注目されるのは『日本のプロレスラーと闘ったアリ』や『アリと凡戦して引き分けた猪木』ではなく、
✨『アリと闘った猪木』✨
という"カタチ"が残るからだ。
勝敗などどうでも良いのだ。
猪木はアリをリングにあげた時点で勝ちだった。
確かにアリのパンチは怖い。
飛び込んで無残に倒させたら、その"蛮勇"を称えられようが、怪我や悪ければ死亡の危機さえある。
だから、『猪木ーアリ状態』にしたのだ。
また、アリ側も「プロレスをしてくれ」も依頼され、来てみたら、"真剣勝負"。
相手はレスラー。
何をしてくるかわからない。
だから、下手に手出しは出来ない。
だから『猪木ーアリ状態』になったのだ。
互いにリスクを犯したくないがゆえに、"あのような"カタチになったのだ。
最近(昨夜6/28)もサッカーでそんな事、あったな?
勝つことを目的にしていない者と、
勝ちたいが、リスクは犯したくない者とが戦えば、"凡戦"になるのは必定だ。
(ただし、8、9Rには猪木がグラウンドに引き込むチャンスがあった。…迷っただろうな、猪木)
戦後、猪木側は『明らかに不利なルールを飲まされた』と主張したが、嘘である。
試合ルールは互いの競技を尊重したものだった。
『猪木は手足、頭を使う攻撃が無い』は嘘である。
この試合が猪木とプロレスに与えた効果は果てしない。
もし、この試合が"プロレス"だった、としよう。
世間はどう思うか?
「なーんだ。やっぱりプロレスって八百長か…」と下され、プロレスの地位は落ちる。
また、猪木のやっていた『異種格闘技戦』はその意義を喪う。
プロレスは『八百長』『ショー』と言われ、真実味を失う。
アメリカのように、その"ショー"や"エンターテイメント"として生まれ変わる可能性もあったが、廃れていくのは目に見えていた。
力道山の頃から、日本ではプロレスの"真実"はオープンではない。
ゴージャス・ジョージのようなレスラーがいなかったからだ。
猪木が廃れたら、新日本プロレスが廃れ、プロレス人気は失墜する。
ならば、その後のUWFやMMAブームが起こり得たか?
俺の好きなUインターは生まれていただろうか?
猪木はあの闘い(アリ戦)で教えてくれた。
『"真の実力"など意味がない』
プロレスを嫌う人はよく言う。
「あんなもの八百長だろ? 真剣勝負じゃねぇーよ」
その通りだ。
プロレスには台本(ブック)があり、決まり事があり、勝敗はあらかじめ決められている(たぶん…)。
たが、プロレスを嫌うアナタは、"決められている闘い"をしたことがないのか?
実力通りに他人と闘っているのか?
社会でそんな人間は希有である。
俺にも覚えがある。
前にいた"ブラック企業"。
評価されるのは、エリアマネージャーや部長に媚びる"息のかかった"屁でもない連中だった。
(大した人間でもないのに、デカいかおしやがって! クソが!)
そう思っていたが、『屁でもない』のはそんな連中より評価が低い俺であった。それにパワハラばかりの部長だが、そのエリアでは一番偉いのだから、媚びるのはしかたない。
実力があっても評価されなければ、意味がない。
(…本当に俺に実力があったかも疑問だが)
実力の"ある無し"ではなく、どんな実力でもそれをアピールし、良い評価されなければ、意味がない。
社会に、組織に、うまく繋がった者、つまりアジャスト(adjust)した者が"実力者"である。
社会、組織の"求めるもの"を提供していた"屁でもない"連中が実力者なのだ。
真の実力など、社会では大して意味がない。
いや、寧ろ、あればあるだけ不利かもしれない。
プロレスには間違いなく必要なない。
レスリングの技術、凄い体力、腕力、他を圧倒する実力があっても、
観客を興奮させられないレスラーは意味がない。
強さにこだわる限り、プロレスラーは強くならない。
だから、猪木は"最強"のレスラーなのだ。
観客に"異種格闘技戦"というプロレスを見せて、興奮させ、アリとリアルファイト(真剣勝負)して、プロレスを"守った"。
猪木は作った"最強"を守った。
猪木を『最強だ』と見れば、最強なのだ。
他に言い様がない。
猪木のような発想、行動、そして観客にアジャスト"adjust"できる人間はいない。
観客の見たいものや、見たい最強を見せる、観客の要求に応え続けたから、猪木は最強なのだ。
対戦後アリが、「俺は騙された」とか「猪木は最初、"プロレス"を持ち掛けてきた」などとは言わなかった。
言わないように、口止めしたのかもしれないし、猪木はアリがそこまで言う人間ではないと、予想していたのだろうな。
猪木は"最強"のレスラーだ。