RIZINを見ていたら、先日急死した山本"KID"徳郁の追悼シーンがあった。
あまりに早い死は残念。
悼む人がいるのは、見ていて辛い😢
まだまだやりたいことがあっただろうに…。
ガンだったようだが、早すぎる。
どんな闘病だったのだろうか?
人は死に直面したら何を考えるのか?
俺も脳腫瘍だった時、一回目の手術の後、横浜にサイバーナイフ(放射線)治療に行く事を進められた。
放射線治療は僅かではあるが、後遺症の可能性がある。
…それが怖かった。
かなり躊躇した。
同時に自身で色々な治療方法を調べてみた🔍👓。
その中に『陽子線(光子線)治療』を見つけた。
ネットで見たら、それは放射線より安全らしい。
だが、(当時は)その治療は"保険適用外"だった。
『一回、97万円』であり、俺の腫瘍は除去手術でも取りきれない程大きく、最低「5回は必要』だと主治医に言われた。
…合計500万円強。
対して、放射線は保険が効いて8万円×5回で、40万円…。
俺は父親に相談した。
「…お前がしたいなら、借金するぞ?」
俺は真剣に悩んだ。
40万円掛けて後遺症が残ったらどうしようか?
ならば、安全な500万円の"陽子線"か?
俺にはそんな蓄えなどない。
両親に頼むしかない。🙏
しかし、俺の命はそれに見合う"価値"があるのか?
500万円と俺の命は釣り合うのか?
老いた両親に借金をさせるだけの価値が、今の俺にあるのか?
仕事も休職し、16時間に及ぶ手術で死にかけて、以前の言葉を失い、両親には散々迷惑を掛けた。
そんな俺の命に何の価値があるか?
(死んだ方が…)とは思わなかったが、もうこれ以上迷惑をかけたくなかった。
だが、後遺症は怖い。
だが、両親には迷惑かけたくない。
……俺は放射線治療を選んだ。
幸い(…というか、放射線はそこまで危なくは無い)、何の後遺症もなく俺の治療は終わった。
…ま、治療後には吐き気と抜け毛で死ぬほど苦しんだが。
(思い出すだけで嫌)
2回目の腫瘍除去手術も無事に成功した。死にかけるような状態にもならなかった。
1回目の手術の後は、ICUに2ヶ月弱入ることになり、リハビリ無しでは歩けない身体になったりした。
それでも生きていたかったし、2回目の手術が比較的楽に終わって嬉しかった。
命がある事か嬉しかった。
その時に、同時に思った。
命とは何なのか?
それは誰にもわからない。
ただ、それはこの世に"生きるチャンス"であり、何かをする"元手"だ。
生きる事とは何なのか?
それもわからない。
何をするかは、生きていないとわからない。
自分が有益か?、誰かの役に立っているのか?、無益か?、迷惑か?
それは生きていないと分からない。
だから、生きていたい。
後から「あーすれば良かった」とか「こうしたら良かった」と思いたくない。
後悔したくない。
俺が2回目の手術後、
(自分の思った通りに生きよう)
と思ったのは、この為だ。
脳腫瘍になる前の俺は、どこか他人の意識を伺って生きていた。
もし、それで俺が死ぬような時が来たら、俺は「生きていた」と言えるのか?
何をしても、それは自分が選んだ、と思えば受け入れられる。
だから、まずは自分の考え、意思を優先しよう。
それで死ぬのであれば、仕方ないではないか?
自分の生きたいように生きて、それが出来ないのであれば、生きている"価値"を確かめられない。
生きたいように、生きる。
そこから俺の『生きる事』が有益か、無益か、が分かる。
父親が「500万円出しても良い」という人間か分かるのだ。
命の価値を計るには、"まずは"自分の思った通りの生き方をしてみよう。
その時の"想い"が今もある。
だから、どんなに周りと軋轢を生んでも俺は気にしない。
俺の人生は、俺のもんだ。
俺の好きに生きて何が悪い。
…悪いと思ったならば、謝る。だが、それを決めるのは俺だ。
思い通りの人生を生きれない後悔はしたくない。
後悔はしたくない。
KIDもそうだったのかな?
後悔は無かったのか?
自分の価値を、自分の人生が何か分かったのか?
死んだら、分からない。
そこで終わりなんだ。生きていなくては分からない。
自分の人生を生きていけないからだ。