鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

鎌倉殿の“13人”とは?

 

で最終回。

 

承久の乱は、後鳥羽上皇尾上松也)が出陣を躊躇った為に敗戦。


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…となっているが、可哀想なのは、上皇から大将を任された藤原秀康である。


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史実では、秀康は近江付近で幕府軍を迎撃し、決戦しようと兵を集めたが、その参集が悪く、また朝廷もあまりその策に乗り気にならず、軍を小出しに送る『兵力の逐次投入』という一番悪い手をして敗れた。


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そして秀康は、最後は義時追討を発した上皇から見放され、“戦犯”扱いされて討たれてしまう、という可哀想な男である。

その上皇島流しになるが…。

義時は別の親王を帝に即位させ、これで朝廷側を制圧。

完全に武士の世になった。


俺の期待していた“無茶ぶり”シーンがなかったなあ…。  


俺の聞いた話では、


戦前、義時は姉の政子から「鎌倉幕府に歯向かう者は討ち取るべし!」「乱の首謀者(後鳥羽上皇)の首を取れ(打ち取れ)!」と言われ、その政子に対して「もし(後鳥羽)上皇様が先陣に出られてきたら?」と尋ねると、「恐れ多くも上皇様なれば、匿うべし」と、命ぜられている。 

 

…と聞いたことがある。


首謀者(=後鳥羽上皇)は殺せ。

後鳥羽上皇(=首謀者)は拘束せよ。


…と二律背反する命令を出され、義時は首謀者(上皇)の殺害を宣言する。


これが元来は“生真面目”な義時が大いに悩むシーンで、ドラマのハイライトになるかと思っていた…。

 

北条義時は、日本史史上、初めて明確に天皇上皇)の殺害を宣言した人物である。


平将門は“新皇”を名乗ったが、京の帝を討伐する行為は行っていない。ただ板東(関東)一円を京政権から離脱させたかっただけだ。


平清盛は時の天皇より権勢を張ったが、あくまで朝廷“内”であり、帝位の者に己の血縁者を入れ、権力基盤としたに過ぎない。


後醍醐帝に歯向かった足利尊氏は、あくまで「帝(南朝)の側の佞臣(悪い近臣)を取り除く」という名目で、天皇自体には逆らってはいない。 


西南戦争西郷隆盛は、「明治天皇に申し開きをし、“明治政府”を糺す(是正する)」として、これも天皇には歯向かってはいない。


他の朝廷への反乱者も同じだ。

基本、武士は朝廷(帝)を「倒す」と言えない。言えば義時のように朝敵になり、日本中から反逆者となるからだ。


…ま、実質は歯向かったのだが。(西郷は謎)


北条義時はそれで、明確に帝(天皇)の殺害を宣言したという。

これは当時では、考えられない話だ。何故なら、鎌倉幕府は朝廷の出先機関に過ぎず、その朝廷の許可で成り立った、という建前があるからだ。


この頃、武士の“上司”はまだ朝廷である。

本来なら、日本中の武士から首を狙われてもおかしくない。   


だが、朝廷側(後鳥羽上皇)につく武士は少なく、鎌倉幕府側が圧倒的に多数だった。

もう朝廷が日本の為政者ではなくなった瞬間だ。


これが本格的な“武士の世”(軍事政権)の始まりとなる。


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それが確定的になるのは、三代目執権の北条泰時(坂口健太郎)の頃に『御成敗式目』が定まってからだ。


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ちなみにこの泰時は短命で、このあと、やえ(伊賀の方)との子、政村が結局は執権になったりする。5代目だったかな?

 

 


この大河ドラマの後半は壮大な“内輪揉め”だ。

源頼朝が幕府を開くと、板東(関東)の武士らはその傘下に入り、亡くなると、一気に権力闘争になる。


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鎌倉幕府は、それまで地方にいて虐げられてきた地方貴族たる武士が日本の主権を握るための“希望”だったはずだ。

それが何故、ここまで揉める?

血を血で洗う権力闘争になるのか?


最後に実衣(義時の妹=架空キャラ?)が言っていた。


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「…人の上に立ちたかった」

 

この言葉に集約されている気がする。


つまり「誰の言いなりにもなりたくない」である。

日本中に住む武士(それ以外も…)が、自由に生きたい。困った時には“上”に頼るが、それ以外は自分らの勝手に生きたい。誰の言いなりにもなりたくない。

平氏にも、朝廷にも、源氏にも、幕府にも、そして北条にも…。


それが人の“元値”だ。

俺もそうだ。

誰にも指図を受けたくない。それが正解でも他人の命令など受けたくない。


ならば、『人の上に立つ』しかないのだ。


卑怯でも、強くても、弱くても、『言いなりになる』のを避けるには、他者を押し退け、制するしかない。

そうすることが、幕府、北条という自分に近い間柄の人間(敵対した者を含む)を“守る”事になる。


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このドラマの後半の義時の生き方はまさにこれだった。


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最後に、今まで義時を裏切りそうで裏切らなかった三浦義村()が“本心”(元値?)を吐露するのも良かった。

やはり人間は“元値”からは“逃れられない”のだ。


…義村の死後、三浦一族はやはり北条に潰されるのだが。

 

ちなみに『鎌倉殿の13人』とは…、

 

☠️1 梶原景時 1200年駿河で一族ごと殲滅 

☠️2 三浦義澄 1200年病没(ただ一族は宝治年間に殲滅さる →宝治合戦

☠️3 安達盛長 1200年病没(のち子孫が霜月騒動を起こす) 

☠️4 比企能員 1203年一族ごと殲滅(比企の乱) 頼家の子の一幡も殺される。(比企の乱…仁田常忠、全成も殺される)

 そして、源頼家が死ぬ☠️

 畠山重忠が冤罪で討たれる☠️

☠️5 北条時政 1205年追放(1215年没) 

☠️6 中原親能 1208年病没 三幡(娘)の死の時に既に離脱

☠️7 二階堂行政 没年不詳 ←ドラマでは生きてやがる

☠️8 足立遠元 没年不詳←?

☠️9 和田義盛 1213年和田合戦で一族ごと殲滅 

☠️10 八田知家 1218年病没 

 

11 三善康信 1221年病没 

12 北条義時 1224年病没 

13 大江広元 1225年6月病没

  同1225年7月 北条政子

 

メンバー(合議制)では無く、北条政権の為に散った、

 

梶原景時

阿野全成(頼朝の異母弟)

比企能員

仁田

源頼家(二代将軍)

畠山重忠

稲毛

平賀

和田義盛

源仲章

源実朝(三代目将軍)

公暁(頼家の子)

阿野時元(全成の子)

 

彼らの事らしい。

これがタイトルの“伏線回収”か?


そんな義時の最期は?


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薬を姉から飲ませて貰えず亡くなる、という壮絶な死に方だった。

権力者義時(このドラマで…)らしい最期。


溢された薬に向かい這う義時の姿が印象的だった。


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何かにすがろうとした義時らしい。


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それを見つめる、何とも言えない姉の政子の顔も良かったなぁ。

 

 



次は家康だ。

これは選択の物語だ。地元(浜松)も盛り上がる?


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