鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

1996年のUインター①

雑誌、『Sport graphty Number』に連載中の『1984UWF』にガチハマリしている。
数年前、某スポーツ雑誌の"ライター講座"を受けていた俺(毎週東京行っていたな~)としては、また元"UWF信者"の俺としては、展開される話、佐山(聡)側から語られるUWF、ターザンらの辛辣なUWF事情、さらに"シューティング・プロレス"、"リアルファイト"、"既存のプロレスタブー"の絡み合った話が生々しくて、かなり面白い。

俺としては、新生UWFUインターの高田の話が知りたい。もう一つの""泣き虫 的な裏話、実情があれば良いが。

話はプロレスのかなり"根幹"の部分に触れている。
プロレスは『結末の決まったショウ』であり、それがタブーだった時、佐山や前田日明藤原喜明ら、カール・ゴッチの薫陶を承けた日本人レスラーがそれぞれの理想を目指し、"新しいプロレス"を模索して行くノンフィクションだ。
時代、組織に翻弄され、結集と崩壊、闘争する姿が面白い。
UWF関連の書籍、雑誌をいくつも読んだが、『アレって、そういうことだったのか…』と氷解できる部分がある。

プロレスファンになった20年以上前から、必ず言われる事がある。

「プロレスって、八百長なんでしょ?」

俺もバカではない。
大の大人が力自慢のレスラーに、とは言え、ロープに振られてキレイに跳ね返ってきたり、抑えられた相手が、毎回カウントのギリギリで肩を上げるのを見て何とも思わないわけがない。

だが、当時はそれを受け入れていた。そして「プロレスなんて八百長」と言ってくる奴には「じゃ、見るなよ」と言っていた。
別にプロレスの方から『頼む、見てくれ』と言ってきたわけではない。ロープから跳ね返ってきたり、カウント2.99で肩を上げる"世界観"を『面白い』と思える人間だけが見ればいいのだ。"クダラナイ"と思うなら、見なけりゃいいだけの話だ。(この考えは今も変わってないが…)

そんな頃(1991年頃)、俺が知ったのがUWFの流れを組む所謂U系"団体だった。
『こんな格闘技志向のプロレス団体があったのか!?』
プロレスが好きと言うと、必ずバカにされてきた俺は、U系団体、特に高田延彦率いる『UWFインターナショナル(=Uインター)に夢中になった。

…実際はUインターは"プロレス"だったのだが、テレビ放映がなく、雑誌の写真で見る高田は"リアルファイター"に見えた。
(リングス、パンクラスはリアルファイトに思える)

だが、Uの幻想はすぐに崩れる。
近所のレンタルビデオUインターのビデオを見て『ん?』と思い、漫画家板垣恵介グラップラー刃牙の作者)のエッセイを読んで、(板垣さんは大の猪木・馬場信者で、UWF嫌い)、真実に気付く。
事実、その頃は新生UWF自体が格闘技っぽい"プロレス"だったと判明されていて、揶揄する言葉として『Uスタイル』があったのだ。
UWF幻想というのは、こうした俺のようなファンによって作られたのかもしれない。
そこには抗い切れない"事実"があった。

だが、それを俺は都合よく理解する。

『彼らは格闘技の実力があるが、"敢えて"プロレスをしている。リアルファイトしたら勝つに決まっている』

今から考えたら全く整合性が無いが、当時は"MMA"(=ミクスド マーシャルアーツ="総合力格闘技の造語)なんてものが無かったから、本気で思っていた。
それからは、U系団体を観ながら、新日、全日の深夜放送を楽しみに見る時が続いた。
誰かに「プロレス好きなの?、アレって嘘でしょ?」と言われたら、「じゃ、Uインター見なよ。こんな格闘技志向の団体があるんだぜ♪」と言っていた。(これもかなり矛盾しているが…)

U系団体がプロレスの"守護神"だと、本気で思っていた。

そんなある日(1992年頃)、『世界丸見えテレビ特捜部』でUFCの第一回大会が取り上げられた。
本当の"リアルファイト"がやってきたのだ。