どの会社を受けても落とされ、派遣の現場では周囲に小馬鹿にされ続けた俺は考えた。
果たして、世の中(社会)に必要とされているのか?
30歳半ばの病気持ち(脳腫瘍)の男。
冷静に考えたら、そんなヤツ、会社が雇う分けない。
俺は"要らない"人間なのか?
だが、その一方でICUでの"白い天井"の日々が思い出された。
あの時、ただただ"社会復帰"したかった。働きたかった。普通に生きたかった。いつもの日々に戻りたかった。
俺はまだ"世の中(社会)"にいたかった。
自分は社会に必要か、不要か?
俺は"必要"の方を信じた。必要と思う事にした。
だから、こうして働いている。
何故か?
自分を『愛している』からだ。
"自己愛"だ。自分が好きだから、自分を信じる。信じているから、生きていたい。生きているから、普通に働きたい。社会にいたい。
愛しているから、自分の行動を肯定したい。
俺は正しい。何一つ間違っていない。
それは『自己肯定』だ。
自分を"肯定"したい。自分がそこ(世の中)にいたいから、いる。
あの"ICUでの日々"が俺を、『まだ社会にいたい(戻りたい)』と肯定させた。
だが、社会は厳しい。
誰も病気明けの40間近のオジサンに同情しても、助けてくれない。
だから、俺はこうした"フリーランス"の生き方をしている。
だが、こうして働いていくことを決めた俺は、自分に"あるルール"を決めている。
それは、『自分を愛し過ぎない』だ。
人間は、"自分"が大好きだ。
何が無くとも、まず自分を第一に考える。
どんなに他人が哀れで、努力していて、大切だろうが、まずそれが自分に"どうな風に"影響するかを考える。
自分が好きだからだ。
この『自己愛』は自己肯定に繋がる。
自らを愛しているから、自分が正しいと思う。
"正しい自分"だから、世の中にいて良い。そこ(組織)にいて良いのだ。
ここまでは良い。
だが、それが他人に向かうとおかしくなる。
『自分は正しい、間違っていない』
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『自分を肯定しない"他人"は間違っている』
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『みんなは間違っていない自分に従うべきだ』
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『だって、自分が一番正しいから』
こうなるのがマズい。
何故なら、何度も書いているが、人間は自由だ。何をしても、考えても、自由だ。
自分を愛し、肯定し過ぎると、他人の自由を規制したくなる。
自らが正しいのだから、自分に従うべき。
…そんな分けないのに。
"絶対自分が正しい"事などあり得ない。
あり得るのなら、俺は今頃どこかの会社で正社員としてバリバリ働いているはずだ(笑)。
ここが『自己愛』(自己肯定)の恐いところだ。
自分が必ずしも"正しくない"社会(世の中)があるとして、自己を肯定したい人間はどうこの"ギャップ"を埋めるのか?
たぶん埋まらない。
『どうやら自分は正しくない』
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『ならば、世の中全体が間違っている?』
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『どうもそれも違うみたい(当たり前)』
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『間違っているのは自分か!?』
『自己否定』になってしまうのだ…。
自分を否定的に鑑みるのは悪い事ではない。"自由な自分"の考え、行為を『果たして正しいのか?』と分析しるのは良いことでさえある。
だが、否定し過ぎると危ない。
自分の存在を"疑問視"しだす。自らを嫌悪する。
自分を"消した"くなるのだ。
そういう"馬鹿"を俺は知っている。
自分を否定し、認めてくれない社会(世の中)で生きる理由を見つけられないのだ。
周囲から『正しい』と思われないと、認めてくれていないと、生きていけなくなる。
愚かだ、と思う。
誰もアナタをそこまで認めていないが、大して邪魔にもしていないのだ。
世の中はそこまでアナタを見ていない。
棚橋弘至はよく『愛してま~す』とマイクアピールしる。
他人を愛せる人間は、また自分も愛せる。
他人を愛すレベルと同じくらい、他人を愛せるのか?
『自分が一番』な人間からしたら、かなり無理がある考えだ。
だが、これが可能ならば、『自分も正しいが、また他人も正しい』という事になる。
無用に他人の自由を規制する事は無く、また自分を否定もしない。
しかし、そんな"聖人"みたいな精神にはなかなか到達しえないのでは?
ならば、我々ができるのは、『自分を愛し過ぎない』ではないか?
自分を愛し、肯定し過ぎると、他人を排除したくなり、最終的には自分を"消して"しまうのだ。
俺は誰も消したくないし、自分も消したくない。
嫌な他人がいる。
頭に来る他人はいる。
どうにもならない社会(世の中)がある。
自分を認めてくれていない組織がある。
どいつもこいつも頭に来る"腰抜け"ばかりだ。
消したくなる。
だが、そんな他人や世の中、組織の"存在"を認めないと、自分は自分の方を消したくなる。
だから、俺は誰も消せない。
消さないから、自分を愛さない。
いや、愛し過ぎない。
全く自分を愛さない、というのも難しい。
自分を愛しているから、生きるのだし、社会と関わっていたいと思えるのだ。
だから、"愛する"。
だが、愛し過ぎない。
自分を"消した"くないから。