久しぶりに派遣の話(派遣録)を書く。
⑥では宅配寿司屋の店長に、“おかしなか話”をされ、頭に来て、ブラック企業の頃の上司“デブ山”の事を思い出し、残念な思いをしたところまで書いた。
俺は宅配寿司の店長🧓とのやり取りで、『…あの部長(デブ山)、こんな事を俺に期待したのかな?』と分かった。
俺はそれに嫌悪感を感じ、おじさん🧓を含め、コイツら(デブ山)を心底、軽蔑した
これは2005年の春頃と思う。
俺は日雇いで働きながら、遂に再就職先になりそうな求人を見つけた。
それが市内の求人誌の編集部だった。
ブラック企業で身も心もボロボロになり、日雇いやバイトでいろんな(?)職場を見てきた俺の求める仕事とは…。
①雰囲気が良い。
②長く働ける。
この2つだった。
大学卒業直後に入ったブラック企業は、とにかく上昇志向高く、他人など何とも思わない奴らばかりだった。(バイト連中も含め…)
それは別に構わなかったが、付いていけないのに、プライドばかり高い俺は、上司、同期、バイトらとしょっちゅう揉めていた⚡
俺の性格にも問題はなくはないが、やはり(環境が良くないな…)と思っていた。
…今ではこの考えは間違っていた、と思うが、当時はそう思っていた。
そして、バイトや日雇いをする中で(職場は“働き続けられる”か、がポイントだな?)と思った。
この頃していた日雇いの現場(ディスカウントスーパー、宅配寿司屋、倉庫作業)などはしていて(…長くここにいたくないな)と思える仕事だった。“日雇い”としては構わないし、“たまに働く”なら十分だ。しかし、“ 働き続ける”と思うと、嫌悪感があった。
やはり、長く働ける仕事に就きたい。
…今から思うと、これは甘い考えだ。
仕事などどれもキツいし、嫌なものである。嫌悪感を抱かない仕事などありはしない。
それはこの歳(44)になった俺にはよく分かる。
だが、この時はまるで理解していなかった。
とにかく、あのブラック企業のような、人を“消耗”させるだけの会社には入りたくなかった。
そんなある日、勤めていた(バイト先)の本屋の店長から、また「鈴木君、これからどうすんの?」と尋ねられた。(前回⑥の宅配寿司屋と同じ?)
そして、「ウチの会社(本屋)、社員募集はしてないよ」と言われた。
俺はその本屋に就職する気持ちはなかった。
なので、内心(この人、何言ってんの?)と笑った。無職フリーターの俺が、この本屋に就職したがっている、と思っていたらしい。
こういう話が出てきたら、ダメだ。
ま、20代の若者がダラダラとフリーターしていたら、そう思うのは仕方がないが。
一年ほど働いたが、俺はその本屋を辞めた。
それで、俺の収入は日雇い一本になってしまった。実家暮らしで衣食住には困っていなかったが、金がなかった。
そんな中で見つけたのが、就職する事になる求人誌の編集部だ。
アルバイト採用された。
俺としたら、“就職”半分・“腰掛け”半分という気持ちだった。
周囲には『資格があるんで、それで別の仕事に就きたいんです』などと言っていたが、俺は揺れていた。
俺が入った当初、編集部の人間は優しく、面白かった。よくメシ🍴🍝やお酒🍺🎶を驕ってくれたし、悪い人たちには思えなかった。
①職場の雰囲気は良かった(と思えた)
事務や原稿の校正の仕事も慣れたら、それなりに面白く感じられた。やりがいもあった。
俺は細かい事を黙々と続けるのに向いているようだった。原稿編集、校正、印刷などはそういう部分の多い仕事だった。
そして…、
…会社の人間に話した事はないが、実はこの時に俺は、“とある雑誌”の『ライター養成講座』に応募して、月に2回、東京の有名編集社に出ていたのだ。
これはなかなか大変だった。
東京など行ったことなかったからな。
千代田区(?)辺りをウロウロして、地元(浜松)に戻ったら、取材(の真似事)などしていた。
それなりに楽しい日々だったが…。
この東京の『養成講座』応募と、地元求人誌へのバイト入社は同時であり、俺としては『フリーライターという仕事はどうなんだ?』と探っていた時期でもあった。
今現在(20年後)の状況を“予見していた”ような話だ。
この経験が“今”の俺の財産になっているのは、確かだ。
2005年の夏。俺は迷いつつ、働いていた。
(俺の人生、これから上手くいくのかな?)
バイトだから、給料は少ないが、そこはまた日雇いで補った…。
次回からは、その話に。