鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学109 陽はまた登る

先日、BS朝日金曜8時に『ワールドプロレスリング』か復活した。

ワールドプロレスリング リターンズ』だ。


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“プロレス復活”が叫ばれて久しいが、遂にここまで来たかと、少し嬉しい。

(俺としては“新日本プロレス復活”だと思うが…)


俺がプロレスを熱心に見始めた頃(1991~93年)、朝日の『ワールドプロレスリング』は一時間の深夜放送。

しかも、“全日”からプロレスに入った俺は当初はあまり見ていなかった。静岡第一の『全日本プロレス中継』で“四天王”に夢中だった。

俺の感覚では、次第に“プロレス熱”が高まり、『新日本プロレスも観てみるかな…』と思い、ナンチャンのリングの魂』(懐)と合わせて観るようになった。

確か、スタイナーブラザーズと“馳健”の試合をかなり興奮して見た記憶がある。

新日は、馬場の全日に比べて、話題性があり、スキャンダラスで面白かった。(…全日もかなり“危険”で面白かったが)

高校に入る頃には、“U思想”(幻想)にかぶれだした俺は、かなりのオタクになっていた。


この頃(94~96年辺り?)が『ワールドプロレスリング』人気の“沸騰点”であり、例の“10・9”で頂点を迎える(U幻想の終焉⤵️⤵️)


そこから次第に総合格闘技に押され、『ワールド~』は30分番組に縮小。『全日本プロレス中継』は『プロレス・ノア』の中継に切り替わり、やがて消滅してしまった…。

プロレスは冬、そして暗黒時代が到来する。

 

そして、今、プロレス“番組”は再び盛り上がりを見せつつある。

冬を過ぎ、春。

暗闇を抜けつつあるのか?


こんな事を書いている俺も、一時はプロレスからMMA総合格闘技)に“移行”したクチである。

だが、プロレスは観ていたし、雑誌はずっと読んでいた。


観客が少ない新日本のドーム大会(1・4)を見に行ったりしていたな。


日本のプロレスの“暗黒時代”を知る俺としては、この“復興”は嬉しい。

そして、思う事がある。


『陽はまた登る』である。


俺もそうだが、あれほどハマっていたプロレスが色褪せて見えてしまったり、他のもの(MMA)が色濃く見えてしまう時がある。


だが、人の嗜好や気持ちなどいい加減なものである。


色濃く見えていたものが、今度は色褪せて見えてしまったりする。


太陽の巡りと同じように、人間の気持ちなど刻々と変わる。“沈んだ太陽”は本当に消えたわけではなく、また“登る”のである。


BS朝日の『ワールドプロレスリング リターンズ』を見ていて本当にそう思えた。


今、日本を含め、世界は新型コロナウイルスによる感染症で大変な事になっている。


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毎日、世界では死者が何千人と出て、イベントは中止、学校も休校、店舗も休業が相次いでいる。先日の『ワールド~』も録画映像の放送だった。

東京五輪は延期になった。


全てが縮小し、止まりつつある。

まさに“暗黒時代”だ。


だが、『陽はまた登る』のである。

 

多大な犠牲や困難さの先には、やはり復活がある。

イベントはまた出来るし、学校も始まる。店はまた活気が戻るだろう。

復活した『ワールド~』も最新試合の中継が放送されるようになるだろう。


必ず、そうなる。

『そうなる!』と信じなければ、何を思って俺たちは生きていけば良いのか?


“夢”を見させてくれても良いではないか、“プロレス”から離れていた俺が、それでも30分に縮小された『ワールド~』を観ていたのは、『プロレスは面白い』という一点だ。

それかあったから、プロレスを“信じていた”。


都合良い話かも知れないし、自分勝手な話だ。

“地下水脈”のように、人々の見えないところを流れ、やがてはどこかで“吹き上がる”。

 

何故か?


プロレスは面白い、からだ。

『面白い』と思える人が多くなったからだ。

 

そして、プロレスはまた“登った”(登りつつある)


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だから、期待しよう。信じてみよう、また登る日を…。

 

 もちろん、これは“希望的観測”というやつで、俺の“思い込み”に過ぎない。

人間は“絶望”よりも“希望”を予測したがる。


だから、今は期待させてくれよ。