鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

AIイラスト、ChatGPT…AI技術が人間の仕事を奪う? 研究者が語る期待と懸念(ENCOUNT)

AIイラスト、ChatGPT…AI技術が人間の仕事を奪う? 研究者が語る期待と懸念(ENCOUNT) https://news.yahoo.co.jp/articles/13270a38467a4bd56e74161e27842c214a76a3c1

 

最近よく聞くこの“チャットGPT”。


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このチャットGPTは“人を越える”のか?

 

俺は可能性はあるが、“基本的”には難しい、と思う。

 

以前、ある芸人コンビがチャットGPTに「俺らっぽいネタを作って?」と依頼すると、本当にそのようなネタを作りあげ、驚愕した。

確かにそのコンビらしいネタを書き上げたらしい。

 

これはつまり、ある程度の“キーワード”や“ポイント”、“概要”などを依頼(学習?・習得?)させたら、AIは人間の“創造力”を越えるのではないか?

 

確かにそう思うが、果たしてそのネタは披露出来て、ウケるのか?

 

そこは分からない、と思う。

何故なら、ネタを作っても“行う”のは人間だからだ。

 

機械(AI)に足りないもの。

それは“経験”(体験)だと思う。“経験則”はデータとして入れられたりするが、“実体験”ではない。

感じること、行動すること、話すこと、聴くこと…。

それが機械には出来ない…というか、“得られない”。

 

漫才の話で言うと、AIのネタを芸人コンビが“再現”しても、客前での間、タイミング、お客の微妙な“温度”、それらから“感じられる笑いに繋げる“道程”を導く。

お客の微妙な温度差を感じ、これまた微妙に対応する。

それが機械にできるのか?

それが“体験”のないAIに出来るのか?

 

“体験”に“似た”データは得られるが、“実体験”は得られない。

 

機械(AI)はどこまで行っても、道具でしかない。

当たり前だが、この道具は便利で安く、簡単で早い。

だが、“使う”のは人間。

“実体験”の無い機械(AI)は、そこからの“答え”を出せない。

それが人間との“絶対的な差”だと思う。