日曜夜の『3年A組』が最終回を迎えた。
1話から見ていたが、なかなか考えさせる最後だった。
クラスの友人が死んだのは、ネットラジオの"顔の見えない連中"の誹謗中傷だった。
ドラマ中に『マインドボイス』という匿名投稿サイトが出てきた。
現実でいう"2ちゃんねる"の事か?
"顔の見えない"ネットの世界では、比較的気楽に不特定多数に色んな発言が出来る。
実際、俺もこうしてSNSで好きな事を言っている。
匿名だろうと、顔が見えなかろうと、悪口は悪口だ。
やはり、誰かを傷付けている。
ニュースで槍玉に上げられる有名人、パワハラする指導者、ズル賢い政治家。
それに対しては何となく『何でも言って良い』気がしてしまう。
悪口は悪口なのだから、例え"社会的な悪"だろうが、他人を傷付けている事に変わりがない。
"匿名"は言いやすいし、悪口を吐きやすい。
顔を見せていないからだ。
言いたい事があるなら、その目の前に言って直接言えば良い。
匿名で顔が見えなくなると、人は凶暴になる。
顔を出すと、何も言えなくなるくせに…。
また、そんな悪口を聞きたくないなら、"ネットなど見ない方が良い"。
ラストシーンにもメッセージとして出てきたが、『嫌ならネットなど見るな』である。
その通りたと思う。
『嫌なら見るな』、つまりネットからの"攻撃"を受けたくないなら、関わらないのが一番だ。
見なければ、関わらなければ、いわれのない(と思っている)攻撃を受けなくて済むのた。
だが、言いたい。
匿名や顔を隠さないと言えない人間はどうするのか?
確かに、面と向かって物が言えない"腰抜け"(俺?)の言葉など考慮するに値しない。
逆を言うなら、腰抜けだから、真摯に受け止める必要がないから、"何でも言える"のではないか?
ドラマ中で特に印象に残ったのは、ネットなどで起こった事に対し、『よく考えてみろ』と言われ、クラス全員で討論するシーンだ。
これは、格闘家、青木真也でいうところの、
『空気を読んではいけない』ではないか?
ネットは誰が言った意見に流されて、派手で、社会的に攻撃しやすい方向に流れる傾向がある。
ネットに流れる"らしい"空気を"読んで"発言したくなる。
顔も見えないから、空気に乗った意見を吐いた方が盛り上がり易い。
だが、自分という"確固"たる意識を持っていたら、流されない。空気に巻き込まれない。
やはり、空気は読んではいけないのだ。
現実社会で空気を読んで、仮想のネットの世界でも空気を読んだのなら、そこに"自分"というものがあるのか?
ネットは、なかなか発言出来ない人間(俺?)などが空気を読まずに発言するには、最適かもしれない。
しかし、ドラマ中で『無意識のナイフで他人を傷付けてしまう』と主人公が言っていたように、空気を読んで、無自覚に他人を攻撃してしまう"道具"かもしれない。
なかなか考えさせられるドラマだった。
エンディングテーマの『生きる。』(クロマニヨンズ)がまた良かった。
『見るもの全てが発見だ🎵』