鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学49 神様の陰

今までいろんな職場を見てきた。

そのどこにも、いわゆる"陰の実力者"というような人物がいた。

目立たないけど、「ここを仕切っているのは、あの人」や「何かあれは、アイツに」なんて人た。

それなりの力があるのに、決して表に出てこない、きたがらない人物。
だか、その組織の方向性に大きく関わって来たがる人物。
卑怯で、下らない人間。それでいてある程度、力のある厄介な人間。

何故、そんな人がいるのか?
何故、人は陰に"隠れて"、人を動かしたがるのか?

それは、シャイ(恥ずかしがり屋)という可能性もある。
表立って動くのが、嫌いな人間がいる。逆に表に立ちだがる人間もいる。

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シャイな人間にとっては、表に出たがる人間にそこを任せてたくなっても仕方ない。

だが、その理由の一番は、"責任"だと思う。
自ら行動し、発言したなら、当然、責任が生じる。
この責任が大嫌いな人間がいる。取りたがらない人間が多い。

だが、他人を自分の思い通りにしたい、と思っているのであれば、己の責任で動かないといけない。

それが堪らない。我慢ならないのだ。

以前、とある食品イベントを主催した会社が、参加費を騙し取ったのではないのか?という事件があった。

謝罪会見に出てきたのは、半年前にバイト入社した"社長"が顔出しで出てきた。
他の役員は皆、顔にボカシがかかっていた。

…つまり、「責任はコイツです」としたいのた。
"エスケープゴート"としたいのだ。

役員らは狡猾な人間である。
批判や罪は、何も知らない人間に押し付けたいだけだろう。

"陰の実力者"は責任を取りたがらない、"腰抜け"である。


"プロレスの神様"カール・ゴッチは、現役時代から「真の実力者」とか「実力No.1」などと言われていた。

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その事実は、プロレス(勝敗ありの"ショー")ができない、いわゆる"シューター"(関節技の得意な、ショーができないレスラー)である。
レスラーに挑んでくる素人を倒したり、言うことを聞かないレスラーを痛め付ける役、"ポリスマン"である。

当時の言い方をすれば、"シューター"である。

"プロレス"ができない(下手な)レスラーは"プロ"(観客を興奮させられない)ではない。
マチュアである。

そういう意味では、誰かの陰に隠れてしか動けない人間は、そういう意味では皆、"アマチュア"だ。

だが、このアマチュアの立場を喜んでいるバカが多い。

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ゴッチと"陰の実力者"の違いは、

ゴッチは、その力を場所によって見せて誇示するのに、対し、

陰の実力者は決して自分の姿を出さずに、陰から他人に指示して、何かあれは責任は矢面に立たせた奴に"お任せ"。

誰かを表に立たせ、自分は安全な場所にいる。自分は絶対に傷付かない場所にいる。
責任を取りたくない。
責任は誰かに押し付けたいのだ。

所詮は、"腰抜け"である。

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陰の実力者とは、実に卑怯で小心者である。

ゴッチは"プロレス"ができないアマチュアだが、アマチュアだけに、プロ(観客を興奮させる)ではないのであるが、それだけに観客の目を気にしないから、単純にレスリングの実力のみを出せば良いのだから、ゴッチは"陰の実力者"であるだけで価値がある。

シューターであるゴッチは、アマチュアであるが、最強の"シューター"であった。
(だから、ゴッチはプロレスの神様ではなくて、シュートの神様である)

そんなゴッチもプロレスラーとして表に出てきた時は、"ナチスドイツ将校"のキャラクターで出ていた。
(ちなみにゴッチはベルギー人である)

本人としては、非常に不本意だっただろう。
だから、"バディ・ロジャース殴打事件"などを起こしたのだ。

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矢面に立ちたくない"陰の実力者"を打ち倒すには、"彼ら"を表に引きずり出せば良い。

社会において、責任が発生しない行動はない。

『他人を自分の思い通りにしたい。だけど、その責任は取りたくない』という矛盾を抱える人間は、それだから、責任を誰かに押し付けたいから、『陰の実力者』になって自分の思い通りにしたいのだ。

だから、そんな奴は、表に引きずり出せば良い。
責任と社会的道義がある、この社会に引きずり出してやれ!

それが1番苦手で、1番避けたいのである。
何故なら、それ(他人を思い通りしながら、その責任は嫌)が社会的にはおかしな事だと分かっているからだ。

なんとも"腰抜け"なのだが、その臆病さは、それだけで"弱点"になる。

社会的な拒絶(Social Rejection)は、社会的隔離と違い、自分の選択により、拒絶する相手を選んでいる。

そんな奴が嫌うのは、社会を"拒絶"できない場所に出させてやれば、堪らない。

自分のやっていることが、社会的には全く認められないと分かっているからだ。

逃がすな。

必ず、嫌な社会に引きずり出してやれ!

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…ただし、この矛盾は誰にでもある。

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前に書いた田村潔司は、"自分の価値が下がらない"場所を選んでリングに上がる卑怯者かもしれない。

その一方で自分の力をよく理解している"陰の実力者"かもしれない。

人は誰しも卑怯であり、陰の実力者なのだ。
誰もが陰の実力者である事を願っている。