鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

西野監督の"決断"と恩恵

『スポーツって面白いなぁ…』と思うことがあった。

昨夜のポーランド戦だ。

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終了10分前に、0-1で負け越している状態。

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同じグループリーグのコロンビアーセネガルは1-0で、コロンビアが勝っている。

今、対戦している2連敗中のポーランドは、もう負けたくないし、ドローにもなりたくない。

出来たらこのまま、(勝ち越したい)が本音だろう。日本の"ボール廻し"に付き合い、攻めてくる感じがしない。

セネガルとは、勝ち点、得失点が同じ。
"フェアプレーポイント"で僅かに勝っている状態。

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ここで西野監督はかなり難しい決断を迫られていた。

ポーランド-日本 0-1。
コロンビア-セネガル 1-0。

このままいけば、
日本1勝1分1負。
セネガル1勝1分1負。
得失点差無し。

日本代表の最善な結果は、
後、1点入れてドローにすること。そえすれば突破は確実だ。
(日本の1勝2分。勝ち越せば良いのだが、それは厳しい)

しかし、これにはかなりリスクがある。
サッカーは極めて"1点"が入りにくいスポーツだ。
うまく点を入れられたら良いが、逆に追加点を食らったら、完全にアウトだ。

下手に攻撃させるのは、墓穴を掘る可能性がある。

次の最善な結果は、
このまま0-1で終わり、フェアプレーポイントで勝ち上がる事だ。

相手は、こちらに攻めて来ないポーランド
守り切ることが可能かも?

だが、これも確実ではない。

『サッカーは点を入れにくいスポーツ』だが、点が入る時は1分もあれば、入るスポーツでもある。

1-0のコロンビアだが、セネガルが同点にするかもしれない。
そうなれば、もうアウトだ。

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攻めるか、守るか。

これはなかなか、悩ましい状態だ。
スポーツは、ゲームは、勝利することを前提に行われる。
監督・コーチは、「勝ちにいけ!」とプレーヤーを送り出す。
それでも勝てると決まってはいない。

まな、そのプレーヤーたちに「勝たなくて良いよ…」などと言うことは、かなりおかしな事だ。

しかし、試合自体は負け越している。

リスクを承知で攻めたてたなら、負けたとしても、『よく頑張った!』と称えられるかもしれない。

しかし、グループリーグ突破は不可能だ。

だが、守るのもリスクがある。

必ずこのまま終わるとは思えない。
また、セネガルが同点に出来ない、とは言い切れない。

さらに言えば、攻めて追加点を食らったなら、『よくやった!』と言われるかもしれないが、『なんで無理して攻めた?』『あのまま行けば突破していたのに…』なんて言われるに決まっている。

どうしても、叩かれる事はわかっている。

また、このまま負けて、突破を決めても、『恥ずかしい』『男らしくない』などと叩かれるに違いない。

これは相当難しい決断だ。

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西野監督は"0-1で負けきる"事を選んだ。
名誉より実利を、批判とより、予選突破を選んだ。

辛い決断だ。
まるで社会上の人間関係のような難しい決断だ。
どちらにしても批判される。
名誉を取るか、実利を得るか?

他人事のようだが、ここが『面白いな』と思ってしまった。
(西野監督からしたら酷い話だろうが…)


そして、ひょっとしたら、と思った。

西野監督はここまで読んでいたのではないのか?
前2試合からフォーメーションを変えて、先発を6人も変えたのは何故だろうか?
選手の疲労を考慮?

西野監督は引き分け"狙い"で試合に望んだのでは?
(そんな事は試合前には絶対に言わないだろうが…)

それがこういう"状況"になってしまった。
他会場の結果を知った時は、西野監督はどんな胸中だったのか?

モハメッド・アリを"騙して"戦ったアントニオ猪木の8、9Rの気持ちと一緒では?

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『勝てそうな気もするが、挑めば、こちらが負ける恐れがある…。これはチャンスか、ピンチか?』

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日本は勝った。

西野監督の覚悟から得られた"恩恵"とも言える。

そして、日本代表と西野監督はボコボコに批判されている。

しかし、日本代表はグループリーグを突破し、決勝トーナメントに進出できる。

また俺たちは日本を応援出来るのだ。
また熱い夜を迎えられるのだ。

西野監督の決断が正しいのか、どうかは分からない。
ただ、我々は恩恵のみを得るだけである。

"勝負しない"日本代表は格好悪い。

だか、"格好悪い"から来週も日本代表を応援できるのだ。
『頑張れ!』『勝て!』と声援を送ることができる。

批判されているから、我々が楽しめるのも確かだ。