間距離は充分に怒っていたらしい。
そこまで怒る事か?
殴るまでの事か?
怒りに対し、被害があまりにも小さ過ぎる。
確かに運転をしていて、時折ムッとする運転をする人間はいる。
だが、俺はここまで怒らない。怒れない。
何で、ここまでキレる?
理解が出来ないのだ。
この怒りはたぶん、このバカにしか分からないのだろう。
こちらからしたら『こんな事で?』が、コイツからしたら『ここまでするか!』となるのだ。
分からない俺だが、俺には逆の事があった。
数年前、クライアントと揉めた事があった。
依頼された後、何故か連絡が取れなくなり、何度も電話しても不通。留守電にメッセージを入れても返事無し。
俺は仕方なく、そのクライアントの会社に電話した。
受付の女性が出た。
その受付に担当者と連絡取れない事を告げた。
その時の受付の女性の言い方が、
「そんな事、私に言われても…」という反応だった。
これに俺はカチンと来た。
「どうなってんだ、アンタのところの担当者は! 普通、返信くらいするだろうが!」
電話口で怒鳴り、相手の受付も「だから、私は分かりません!」と言い返し、少し口論になった。
実際のところ、俺は脳腫瘍の影響で言葉が不自由で滑舌も良くないから、怒りと合わせて、相手は相当に聞き取り憎かったに違いない。
だが、仕事の流れ上、その会社に再度電話を入れないといけない。
ぶちキレた反面、俺は電話しにくい。
同じ仕事をしていた同僚女性に、電話してくれるようにお願いした。
「鈴木君、何で電話しないの?」
俺は、理由を話した。
「あの受付の人、そんな事気にする人じゃないよ(笑)」
そう言うのだが、俺はやはり電話出来なかった。
同僚からしたら『それくらい何?』なのだが、俺からしたら『…連絡しにくいなぁ』なのだ。
まさに、俺が会社の人間に抱いた『何で、そんな事?』だ。
人間は他人からしたら、些細な事で驚き、笑い、憤る。
人の心の動きなど、他人には分からない。
怒りの"尺度"など人により変わる。
だから、分からない。
怒る。
突き上がる怒りは、他人には理解できない。
だから、あの宮崎みたいなバカな奴の心情が理解出来ない。
だが、俺も同僚女性から『何で?』と思われる怒りをしているのであるから、宮崎という奴と同様だ。
一つ違うのは、俺が怒りを我慢して手を出さなかっただけだ。
人は怒る。
その怒りに従い、行動してしまう。
何故、怒るのか?
他人に"伝わらない"可能性があるのに。
それは怒る事で、自分の意思表示が出来るからだ。
『俺はここまで怒っている💢』
『俺は許さない💢』
そういう"アピール"ではないか?
何故なら、怒りが他人には伝わらない可能性があると、自分も他人から怒られる事で分かっているからだ。
本気で怒っている。
誰かに怒りが伝わる事を信じて。そしてそれにより自分の意志通りに他人が動いてくれる事を期待している。
プロレスラーも怒る(キレる)。
やはり、本気でキレている。
プロレスラーのそれは、やはり"怒り"の効果を分かっている。
何故なら、プロレスの勝敗は決まっている。戦う前から分かっている。プロレスはショー👯♀️だ。だから、プロレスラーがリングでキレようが、泣こうが勝敗には意味がない。
ならば、プロレスラーは何故キレるのか?
レスラーの怒りの先には、観客がいる。
観客を興奮させる為にキレる。
プロレスがショー👯♀️であるのなら、レスラーはその為に戦う(正確には戦う演技をする)。
そうではないプロレスラーはプロではない。
ただ、沸き上がる怒りは本当だ。
その怒りに身を任せて怒る。
怒るによる効果を期待して、キレる💢
『キレちゃいないよ』は、本当にキレていないのだ。怒り💢を見せる事で、他人のリアクションを求める。
プロレスラーが見せる怒りは、怒る演技だ。
我々も怒るが、それは怒りに身を任せ、怒る事で周囲が自分に遠慮したり、思った通りに動いてくれる事を期待している。
何故なら、自分たちの怒りが100%伝わらない事を知っているからだ。
怒る人間からしたら、怒る理由などどうでも良いのだ。
怒る事は簡単だ。感情に従えばよい。
"感情の奴隷"というやつだ。
プロレス的な言い方をすれば、"信者"だ。
自分を信じたいから、自分の感情に従い、怒る。
それで良いのか?
怒る事、自分の感情の"信者"になって良いのだろうか?
自分で自分を騙していないか?
自分という"信者"は便利だ。
自分は他人を裏切らない。自分を守ってくれる。何でも肯定してくる。
信者は、自分の為に都合の良い存在だ。
今回は、"信者"について考えていきたい。