何度か書いたが、この頃(05~06年)、俺はアルバイト、派遣を掛け持ちしながら、再就職活動をしていた。
大卒直後に入った会社は、そこそこのブラック企業で俺は心身ともにボロボロになった。
そんな経験もあり、2度目の就職活動には慎重になっていた。
…この後、解雇されたり、病気になったり、“腰掛け”と思っていた派遣をメインに働くとは思ってもいなかったが。
俺の希望は、“安定”、“楽”、“自由”であった。
高給でなくて良い。安定していて、“楽々できて”、何より俺の“自由が許される”仕事に就きたかった。
虫の良い話だが、ブラック企業で休み無く働かされ、厳しいノルマを課され、上司には都合良く使われていた俺には、もう“誰かの意図の中で働きたくなかった”。
ま、今から思うと“仕方ない”とは思うが、そんな“職場”など世の中には存在しない。(…と分かるのは、まだ先)
そんな事など気付かないで俺は、ハローワークや求人誌で新しい仕事を探していた。
アルバイト先や、派遣先(工場&スーパー)にはまったく魅力を感じなかった…。
だから、これは『今から思うと…』という“反省と考察”である。
この時点の前も後にも、俺は『仕方ないよ…』とか『しゃーないな』だとか、『これ以外の方法が無いな』と言う人間によく出会ってきた。 それしかない、と決めつけてくる奴らだ。
『仕方ない』…という言葉。
『only away a know』(他にはないか=これしかないな)
この言葉は正しいのか。 と、今の俺は心から疑問を覚える。
世の中には、確かに『仕方ない』とか『他にはやり方が無い』という選択がある。
つまり、『やるしかない』というやつだ。
この時(05~06)の俺が再就職活動していたのも、『働く』という選択しかなかったからだ。
会社を解雇された時もそうだ。“辞める”という選択しかなかった…。
脳腫瘍を患った時は、手術する“しか選択肢”はなかった。
ただ、『これ以外の方法が無い』という“決めつけ”はは怪しい。
発想として、おかしくないか?
そこに行き着く前に、他の方法を考慮しなかったのか?
『“A”案が駄目なら、“B”案をすれば?』という発想が出ないものか?
このクエスチョン(“他に方法はないか?”)になると、皆、必ず『“A”案を行うか、否か?』と“ゼロイチ”考えたり、それを迫ってくる。
何故だろうか。
その成否(ゼロイチ)を考える前に、発想として“別の方法”を思い付こうとしないのか?
「…仕方ない」とか「もう他には無い…」と自分を追い込むのか。他の選択肢を“削る”のか。
いや、選択肢を持とうとする事を嫌がる?
選ぼうとしない、させないのは、なぜだ?(そう問うと必ず否定したりする…)
俺はこれをよく「腰抜け」とか「臆病者」と心の中で罵る。選ぶ勇気がないのだ。
そして、『選ばない』『選べない』という人生は、悲しい。
それ(ゼロイチ)を強調してくる人間は、どこか“間違っている”と思う。
それは色々あった今(2023年、44歳)でも変わらない。
「仕方ねぇじゃねーか!」
「他にやり方ないんだよ💢」
「○○しかないだろ!」
「他に良い方法が思い付かない…」
こういう思考の人間や、自身が至ると、俺は基本(ダメだな…)と思うことにしている。
人間は自由だ。
方法も思考も自由だ。
「仕方ない」で“止まっている”人間や俺は、“そこまで”でしかない。先がない。
「…だから、他のやり方を考えてみろ」というのでは無い。
「仕方ない」なら、それを丸ごと辞めたら良い。『辞められない』なら『辞める理由』を探せ。
『仕方ない』と思考に陥っている事が、間違っている。
ひょっとしたら、“誰かの意図に囚われている”のかもしれない。
「それは仕方ないよね? だから、○○した方がよくないか?」と誘導する“詐欺師”を山ほど見てきたなぁ。
この頃(05~06年)、俺は迷い、苛立っていた。
俺の“思う仕事”がなかったからだ。(当たり前か?)
それはまた『○○しかない!』という自分の思い込みだ。
そんなもの、後からいくらでも変わるし、変えても良いのだ。
「…“企業”が無理なら、妥協するか?」などと思っていた。
自分の想いを叶える地元客会社が必ずある、と思っていた。(あるわけないよ)
そして、バイトと日雇いに勤しんでいた。今から思えば、それはそれで楽しかったのかもしれないが、安心感はなかった。
今(2023年2月)のような不安しかなかった。
思わず、(仕方ないよね?)と胸中で自分を慰めていたのかもしれない。
この頃していた日雇いは、その『仕方ない』の固まりのような職場だった。(工場とスーパー)
コキ使われても、それは「己の選んだ仕事(日雇いだが…)だ。『仕方ない』のである。
いきなり契約を変更されても、やはり『仕方ない』のだ。
安いのも、交通費が出ないのも、派遣先の社員がうるさいのも、全て『仕方ない』
『仕方ない』という状況(だったのか)なのか、ということではなく、そういう思考に至っていたのは、やはりダメだ。
方法は他にもあったし、別に「仕方なくない」と思っていたら良かった。
バイトでも、日雇いでも“もっとわがままに暴れて”、居場所を失くしてしまえば良かった。
それなら“他の仕方”を探していただろう。
人生には選択肢が無数にある。
俺はそれが分かっていなく、「仕方ない」と選択を狭めていたのかもしれない。
そんな中、俺は“あの”求人誌編集の案件を目にする…。