鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学88 コーヒー戦争

かなり昔の事だが、コーヒー☕で友人と揉めた事がある。

割愛するが、その友人は、俺がコーヒー☕が"嫌い"だと思い込んでいた。

実際には、俺は別にコーヒー☕が嫌いでも好きでもない。
飲みたくなったら飲むし、飲まないくても別に構わない。
その程度の思い入れしかない。

だが、その友人は俺に「コーヒーって旨いぞ」とか「コーヒーの味が分からない奴って可哀想だな」などと言って来た。
頭に来て、

「俺は別にコーヒー、嫌いじゃねえよ!」

と少々強めに怒った。
すると、その友人は「じゃ、好きなのか?」と聞いてきた。

この問いに俺は困った。
今まで俺は『コーヒー☕が好きか、嫌いか』などと考えた事が無いからだ。
単なる飲み物の1つでしかない。

なので俺は、逆に友人に聞いてみた。

「何で、お前はそんなにコーヒーに拘るのか?」

彼が言ったのは、

「俺はコーヒーが大好きだ」という言葉だった。
また、さらに「俺がこんなに好きなコーヒーを何故、お前は嫌う?」と述べた。
何度も書くが、俺はコーヒー☕が嫌いでも好きでもない。

すると、友人は「では決めてくれ❗」と言った。
コーヒー☕が『好き、嫌い』を今この場で『決めろ』と言うのだ。

何故、そんな事を決めないといけないのか?

友人は言う。

「俺はコーヒーが好きだ。だがら友達であるお前も好きなら嬉しい。だか、嫌いなら、それで構わない。コーヒーが嫌いな奴に無理やりコーヒーを勧めたら、それは"お節介"であり、俺が悪くなってしまう。俺はお前に何かを強制する気はない。だから、好きか嫌いかを今、決めてくれ。俺は"悪者"にはなりたくないのだ」

つまり、コーヒー☕が好き嫌い"を決めてくれないと、自分が悪くなってしまう。
自分は悪くない。
好き嫌いをはっきり見せないお前が悪いのだ、と言いたいらしい。

俺はこの友人の言葉に呆れた。

たかだか、コーヒー☕でそこまで考えるか?

だが、よく考えたら、彼はかなり他人を想うことが出来る"良い奴"ではないか?

『コーヒーが嫌いならば、無理強いはしない』と言っているからだ。
だが、人の嗜好はそう簡単に割りきれない。『好きでも嫌いでもない』という物が誰しも1つや2つあるだろう。

それに必ず"白黒"つけないといけないのか?

その友人からしたら、俺の事を思うからこそ、コーヒーの好き嫌いをはっきりして欲しいのだ。

"思い込み"の激しい人間にあるのは、『思い込みたい』という欲求ではないか?

他人に対して、『この人間は○○○である』と思い込む事でその他人を"色付け"するのだ。

例えば、『コーヒー嫌いの鈴木…』と思えば、自分の好きなコーヒーを飲ませたり、誘ったりする事はなく、友好関係を保てる。
だから、思い込みたい。他人がそうであるとしたい。

だが、他人は自分の知らない面を様々に持っている。
以前、思い込みが外れたり、違っているとキレる人間の話をしたが、それは"思い込み"通りではない他人は、思い込みたい"自身"から見たら、"裏切者"であり、自身を騙す"詐欺師"なのだ。

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…迷惑な話だ。

だか、その迷惑は全て『他人の為に』という、優しさから来ている。

だから、非常にこまるのだ。
人としての最大の悪意とは、"善意"である。
人は真から"悪"という存在はいない。
自身の存在を"善"だと思いたい。
他人に対して、良い影響を与え、尊敬され、遠慮されたい。
だから、他人に『良かれと思って』善意からの行動をする。

それを『迷惑』と言われたり、思われたりすると、それは自身の善意を否定されることであり、自分への無慈悲な"攻撃"にしか思えない。

そんな事はないのだが、そうとしか思えないのだ。

コーヒー☕が好きか、嫌いかは、その友人からしたら、自分の"尊厳"存在"に関わる重要なポイントなのだ。

誰にも悪く思われたくない。
誰の気持ちも考慮したい。
何故なら、自分は『正しい』存在であり、誰にも迷惑も嫌な思いもさせない。

自分は、善なる存在であり、そんな自分を非難するのは、そうする人間が『正しくない』からであり、悪なのだ。

こういう人間はいる。

俺が大学卒業後、就職した"ブラック企業"にいた人らは、まさにそんな人達がいた。

ブラック企業で働く人間は、実に純粋で優しい人間が多い。

『お金の為』
『会社の為』
『お客様の為』

そんな純粋な思いで休みなく働き、パワハラに耐え、稼ぐ。
…それを利用しようとする"悪"がいるのは確かなのだが。

ブラック企業はそうした労働者の純粋さ、優しいさを"土台"にして、利益を出していた。

利益(お金💰)を得る上でこの純粋さは必要であり、他人の趣味や思考が自分と違うかを"決め付け"るのは、社会を生き抜く上で重要なポイントなのだ。

"彼ら"からしたら、"決め付け"なくては判断出来ず、"決め付け"ることで自分を成り立たせている。

"彼ら"からしたら、それは"戦争"と言えるのではないか?

自分の"正当性"を決め付ける為の戦い。


プロレスも"決め付け"が溢れている。

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プロレスには"最強"が溢れている。

だが、プロレスはショー👯である。

その"仕掛け"は、それを観る者(観客)が興奮するようにできている。
最強という印象も、また観客を興奮させる"装置"だ。

"嘘"、"虚構"と言えるが、観客はレスラーの見せる最強を"決め付け"なければ、興奮を得られない。

『誰が正しい』ではなく、『信じた(決め付けた)モノが正しい』のだ。

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プロレスは"決め付け"を主張し、"決め付け"により成り立っている。

コーヒー☕が、『嫌いか、好きか』の"決め付け"もやはり、そう決め付けたい人からしたら、"成り立たせる"為の重要なポイントなのだ。

決め付けたい人は、何を成り立たせたいのか?

それは、人間関係、だ。

決め付けたがる人間は、『決め付けたい』から決め付けるのだ。
そうしないと、自分と他人の関係を保てない。

『人間関係は大事』

そう思うから、人は他人に迷惑をかけても決め付ける。
自分が正しくある為。
他人を思うが故に。

少し悲しい人間なのかもしれない。
決め付けないと人間関係を築けないのだ。

何度も書いているが、人間は自由だ。
誰が決め付けようと勝手に生きていける。

他人が、それを正しいかどうかなど、決め付けなくても良い。

プロレスの最強は、そのリング(社会)では最強であり、"リング外"では最強でも何でもない。
正しくないのだ。

本当の"正しさ"を知りたいなら、

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"完全リアル"の総合格闘技を見たら良い。

人間関係は正しくなくても、成立してしまう。
"決め付け"があるからだ。

『決め付けてはいけない』

それはそうだが、決め付け無いと人間関係を構築できない人は、やはり決め付けをする。

ならば、俺達が出来ることは決まっている。

決め付ける人間は、決め付けたいから決め付ける。

アナタも、そして自分も。

これを覚えておくしかないのだ。