鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

3/20 ネットという"功罪"

日曜夜の『3年A組』が最終回を迎えた。

1話から見ていたが、なかなか考えさせる最後だった。

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クラスの友人が死んだのは、ネットラジオの"顔の見えない連中"の誹謗中傷だった。

ドラマ中に『マインドボイス』という匿名投稿サイトが出てきた。
現実でいう"2ちゃんねる"の事か?

"顔の見えない"ネットの世界では、比較的気楽に不特定多数に色んな発言が出来る。
実際、俺もこうしてSNSで好きな事を言っている。

匿名だろうと、顔が見えなかろうと、悪口は悪口だ。

やはり、誰かを傷付けている。
ニュースで槍玉に上げられる有名人、パワハラする指導者、ズル賢い政治家。

それに対しては何となく『何でも言って良い』気がしてしまう。

悪口は悪口なのだから、例え"社会的な悪"だろうが、他人を傷付けている事に変わりがない。

"匿名"は言いやすいし、悪口を吐きやすい。
顔を見せていないからだ。
言いたい事があるなら、その目の前に言って直接言えば良い。
匿名で顔が見えなくなると、人は凶暴になる。

顔を出すと、何も言えなくなるくせに…。

また、そんな悪口を聞きたくないなら、"ネットなど見ない方が良い"。

ラストシーンにもメッセージとして出てきたが、『嫌ならネットなど見るな』である。

その通りたと思う。
『嫌なら見るな』、つまりネットからの"攻撃"を受けたくないなら、関わらないのが一番だ。
見なければ、関わらなければ、いわれのない(と思っている)攻撃を受けなくて済むのた。

だが、言いたい。

匿名や顔を隠さないと言えない人間はどうするのか?

確かに、面と向かって物が言えない"腰抜け"(俺?)の言葉など考慮するに値しない。

逆を言うなら、腰抜けだから、真摯に受け止める必要がないから、"何でも言える"のではないか?

ドラマ中で特に印象に残ったのは、ネットなどで起こった事に対し、『よく考えてみろ』と言われ、クラス全員で討論するシーンだ。

これは、格闘家、青木真也でいうところの、

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『空気を読んではいけない』ではないか?

ネットは誰が言った意見に流されて、派手で、社会的に攻撃しやすい方向に流れる傾向がある。

ネットに流れる"らしい"空気を"読んで"発言したくなる。
顔も見えないから、空気に乗った意見を吐いた方が盛り上がり易い。

だが、自分という"確固"たる意識を持っていたら、流されない。空気に巻き込まれない。

やはり、空気は読んではいけないのだ。

現実社会で空気を読んで、仮想のネットの世界でも空気を読んだのなら、そこに"自分"というものがあるのか?

ネットは、なかなか発言出来ない人間(俺?)などが空気を読まずに発言するには、最適かもしれない。

しかし、ドラマ中で『無意識のナイフで他人を傷付けてしまう』と主人公が言っていたように、空気を読んで、無自覚に他人を攻撃してしまう"道具"かもしれない。

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なかなか考えさせられるドラマだった。

エンディングテーマの『生きる。』(クロマニヨンズ)がまた良かった。

『見るもの全てが発見だ🎵』