武藤敬司「我慢してでもくっついていれば…」超怖かった先輩と仲良しのワケ(スポニチアネックス) https://news.yahoo.co.jp/articles/bac87370c53abaf639e0f9f8a5b4e2348d4461e2
この記事を読んで、理解出来た事がある。
90年代、新日本プロレスの中で、武藤敬司は間違いなくエースだった。
橋本真也、蝶野正洋という闘魂三銃士の中で、一つ抜きに出ていた存在だった。
あの“10・9”の対抗戦のメインを任されたのは、武藤だった。
武藤は何故、そこまでの存在に成り得て、橋本らは後塵を拝したのか?
(それでも橋本はドームなどには必要な男だったろう…)
それは単純だ。
武藤が新日本の“現場監督”の長州力から信頼されていたからだ。
何度も書いているが、プロレスは真剣勝負ではない(…たぶん)。
その結末はあらかじめ決まっていて、レスラーは“決まっている”勝敗に向かい、二人(ないし四人)でそれに向かい、技などを出し、観客を興奮(ヒート)させる。
プロレスはショーであり、エンターテイメントだ。
その勝敗を決め、観客が盛り上げるべく、試合順や、レスラーの“格”を決めるのは、プロモーター(興行主)であり、この頃の新日本ではその役目が長州だった。
長州からしたら、武藤より、馳や(佐々木)健介なとを、“エース”にしたかったのではないか、も思うが、
この頃(90年代半ば)、馳は試合中の事故(グラス『』ジョー)があり、健介はまだ“育ち切れて”いない。
現場監督“兼”興行プロデューサーである長州は武藤、橋本、蝶野や他のレスラーから、興行の“核となる”存在を見いださないといけない。
これが新日本プロレスの“複数スター🌟”制(GK)になり、それまで“アントニオ猪木”頼りの体制から、興行、大会、シリーズ毎に注目されるレスラーが現れ、ファンは新日に熱狂した。
俺はプロレスラー長州はそれほど注目してない(観てない)が、プロデューサー長州は凄いと思う。
プロレスという“興行”をどうすれば、興奮(ヒート)させるかをよく分かっていて、それへの“アプローチ”を知っているからだ。
(…この後の“やり方”は少し問題があると花見思うが)
その中で、重宝されたのが、武藤だ。
何故なら、長州にとって…、
橋本…険悪
蝶野…疎遠
であり、武藤が一番近かったからだが、武藤もそれが分かっていたのだ。
上の記事を読んで分かった。
ここからは『たぶん』という俺の予想の話だが、武藤からすると、長州は怖い先輩とともに、“やり辛い”先輩だったのではないか?
性格も、プロレスへの考え方、試合のやり方…。
全て“合わない”タイプだったのでは?
それでも“我慢”して付き合っていけば、(…この人、会社の中で偉くなるから、俺も…)と思っていたのではないか。
そんな武藤はやはり(さすがだなー)と俺は思う。
『肌が合わない』『人間的に嫌い』というだけで、関係を断てば、そこで“終わってしまう”ストーリーがある。
人間関係は“立場”や“関係そのもの”が変わる。
しかし、“断絶”すればそこまでだ。
橋本などが、その例だろう。
間違いなく新日本の“エース”の一人であったのに“監督”長州から離れ、“介入者”猪木からは無理やり“利用”され、やがては新日本から飛び出して(ゼロワン)しまった。
武藤も新日本を飛び出すが、橋本と違うのは、“長州と関係性を保っていた”という事だろう。
たまにネットなどで二人が共演するのを観ると、程よく仲が良く、絶妙な感じがする。
(長州と親しかった健介などは、今では“犬猿”である)
武藤は“他人”との、特に“力のある人=強者”との関わり方が絶妙なのではないのか。
だから、団体を興したり、今まで複数の団体に上がれていて、現役だったのではないか。
武藤のプロレスラーとして“天才性”もあるが、人間関係の“絶妙さ”がいつも彼を“プロレスラー”として成り立たせ、一流のプロレスラーであり続けさせたのつは。
ここに“生き方”の見方があるような気がする。
天才…。
実力…。
力…。
魔術師…。
だけではダメなのだ。
人間は字のごとく、『人の間』で生きる。
人間であるかぎり、人の間でしか生きられないのだ。他人の思惑、他人からの評価をどうしても受けてしまう。
時には自身より“強い”人間と関わらないといけなくなる。ひたすら反抗しても、盲目的に従属してもダメ。
関係を結ばないといけない。
“関わる”、それを前提に向き合い、時に利用して、利用される。
それが人間関係なんだろうな。
そして、上手くいけば、武藤のようになる。(それでも団体を2つも潰しているが…)
それが武藤敬司を見ると、分かるんだよね。