7/29 多様性をどこまで認める?
自民党の杉田水脈(みお)議員が『"LGBT"は生産性がない』『税金を使う必要があるのか?』と雑誌に寄稿して批判されている。
確かに同性愛者には"生産性"が無い。
(人間の誕生を生産とは呼びたくないが…)
だだ、それはこの議員自体が、そうした人種に『税金を使う事が気に入らない』と言いたいだけでは無いか?
別に子供を生むだけが人間の役目ではないと思う。
当然、頭に来て、
国会周辺では抗議運動が…。
……少し考えた。
『人が何をしようが、何を考えようが、何を好もうが自由だ』というのが、俺の考えだ。
人間の多様性は様々である。
人間は一様ではない。
『"LGBT"には生産性が無い』という考える人間もまたいるのだ。
俺は、この議員の考えは『視野狭い』と思うが、では近くに"LGBT"の人間がいたらどうか?
(差別したらいけない)と思うが、口は出さないが少し快く思えないかもしれない。
だが、そこに「多様性を認めないのか?」と言われたら、反論できない。
一つの物事、考えに対して人は様々な感想を持つ。
多様な物事を認める事は大事だと思う。
それなら、多様な考えに多様な印象を持っても構わないのではないか?
『LGBTへの差別反対』ならば、差別を感じてしまう人間に対し、"それはおかしい"と言わなくてはならない。
また、『LGBT推進せよ』と言う意見に異を唱えたいなら、推進する人間に、『推進する必要性があるのか?』と問わなければならない。
差別も、推進も、両方とも"人"の意見や考えである。
選択の問題であり、どちらかが正しいとは言いきれない気がする。
多様性を認めたいなら、"多様性を否定する多様性も認めるべき"では?
ホリエモンの『新幹線💺座席問題』もこれでは?
座席を倒す、倒さない、断る、断らないはすべからく"人の勝手"だろ?
(それを指摘するなら、怒る奴も、許すのも、人の勝手か?)
個人的に言うなら、この議員の考え云々より、
…俺は、人間を『生産性』で見る奴が嫌いだ。
それなら独身の俺など『非生産』も良いところだ。
……誰か(女性)と生産したいのだが?