格闘技のセンチメンタリズム
今、バイキングゴールデンで、古舘伊知郎がPRIDEの『高山-フライ』戦を語っていた。
俺もこの試合は総合格闘技の名試合の一つだと思う。
…正確には、『総合格闘技内の"プロレス"的な価値観が溢れた試合』だと思う。
234発もの殴り合いだが、互いにそうなる事を"見越して"の試合だった、と思う。
別に殴り合わないで、グランド(寝技)の戦いに引きずり込めば良いのに、それをしない。
何故なら、そこに観客の"目"があり、総合格闘技もまた"エンターテイメント"だからだ。
総合格闘技はプロレスではない。
"ブック"(台本)は無い。だから、そのリングに上がる者は、そこにセンチメンタリズムをどうにかして織り込む。
「これが見たかったんだろ?」と観客に見せる。
それが、"プロ"だ。
観客は興奮したい。熱く燃えたい。
だから、そういう試合を試みる。センチメンタルを繰り出す。
それが"あの試合"には見えて、成功した好例ではなかったか?