鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

派遣録⑦ 混沌の求人編集部へ(…実は)

久しぶりに派遣の話(派遣録)を書く。

⑥では宅配寿司屋の店長に、“おかしなか話”をされ、頭に来て、ブラック企業の頃の上司“デブ山”の事を思い出し、残念な思いをしたところまで書いた。

 

俺は宅配寿司の店長🧓とのやり取りで、『…あの部長(デブ山)、こんな事を俺に期待したのかな?』と分かった。


俺はそれに嫌悪感を感じ、おじさん🧓を含め、コイツら(デブ山)を心底、軽蔑した

 

これは2005年の春頃と思う。

 

俺は日雇いで働きながら、遂に再就職先になりそうな求人を見つけた。

 

それが市内の求人誌の編集部だった。

ブラック企業で身も心もボロボロになり、日雇いやバイトでいろんな(?)職場を見てきた俺の求める仕事とは…。

①雰囲気が良い。

②長く働ける。

 

この2つだった。

 

大学卒業直後に入ったブラック企業は、とにかく上昇志向高く、他人など何とも思わない奴らばかりだった。(バイト連中も含め…)

それは別に構わなかったが、付いていけないのに、プライドばかり高い俺は、上司、同期、バイトらとしょっちゅう揉めていた⚡

 

俺の性格にも問題はなくはないが、やはり(環境が良くないな…)と思っていた。

 

…今ではこの考えは間違っていた、と思うが、当時はそう思っていた。

 

そして、バイトや日雇いをする中で(職場は“働き続けられる”か、がポイントだな?)と思った。

この頃していた日雇いの現場(ディスカウントスーパー、宅配寿司屋、倉庫作業)などはしていて(…長くここにいたくないな)と思える仕事だった。“日雇い”としては構わないし、“たまに働く”なら十分だ。しかし、“ 働き続ける”と思うと、嫌悪感があった。

やはり、長く働ける仕事に就きたい。

 

…今から思うと、これは甘い考えだ。

仕事などどれもキツいし、嫌なものである。嫌悪感を抱かない仕事などありはしない。

それはこの歳(44)になった俺にはよく分かる。

 

だが、この時はまるで理解していなかった。

とにかく、あのブラック企業のような、人を“消耗”させるだけの会社には入りたくなかった。

 

そんなある日、勤めていた(バイト先)の本屋の店長から、また「鈴木君、これからどうすんの?」と尋ねられた。(前回⑥の宅配寿司屋と同じ?)

そして、「ウチの会社(本屋)、社員募集はしてないよ」と言われた。

俺はその本屋に就職する気持ちはなかった。

なので、内心(この人、何言ってんの?)と笑った。無職フリーターの俺が、この本屋に就職したがっている、と思っていたらしい。

 

こういう話が出てきたら、ダメだ。

ま、20代の若者がダラダラとフリーターしていたら、そう思うのは仕方がないが。

 

一年ほど働いたが、俺はその本屋を辞めた。

それで、俺の収入は日雇い一本になってしまった。実家暮らしで衣食住には困っていなかったが、金がなかった。

 

そんな中で見つけたのが、就職する事になる求人誌の編集部だ。

アルバイト採用された。

俺としたら、“就職”半分・“腰掛け”半分という気持ちだった。

周囲には『資格があるんで、それで別の仕事に就きたいんです』などと言っていたが、俺は揺れていた。

 

俺が入った当初、編集部の人間は優しく、面白かった。よくメシ🍴🍝やお酒🍺🎶を驕ってくれたし、悪い人たちには思えなかった。

①職場の雰囲気は良かった(と思えた)

 

事務や原稿の校正の仕事も慣れたら、それなりに面白く感じられた。やりがいもあった。

俺は細かい事を黙々と続けるのに向いているようだった。原稿編集、校正、印刷などはそういう部分の多い仕事だった。

 

そして…、

 

…会社の人間に話した事はないが、実はこの時に俺は、“とある雑誌”の『ライター養成講座』に応募して、月に2回、東京の有名編集社に出ていたのだ。

 

これはなかなか大変だった。

東京など行ったことなかったからな。

千代田区(?)辺りをウロウロして、地元(浜松)に戻ったら、取材(の真似事)などしていた。

それなりに楽しい日々だったが…。

 

 

 

この東京の『養成講座』応募と、地元求人誌へのバイト入社は同時であり、俺としてはフリーライターという仕事はどうなんだ?』と探っていた時期でもあった。

 

今現在(20年後)の状況を“予見していた”ような話だ。

この経験が“今”の俺の財産になっているのは、確かだ。


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2005年の夏。俺は迷いつつ、働いていた。

(俺の人生、これから上手くいくのかな?)

 

バイトだから、給料は少ないが、そこはまた日雇いで補った…。

 

次回からは、その話に。