『コーピング』の話の続きだ。
“とある企業家”が言っていた。
『仕事の出来る人は返信が早い』
メールなどの連絡とその返信が早い人は、決断力があり、仕事も早い、というような事らしい。
これを聞いて、どう思うか?
(確かにそうだな…)
(これからは早く返信しよう)
(これはコイツの勝手な思い込みだろ)
(自分は早く返信している☺️)…。
俺は、“早く返した方が良い人や事柄”には、早めに返信している。だから『そうする人もいるなあ』くらいの気持ちだ。
全ての連絡に対し、なるべく早い返信を心がけているが、(…遅くても良いな)とか(ま、いいや)と判断した相手には、急いで返信はしていない。
全て俺が判断している。
その判断が間違っていたら?
『何だよ、あいつ(俺)、返信遅いな💢』と思われたら?
確かにそんな時もある。それなら、それは俺の責任。
その人が自分に必要な人なら謝るし、そうでもないなら、「…あ、すいません」とそのままにしている。別にどう思われても構わないからだ。何故なら、重要ではない関係性だからだ。
ま、そうならないように全員に“なるべく早く返信”している。
だが、“差”はある。
俺との関係性の“差”だ。
ここで思うのは、自らの評価が悪くなる問題より、「返信は早い方が良い」と誰かの“判断”に従っている事ではないか?
『返信は早い方が良い』
それは、誰が決めたのか?
『返信が早い事を好む人間』だろう?
そうすることに好印象を持つ人間だ。
だが、『返信が早い事は評価しない人間』からしたら、あまり意味のある行動ではないのではないか?
早い返信を好む人間にはそのようにして、そうでもない人間には、そうしなくても構わない。
それで十分だろ?
する、しないの“判断”ができていたら、大丈夫だ。判断をしていたら、大丈夫だろ。
『返信は早い方が良い』という人間に同意し、なんでも早く返信する人は、他人への判断を“他人に委ねで”ないか?
何故、他人に自分の評価を頼む?
自分の評価は自分でしろよ、それくらい。
これぞ、コーピングだと思う。
ストレスの対処。
『仕事が出来ない』という評価は、社会人としては評価されたくない“ストレス”だ。
だから、『早く返信をする』という対処を心がける事で回避した“つもり”になっている。
よく考えて欲しい。
『返信が早い人は仕事が出来る』とは決まっていない。そうした方が良いだろうが、別にそれだけが仕事の良し悪しには関係無いし、仕事上の重要なメッセージや報告は、他のそれとは違い、早めに返信していれば、それで良くないか?
そして、その判断は自分自身で勝手にすれば良いだろ?
それは“そうする事を喜ぶ人間”だけが喜ぶ。
気が付くと、取り込まれていないか?
“早めに返信されるのが好き”な奴に取り込まれてないか?
そうなりたい奴だけが、勝手にそうしていろ。
ほかにも、“その企業家”は…、
『ランチには、高い金額を出せ』
『15000円以上のランチを食え』
『高いランチが何故売れるのか、出せるのか、考えろ』
…などと言っていた。
ランチ15000円?
俺ならまず、『昼飯にそんな金出せるかっ!』である。
それが重要なのでは?
つまり、今の自分が15000円のランチを“食べられる”のか、という事をまず考えて見ることが大事ではないか?
『そうか、“あの人”が言っていたから、15000円のランチを食べてみよう』は盲信過ぎる。
まず、冷静に考えよう。
その“対処”は妥当か?
財布を見てみろ。大丈夫か?
それでも食べる、というなら食べたら良い。
頭の良い人間が嫌がるのは、他人が自分の頭で考える事だ。
他人など自分の思った通りに動け、と思っているのだから、あれこれと考えられたら、迷惑なのだ。
そこで“コーピング”だ。
ストレスを与え、『そうならないなら…』『なりたくないなら…』と自分の思ったような“対処”をさせる。
マインドコントロールによくある手法だ。