鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

2023 2/6 燃え尽きたい人たち 54歳の元修斗王者・大石真丈

「練習で高校生にボコられることも」「ロシアで酷い目に…」54歳の元修斗王者・大石真丈が、それでも総合格闘技を“やめられない”ワケ(Number Web) https://news.yahoo.co.jp/articles/0e65a439f6c301b1113d9b470a15e5a0cfca722d

 

先日、サッカーの三浦知良(カズ)への批判的な記事をこのブログで書いた。


f:id:ojpkb:20230206162247j:image

 

なら、上の記事の格闘家(大石)はどうなのか?

 

名前だけ聞いた事がある。

と言っても、所英男と戦っていた記憶(所の負け?)がある。ZSTだった?

 

とっくに辞めていたと思っていたら、まだ(…54!)でまだ現役!?(カズの一つ下…)

修斗フェザー級元王者だが、知っている人がどれだけいるのか?(俺は元王者とは知らなかった)

今は練習で高校生にボロ負けするらしい。

でも、カズのようにまだ現役。

 

これからも続けるらしい。“ミスター珍”か?(知っているのな?)

 

彼(大石)は、『なんで、その歳(54)で総合格闘技しているのですか?』という問いかけに、

 

「練習していると、人に教えるよりも自分が試合をしたくなるんですよ。だからたぶん、指導者にはなれないですね。それに、随分前から会社員としても働いています。格闘技に理解のある会社なので、試合に合わせて休みも取れますし、社会保障も充実していますね」

 

これを読んで、この方も周りからほ、“忖度されたいベテラン”だと思った。


f:id:ojpkb:20230206162746j:image

客寄せパンダ🐼でも良い、というカズと同じか?

 

しかし、

 

「2戦目に負けた後に勤めていた会社をやめて、途中で格闘技までやめたらただのアホだと思った、って話したじゃないですか。そういう意味で、自分の中ではまだ“途中”なんです。納得したらやめますよ。心からやり切ったと思えたら…」

 

「心からやりきったと思えたら…」

この思いを、俺は小馬鹿に出きるか?


f:id:ojpkb:20230206162311j:image

 

カズとこの格闘家は、俺の中でどう違うのか?

 

それは“燃え尽きていない”感や、本人も言った「やりきった」感だと思う。

「これで格闘技まで辞めたら、ただのアホだなって…」

この思いは何となく分かる。

 

俺には、2人の違いが、この“やりきった感”の有無に思えている。

 

カズの方は、とっくに“やりきって”いて、それを承知で、まだ現役にこだわっている感じがするのだ。

つまり、“レジェンド”感に浸っていて、それを“利用”(失礼)して周囲から“忖度”されたがっているように見えてしまう。

それを「俺はただサッカーが好きなだけさ😃」と誤魔化しているように思える。

 

一方、この“格闘技仙人”(本当にそんな風貌)大石は、「…まだ俺は何も成し遂げていない。だから、まだやる。“出きる”と思えるから現役を続けるんだ」「俺は“燃え尽きていない”」「まだ納得できていない…」と思っている、と俺には見えてしまう。

 

もちろん、それは2人とも“俺の印象”(ひろゆき?)でしかない。

カズもまだ“燃え尽きていない”のであり、大石の方がとうに燃え尽きていて、“惰性”で戦っているのが真実こもしれない。

 

また集団競技(サッカー)と個人競技(MMA)という違いもある。

 

だが、俺は大石の『心からやりきった…』という言葉が響いた。

 

俺は何かを“成し遂げた”か?

何もしてないだろ?

燃え尽きていないだろ?

 

「ダサい」と書いた三浦知良は、俺が子供の頃から、“成し遂げ”続けているように見えたが、本人はまだ“燃え尽きていない”のかもしれない。

 

人生に結果はどうあれ、『燃え尽きた!🔥』と思える瞬間を得たら、それは幸福ではないか?

それは自己満足でも、傍目から見たら失敗でも、それこそ“開き直り”でも良い。

 

あるスポーツライターが書いていた

「“いつか、いつか”と思っている人間に“いつか”は永遠に来ない。」

 

俺の“いつか”はどこにある?

まず、その“地点”(いつか)まで行けるのか、が重要だ。

苦悩、嘲笑、焦り、叱責、歓喜…。

それは時に“他人の印象”でしかない。

カズに対し、「いつまで現役に浸っているんだよ。アンタは“終わって”んだ!」と言って、「でも、俺はサッカー好きだから…」と言われても、カズの“いつか”は変わらない。あるのは“やるか、やめるか”、“現役か、引退か”の選択でしかない。

 

大石の“いつか”も同じだ。

彼はカズほど有名ではない。いつもどこかに『引退したら?』と問いが見えている。

それに抗うのもまた本人自身でしかない。

 

『55才で海外移籍?』→凄いなぁ😃

『54才でまだ現役総格闘家?』→そんな人いるんだ?

 

それが全てだ。

俺も前に書いたが、『他人からの評価は聞くに値しない』だ。

嫌なら辞めたら良い。無理なら諦めたら良い。…そして燃え尽きていないなら、燃え尽きたら良い。

 

この二人の話を比べて、俺は心から思ってきた。

『俺は“燃え尽きたい!”』だ。

他人からの評価など、まずは“二の次”だ。

家族、お金、将来はとても重要。だが、何かを“やりきった”のならまずはそれが“第一”だろ?

“やりがい”では無い。絶対にそれでは無い。(断言)

興味や趣向でも、感情でもない(…少しあるかな?)

 

“燃え尽きたい”のだ。