鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

派遣録④ “仕方ない”人生と選択肢


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何度か書いたが、この頃(05~06年)、俺はアルバイト、派遣を掛け持ちしながら、再就職活動をしていた。

大卒直後に入った会社は、そこそこのブラック企業で俺は心身ともにボロボロになった。


そんな経験もあり、2度目の就職活動には慎重になっていた。


…この後、解雇されたり、病気になったり、“腰掛け”と思っていた派遣をメインに働くとは思ってもいなかったが。


俺の希望は、“安定”、“楽”、“自由”であった。

高給でなくて良い。安定していて、“楽々できて”、何より俺の“自由が許される”仕事に就きたかった。

虫の良い話だが、ブラック企業で休み無く働かされ、厳しいノルマを課され、上司には都合良く使われていた俺には、もう“誰かの意図の中で働きたくなかった”。


ま、今から思うと“仕方ない”とは思うが、そんな“職場”など世の中には存在しない。(…と分かるのは、まだ先)


そんな事など気付かないで俺は、ハローワークや求人誌で新しい仕事を探していた。

アルバイト先や、派遣先(工場&スーパー)にはまったく魅力を感じなかった…。

 

 

 

だから、これは『今から思うと…』という“反省と考察”である。

 


この時点の前も後にも、俺は『仕方ないよ…』とか『しゃーないな』だとか、『これ以外の方法が無いな』と言う人間によく出会ってきた。 それしかない、と決めつけてくる奴らだ。


『仕方ない』…という言葉。

『only away a know』(他にはないか=これしかないな)

 

この言葉は正しいのか。 と、今の俺は心から疑問を覚える。


世の中には、確かに『仕方ない』とか『他にはやり方が無い』という選択がある。

つまり、『やるしかない』というやつだ。

 

この時(05~06)の俺が再就職活動していたのも、『働く』という選択しかなかったからだ。


会社を解雇された時もそうだ。“辞める”という選択しかなかった…。


脳腫瘍を患った時は、手術する“しか選択肢”はなかった。


ただ、『これ以外の方法が無い』という“決めつけ”はは怪しい。

発想として、おかしくないか?

そこに行き着く前に、他の方法を考慮しなかったのか?

『“A”案が駄目なら、“B”案をすれば?』という発想が出ないものか?


このクエスチョン(“他に方法はないか?”)になると、皆、必ず『“A”案を行うか、否か?』“ゼロイチ”考えたり、それを迫ってくる。


何故だろうか。

その成否(ゼロイチ)を考える前に、発想として“別の方法”を思い付こうとしないのか?

「…仕方ない」とか「もう他には無い…」と自分を追い込むのか。他の選択肢を“削る”のか。

いや、選択肢を持とうとする事を嫌がる?

選ぼうとしない、させないのは、なぜだ?(そう問うと必ず否定したりする…)


俺はこれをよく「腰抜け」とか「臆病者」と心の中で罵る。選ぶ勇気がないのだ。

そして、『選ばない』『選べない』という人生は、悲しい。

それ(ゼロイチ)を強調してくる人間は、どこか“間違っている”と思う。

 

それは色々あった今(2023年、44歳)でも変わらない。


「仕方ねぇじゃねーか!」

「他にやり方ないんだよ💢」

「○○しかないだろ!」

「他に良い方法が思い付かない…」


こういう思考の人間や、自身が至ると、俺は基本(ダメだな…)と思うことにしている。


人間は自由だ。

方法も思考も自由だ。


「仕方ない」で“止まっている”人間や俺は、“そこまで”でしかない。先がない。

「…だから、他のやり方を考えてみろ」というのでは無い。

「仕方ない」なら、それを丸ごと辞めたら良い。『辞められない』なら『辞める理由』を探せ。

『仕方ない』と思考に陥っている事が、間違っている。


ひょっとしたら、“誰かの意図に囚われている”のかもしれない。

「それは仕方ないよね? だから、○○した方がよくないか?」と誘導する“詐欺師”を山ほど見てきたなぁ。


この頃(05~06年)、俺は迷い、苛立っていた。

俺の“思う仕事”がなかったからだ。(当たり前か?)

それはまた『○○しかない!』という自分の思い込みだ。

そんなもの、後からいくらでも変わるし、変えても良いのだ。


「…“企業”が無理なら、妥協するか?」などと思っていた。

自分の想いを叶える地元客会社が必ずある、と思っていた。(あるわけないよ)

そして、バイトと日雇いに勤しんでいた。今から思えば、それはそれで楽しかったのかもしれないが、安心感はなかった。

今(2023年2月)のような不安しかなかった。


思わず、(仕方ないよね?)と胸中で自分を慰めていたのかもしれない。


この頃していた日雇いは、その『仕方ない』の固まりのような職場だった。(工場とスーパー)


コキ使われても、それは「己の選んだ仕事(日雇いだが…)だ。『仕方ない』のである。

いきなり契約を変更されても、やはり『仕方ない』のだ。

安いのも、交通費が出ないのも、派遣先の社員がうるさいのも、全て『仕方ない』


『仕方ない』という状況(だったのか)なのか、ということではなく、そういう思考に至っていたのは、やはりダメだ。

方法は他にもあったし、別に「仕方なくない」と思っていたら良かった。


バイトでも、日雇いでも“もっとわがままに暴れて”、居場所を失くしてしまえば良かった。

それなら“他の仕方”を探していただろう。


人生には選択肢が無数にある。

俺はそれが分かっていなく、「仕方ない」と選択を狭めていたのかもしれない。


そんな中、俺は“あの”求人誌編集の案件を目にする…。