鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学137 お金の信者には…。

ジャイアント馬場は言った「UWFは人に見せるものじゃない」 全日本プロレスの名物実況アナが振り返る馬場の哲学(webスポルティーバhttps://news.yahoo.co.jp/articles/e990d3756fae3ab0f7b5c3c5b95ce46e9ce2dbc8

 

俺は全日本プロレスから、プロレスオタクの道に入った。


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ハンセン、四天王(三沢川田小橋田上)などの熱い戦いに夢中だった。(中学生の頃)

 

だから、


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ジャイアント馬場が好きてはなかった。

このシリーズやプロレスの話で度々書いているが、スロモーで、ガリガリで、あばら骨が浮かぶ“おじいちゃんレスラー”、(…こんな奴がリングに上がるから、プロレスって『八百長』て言われるんだろ!💢)と思っていた。

中学生の俺は“プロレスの仕掛け”を理解しつつも、どこかで、“リアル”を信じていた。

 

そんな俺の心を激しく掴んだのが、


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UWFだ。(既に3派に分裂していた…)

 

この“リアル”なプロレスに夢中になっていた。

おかしな点がいっぱいあったが、リアルを信じた。

UWFインターの“高田信者”?)

 

だが、それ(UWF)はプロレスだった。

 

改めて、何度も書く。

プロレスはショー(見世物)だ。“お芝居”だ。

結末はあらかじめ決まっていて、戦うレスラーの二人が“協力”して試合を見せて、観客を興奮させる。

それがプロレスだ。


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分かってはいたが、若い俺はUWFの“リアル”を信じ、歪な真実から目を背けていた。

 

そんなUWFを、ジャイアント馬場

 

 

相手の技を真っ向から受け止めることがプロレスの醍醐味。その「受け身」の技術があってこそ、観客はレスラーが繰り広げる攻防に熱狂する。

 

1980年代後半は、前田日明が設立した「新生UWF」が絶大に支持された時代だった。キック、関節技を駆使する格闘技スタイルのプロレスは、相手の技を受け止めずに攻めることで"強さ"を訴えるプロレスだった。

 

「受け身を大切にしていた馬場さんは、当時、あれだけ人気があったUWFについて『あれは、人に見せるものじゃない』とおっしゃっていました。

『ああいうものは、自分を守るために身につけるもの。俺だってできるんだぞ』と」

 

当時、こうした馬場のUWF系への言葉をよく聞いて、俺は笑った。

『お前が言うなよ(笑)』である。

おじいちゃんが痩せ細った体を晒し、若手や配下のおじさんレスラーとコントのようなプロレスをして、お客を“和ませる”

そんな馬場の“プロレス”こそ、「人に見せるものではない」だろ?、と思えた(失礼)

 

しかし、馬場は…。

 

馬場から「俺だってできる」という言葉を聞いた若林は、のちにそれを体感することになる。

 

当時、早稲田大の学園祭に呼ばれた馬場は、司会を務めた若林にスタンディング式アキレス腱固めを極めたのだ。 「1回目はまったく痛くありませんでした。すると、2回目はポイントを5ミリぐらいズラして固められたんですが、すさまじい激痛が走りました。馬場さんは、極めるポイントを知っていたんです」

 

本当にそういう戦い方が出来たらしい。

つまり、馬場はリアルファイト(真剣勝負)にも対応でき、そのシュート(リアル)とプロレスを分かって、プロレスをしていたのだ。

 

その上で、シュート(リアル)の意味の無さを言っていた。

 

馬場は、力道山のもとにいた頃から、アメリカに渡り、


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バディ・ロジャースの“グループ”に加わり、NWAの勢力下で、日本人ヒール(悪役)として大人気になった。

世界三大タイトル(NWA、WWWFWWA)に挑戦した馬場は、全米のトップヒールになり、大金💴を稼げるようになった。

 

そして、力道山が殺害され、日本に戻り、その後継者として日本マットに君臨し、アントニオ猪木という“反逆者”を“切った”。

 

さらに日本テレビのバックアップを得て、全日本プロレスを立てた。

 

そんな経歴のある馬場には、リアルを見せるUWFは、『プロレスの裏側』であり、それはシュート(制裁)であり、プロレスというショーとして成り立たないものだった。

 

要するに“裏”の話で、“売り物”にはならない、という事。

プロレスも真剣勝負も観客からしたら“ショー👯”に変わらない。

 

肝心なのは、その“戦い”がショーとして“成り立つのか?”である。

馬場が言いたかったのは、リアルファイト(シュート=真剣勝負)ではお客は興奮しない(しにくい)、という事だ。


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今でこそ、MMA(総合格闘技キックボクシング(K-1など)があるから、それはショーとして盛り上がったりもしているが、基本、真剣勝負(リアル)は観客の目を意識しない。観客の興奮以上に勝敗を重視する。だから、それはお客を興奮“させられない”、と馬場は思っていたのだろう。

 

この馬場の感覚は、今では“古い”が、“プロレス”の本質の一つを突いている、と思う。

 

それは“お金💴が稼げるか、稼げないか”である。

 

馬場が強い、弱いは意味がない。同時にリアルか、フェイクか、も意味がない。

 

何故なら、お客が興奮し、オーバー(ブレイク)し、チケットが売れ、金💴が入れば、それが良い。

その戦いにそうなり得るものか、“売り物”になるか?

がプロレスの価値基準だ。

 

「なんだよ、結局金💴かよ…」と思うかもしれないが、金銭を稼がない人間がこの世にいるのか?

貴方はお金💴を稼いで無いのか?

 

プロレスがショーであり、興行である以上、どうしたら儲かるか、を考慮するのは当たり前。

それは、俺も、馬場も、そして社会も、誰も同じ(はずだ)

 

ある社会学者が『この世にお金💰️が生まれてから、我々は少なからず、その奴隷であり、金の信者だ』と書いていた。

 

それは否定できないし、その通りだ。

 

綺麗事ではない。

誰しもが“稼ぎ方”を見つけたり、確かめたりしているではないか?

 

馬場は90年代後半の格闘技ブームに「“シュート”(馬場は格闘技をこう表していた…)はプロレスでしょ?」と語っていた。

当時は(はあ?💢)と思っていたが、これは当たっている。

 

プロレスとは“稼ぎ方”であり、“生き方”なのだ。

 

ここ最近、俺はこのブログや周囲に「…💴お金、無いよ💦」と嘆いている。

事実、そうだ。

去年のコロナ感染から退職、インターシップ失敗まで、金銭に喘いでいる。

まさに『お金💰️の奴隷』で信者だ。

 

それは否定できない。誰にも批判されたくない。

当たり前だし、誰しもがそうだからだろ。

 

だから、もう「金、無いよ」は言わないようにしたい。

奴隷が「奴隷だ」と嘆いても、信者が「…信者なのに」と嘆いても何も変わらない。

馬場のいう通り「“売り物”になるのか?」という部分的がそこには無い。

俺の“プロレス”(見せるもの=興奮)はどこか?

“オーバー”はどこか?

 

それを、考えるべきだった。。