道路の拡幅工事で伐採されるはずの桜の木が、心ある人が詠んだ歌が市長の心を掴み、工事を延期させ、その桜の木を助けたという"美談"
「ひねくれている!」「八つ当たりだ!」と言われるのを覚悟で言うが、俺はこういう話が嫌いだ。
傍目から見れば美談だが、それはどうか?
拡幅工事を請け負った工事会社からすれば、工期が延びるのは良いことか?
拡幅工事を待っているかもしれない周囲の人はどう思うか?
大切な桜か?
それとも、たかが桜か?
誰かの心に寄り添い、困っている人の気持ちを思い図って行動するのは素晴らしい。
だが、それは同時に"寄り添ってもらえなかった"誰かを生み出している。
そして、誰もが助けてもらえるわけではない。
俺が病気になった時、検査手術前に正社員採用試験を受けた。
その結果(不合格)が手術をする前日に来た。
「何も、こんな日に結果を送って来なくても…」
軽いショックを受けた。
…今から思えば、俺など会社から見れば"大勢の社員の一人」でしかなく、そんな"駒"が病気になったところで何の配慮がいるだろう?
合格しようが、不合格だろうが、関係が無い。
これが社会の現実だ。
桜と俺、何が違うのか?
桜の木は綺麗な花を咲かす。
俺など、何の役にも立たないゴミのような人間だ。
だが、こんな話を聴くと無性に腹が立つ。
ま、そんな俺だから"ダメ"だったんだよな…。