東京でまた“コロナ”が増えてきた。
感染者が過去最大。
“第2波”ではないのか?
『東京が増えてきた』ということは、そのうち、必ず地方に波及するだろう。
『空気感染するのでは?』という話も聞いた。
俺の働いている病院🏥はまだ“感染疑い”の患者などは来ていないが、また慌ただしくなるのは必須だろう。
正直、政府、地方自治体、専門家などが色んな事を言うし、普段生活している我々の“実感”もある。
どれを信じたら良いのか?
この“コロナ”の広がりに関して、我々が出来る事は『感染しない、させない』なのだが、その情報としたら、『アナタはどれを信じるのか?』ではないか?
信憑性の無い情報もあれば、信じたくなる情報もある。自身の周辺の状況…。
どれかを信じて行動するしかない。
以前も書いたが、人が何を信じようが、信じまいが、それは人の勝手だ。
そして、自身のした“選択”を後悔してはいけない。
自分で選んだのだから、どのような“結果”になろうとも、それはそれを選んだ“自分自身”の責任である。
…とは言うものの、“コロナ”の選択は自身の命や他人の健康に関わる選択だ。
『そこまでする必要無いんじゃない?』というくらいのスタンスではないと、コロナは“収まらない”と思える。
『何を信じるか?』は他人の自由た。
何を規制して、何を制限するのかは、本人の自由だ。
コロナの“現状”をどう判断するのかは、自由だと思う。
実際、プロレス界は、“無観客”という判断をした。
それはプロレス界の判断だ。
本来プロレスは、
こんな風に観客の中で、“あり得ない”ような技を見せ合うのが、プロレスだ。
(…このオスプレイの“食らう”角度!)
誰もいない会場を観るプロレスは、やはり味気ない。
しかし、観客がコロナに感染したら?
と思うので、無観客で行っている。
その判断は間違っていない。
だが、何度も書いているが、そこに無いものは、やはり“興奮”(ヒート)だ。
興奮と歓声と熱狂の中でプロレスは存在する。
リモートやら、テレビマッチでは興奮しない(気がする…)
だが、それは“信じたもの”の結果である。
文句は言えない。
信じたのだから、信じる。
そこに興奮がある。
人を巻き込む熱がある。
今まで書いてきた事と少し矛盾するが、
裏切られても、間違っていても、思い込みでも、信じたものは、“信じられる”から信じるのだ。
誰に文句を言われても、構わない。
他人を無闇に傷つけるのはいけないが、そこに興奮(ヒート)がある。
さて、この状況…。
アナタは、何を信じるか?
信じきれるか?
後悔しないか?
『こんなはずでは…』などと言わないか?
間違いはある。
後悔もあるだろう。
それでも信じられるか?
そこをプロレスを“尋ねて”くる。
『これを信じてよいのか?』
『何を信じるのか?』
覚悟しないといけない。
信じたものが“どうなるのか?”を覚悟すべきだ。