他人を支配し、自分の思うようにしたい人間は社会において、どんな行動をとるのか?
それは、"自分の為にある小さなグループ"を作る、である。
小さい規模で言うのなら、ママ友サークルや小学生の仲良しグループ。
大きな規模なら、政治家の派閥などがそれだ。
そこにいる限り、みんながアナタを持ち上げ、指示に従い、アナタの為に"動いて"くれる。
そこの"リーダー"や"中心的な存在"であれば、アナタは傷付かないし、損もしない。そのグループにいる他人は皆、アナタの"部下"だ。
人間は、こんな"小さなグループ"が大好きだ。
どこでもこんな"グループ"を作って、己の威を張りたがる(俺もね…)
そうして、グループ内の他人を支配し、悦に至る。
悲しく、矮小な人間である。
だが、他人は判らない。
表情では、従順にしながら、腹の底では違う気持ちで"裏切り"の機会を待ち構えているのかも?
だから、こうした"グループ"の"リーダー"は裏切りを許さない。
少しの反抗、自分の意に賛同しない事も、いつもと違う反応であることも許さない。
グループ内において、他人は自らに支配されるべき存在であり、何においても、自分を"1番に考えて"もらわないと、頭に来るのだ。
しかし、だ。
繰り返し書くが、人間は自由だ。
どこで何をしようと、何を考えようと、誰と話そうと、アナタを裏切ろうと自由だ。
それを規制する事など出来ない。
だが、我々はいつも他人に怒る。
何故、自分の思った通りにしないのか?
何故、自分の思うような言動をしないのか?
それが1番良くて、1番すばらしく、誰も損しないのに…。
この、他人に対する勝手な"思い込み"を、俺は
『他人幻想(ストレンジャーズ・イリュージョン)』
(注 これはエメラルド・フロウジョン)
と呼んでいる。
"他人"を"stranger"(奇妙な人)としたのは、自己にとって、他人は常に従うことの無い"奇妙な人間"だからだ。
他人は、自分の思った通りにしたら、幸せになるのに、それをしない奇妙な人だ。
(…もちろん、他人から見た自分もstrangerである)
自分が思った通りにすれば良い。
他人は自分の思うように動く、話す。
それは全て"幻想"だ。
幻である。
プロレスラーが言う「最強だ!」と同じだ。
勝敗の決まっている試合を見せるレスラーの言う「最強」は「最強」ではない。
では、『全くもって"最強"ではないのか?』と言えば、そうではない。
そのプロレスを"真剣勝負だ"と信じる人間には「最強」であり、そのグループ(プロレス団体)内では"最強"である。
最強でなくてはならない、とも言える。
そうでないと、プロレス(社会)や、そのグループ(組織)は始まらない。
だが、全ては"幻想"だ。
何故なら、人は皆、自由であり、誰かの意のままに動くことはない。
仮に動いたとしても、それには理由がある。(金、信頼、尊敬など)
たぶん、そんなことは分かっている。
だから、社会(プロレス)は幻想の中にある。
『他人は自分の思うようになる』為に、人は他人を様々なもので"支配"する。
無理だとわかりながら、"幻想"に引きずり込む、ハメ込む。
そうしないと、自分の存在を確立し得ないからだ。
自分が自分の勝手を求めるように、他人も他人の勝手を求める。
自分の勝手(自由)は認めて欲しいが、他人の勝手(自由)は認めない。
だって、自分が一番だからだ。
自分を一番にしている限り、他人は"自分の範囲"において、自由にすれば良い。
それなら、大丈夫。
なので、グループを作る。
自分の、自分による、自分の為のグループ。
そこにいれば、自分も他人も皆、幸せだ。
うるさい他人や、いちいち逆らってくるバカはグループから出ていけ!
ここの"リーダー"は俺だ!
…という、"幻想"である。
こんな幻想をみんな持っている。
やはり、俺もね…。