『娘道明寺』という話を知っているか?
長唄や縁起巻物に書かれて作品で、浄瑠璃などになっている挿話である。
道明寺の僧、明珍に恋した娘、清姫が明珍を追い回し、やがて蛇(…というか化け物🐍)になり、お寺の鐘に隠れた明珍を炎🔥で焼き殺す…という話で、明珍を一途に想う清姫の恋心💞と執念が現された話だ。(かなり省略したが)
女側から見たらそういう風に想えるだろうが、音ならしたら恐怖🥶か?
だが、俺の印象が違う。
それは逃げ回る僧、明珍の“甘さ”だ。
「帰りには必ず会って欲しい」と願う清姫の気持ちを軽く見て、そのまま素通りなどするから、そうなるのだ。
明珍は“まさか”一度会っただけの清姫が、己を“焼き殺す”ほど愛していたとは思っていなかったのだ。
そこが甘い。
俺が明珍なら、必ず帰りには清姫の元に立ち寄り。
一度会っただけでも、忘れない。
それは“まさか”があり得るかも、と思ってしまうからだ。
他人が何を、どう感じ、どう動くかは誰にも分からない。
他人は常に他人であり、人は常に独立している。
だから、人を焼き殺す程恋したり、逃げたり、会いたがったりする。
思い込みは禁物だ。
人の心は、わからないから。
だからこそ、知りたいのだが…。