年明けだけど、ようやく去年の大河ドラマを最後まで見た(47&48)
遂に話は承久の乱へ。
鎌倉幕府は成立しているが、あくまで朝廷(京)が板東(関東)にある“認めた武家の出先機関”である。
そこに加わっているのが“御家人”であり、彼らの所属はあくまで朝廷(天皇)である。
源は帝の末裔であるだけで、その“当主”が“出先機関”(鎌倉幕府)の“トップ”(将軍)になっただけであり、その直系の血筋(頼朝の息子ら)が三代で止まったのみであり、他の源氏もある(摂津源氏など)ので、朝廷側(後鳥羽上皇)からすると、「関東にいる武力を有した厄介な連中」ぐらいの気持ちだろう。
だから、北条義時(小栗旬)など、朝廷側からみたら、“やたらと偉そうな軍人”でしかない。
当然、朝敵に認定される。
『板東の“出先機関”の奴ら(武士)が何故、日本の政治を動かす?💢』『北条よ、でしゃばるな💢』というのが、承久の乱の原因である。
まだこの時期(12世紀前半)、政治の中心は京都であり、武士はあくまで軍事担当の“軍人”でしかない。
鎌倉、室町、江戸の幕府はあくまで“軍事政権”でしかない。
そして、それが覆り出す契機が、この承久の乱である。
…ここら辺の武士の台頭は、以前のマツケン主演の大河ドラマ『平清盛』でもやったな。あの大河、視聴率は悪かったが、俺は好きだったな。『古来、武士は“帝の犬”だった…』というナレーションを覚えている。
当時から日本の隅々に住んでいた武士は、あくまで朝廷の“部下”(…それをいうと、源氏も北条も部下に過ぎないが…)なので、そこから指令(倫旨)が来たら悩む。
そこに、あの有名な政子(小池栄子)の演説。
「未来永劫、西(朝廷)の言いなりにはなるのか?」とは、まさに板東(関東)の独立を宣言し、武家政権(鎌倉幕府)の独立を宣言した。
過去の同時期を題材にした大河ドラマ『草燃える』と同じテイストだ。
三谷脚本はこう描くのかあ。
政子、カッコいいなあ。
この「言いなりにならない」はこの大河後半のテーマだった気がする。
ちなみにドラマ中、義時は『小四郎』と呼ばれているが、俺の読んだ小説では『五郎』と呼ばれていた。
この大河では五郎は義時の弟(異母弟)の時房(ときゅーさ?=瀬戸康史)だった。
(実際は小四郎が正しいようだが…)
その小説(タイムスリップ系)では、義時は地味で誠実な人物、幕府の運営者で姉、政子の代弁者として書かれ方をしていた。
史実の義時は、鎌倉幕府内での北条氏の権力を固定化させ、他の有力御家人を挑発した人物で、嫌われていたのは父で初代執権の時政(板東禰十郎)であり、義時は時政失脚後、幕府の運営を担った存在。
争ったのは和田義盛の“和田合戦”くらい。確かに他の御家人からは嫌われていたが、それは義時個人ではなく、鎌倉幕府の“主権”を掌握した北条氏自体に対してというのが正しいか?
この北条氏の権力は、時宗(8台目執権)くらいまでは強固さを維持する。
それとは別に、この大河で観たのは、“人間の変容”だ。47回の冒頭にもあったが、
以前はお人好しで、悩める青年だった義時が、
権力闘争の末に…、
横暴な権力者に変わっていくのを、リアルに描いている。
人は変わる。
俺は『人間には“元値”がある』という持論がある。
人は“根本的”は変わらない。
いつまでも“根底”にある気質は変わらない。
だが、それは立場で“変わったように見える”のだ。
根底は変わらない。
だが、人間関係や繋がり、立場で良くも悪くも“変容”したり“抑制”されたりする。
“急場”になれば、“元値”が出るが、他は“社会的な立場”が出る。
上皇から朝敵(追討令?)が出された義時は、1人京都に上り、成敗されようとした。
幕府の為に犠牲になろうとする。
彼の元値(基本)は、『他人の為に動いてしまう』性格なのだろう。(…とドラマでは描く)
だが、他人から見たら主権の“簒奪者”や冷酷な為政者なのだろう。
そういう風に変容した“ように見せる”のが社会だ。人間関係だ。世間だ。人間の“業”だ。
こうした脚本にした三谷幸喜さんはやはり凄い。
“古畑任三郎”や“マジックアワー”でも笑いの中に、“ドキッ”👀とした人の“業”を入れるのが抜群に上手い。
今回は後半から義時を“悪役”にさせて、人間の変容をリアルに見せている。そこが面白い。
『ラストが凄い』と座談会で出演者が語っていたが、どうなるのか?
すぐに最終回(48)を観よう。
この時点で、13人はもう三人。
11 三善康信 すっかりお爺ちゃん→1221年病没
12 北条義時 1224年病没
13 大江広元 1225年6月病没
同1225年7月 北条政子没
(政子を入れたら4人)
これに泰時(義時の長男=坂口健太郎)と時房が幕閣に入っている。