今では"プオタ"を自認している俺だが、実はプロレスにハマり出したのは中学生の頃からである。完全にハマったのは高校生以降だ。
※なので、俺の幼なじみは俺がここまでプオタになっていることを知らない。知ったらどうなるかな? …一部の幼なじみは知っていると思うけど。
中学の時の同じ部活の友人が"全日"のファンであり、よく俺にラッシャー木村の真似をしたり、三沢のフェイスロックなんかの技をかけてきた。
全日本プロレスと新日本プロレスの違いもわからなかった。(存在は知っていたが…)
なので無知な俺は、当時人気レスラーでメディアなどによく出ていた大仁田でさえ、"新日"のレスラーだと思っていた。
「お前、知らないのかよ。深夜のプロレス中継?」
中学一年の俺は深夜はぐっすり寝るものであり、そう言われて第一テレビの『全日本プロレスリング中継』を見始めた。
そして、次第にではあるが、プロレスにのめり込み、高校生入学の辺りにはすっかり"プロレスオタク"になっていた。
「プロレスファンなんだ」と言うと、必ず言われるのが、
「プロレスって八百長なんでしょ?」と言う侮蔑を含んだ言葉である。
『違うよ!』と抗弁したかったが、できない。俺自身がそれを否定できないからだ。
体重100キロもある人間をロープに降ると、こちらを向いて返って来たり、カウント2のギリギリでフォールを跳ね返したり…。
初めて見た時から、コレが"真剣勝負"とは思えなかった。
そう言えば…。
レスラーは一度関節技を決められても、動きまくってはずしたりしする。
だが、実際に柔道部の奴に"腕十字"を極めてもらったが、激痛で全く移動できなかった。関節技は一度極められたら脱出など不可能なのであり、やはりプロレスには"筋書き(ブック)"があり、レスラーはそれに沿って試合を"見せて"いるのではないか?
そんな事を感じていた俺に、八百長発言を否定する事ができなかった。
よく言っていた、この発言に対する俺の反論は、
「なら、見るなよ…」
だった。(反論になっていないが)
プロレス批判者の理論は「プロレスは八百長だ。だから、見るべき価値がない。それを観ているお前は愚か者だ」という指摘に貫かれている(ように思えた)
だが、プロレスを観る、観ないは個人の自由であり、嫌なら観なければ良い。誰も「プロレスを観ろよ」と強制している訳ではない。
だが、自分の好きなものを『まがい物』と思われるのは頭に来る。
だが、実際にリングで行われているのは、どう観ても"芝居"の匂いがする。
「嫌なら見るなよ」と批判をかわして(?)も、その後には何とも言えない寂しさが残った。
そんな俺が目をつけたのが、いわゆる"U(WF)系"と言われる"プロレス"団体であった。
リングス、Uインター、藤原組(バトラーツ)、パンクラス。
(パンクラスはちょうど93年にスタート)
第2次UWFから分裂したこれらの団体は格闘技路線を指向していた。
特に俺は高田延彦率いるUWFインターナショナル、通称"Uインター"にハマる。
打撃と関節技を主体のその戦いは、「プロレスなんて八百長」と言う奴に対して、「お前、Uインターを知らないの? 真剣勝負のプロレスが世の中にはあるんだぞ」と言える存在であった。
だが、そんなUインターはやはり、"プロレス"だった。
※Uインター、藤原組(バトラーツ)はプロレス。パンクラスはガチ(真剣勝負)。後に分かるが、リングスはガチとプロレスが入り乱れて試合が組まれていたらしい。
それは薄々分かっていた。
週刊誌でしか見ないUインターの試合写真は真剣勝負に見えた。
だが、レンタルビデオで借りたUインターの映像を観ると、「あれ? 今、蹴り入ったよな?」と思える瞬間があったりとか、一度極った関節技から体を動かして逃げたりしていた。
明らかに"プロレス"である。
そして、板垣恵介さん(格闘マンガ、"刃牙"の作者)が自身のエッセイでこのU系団体の事をボロカスに批判しているのを読んで俺の疑惑はほぼ確実になる。
だが、人間は都合の良いものだ。
俺は思った。
「このレスラーたち(U系レスラー)は、格闘技を指向しているが、普段は団体維持の為に"泣く泣く"筋書きのあるプロレスをやっているに違いない」
…今から考えたら、そんなバカな話は無い。
だが、そう思い込んだ。
黒い石も無理矢理『白い!』と思い込めば、白い石に思えてしまう。
例えば、Uインターの高田延彦が巻いていたチャンピオンベルトは『"プロレスリング"世界統一ベビー級王座』であった。
格闘技を指向する団体のベルトにしっかり"プロレス"が入っていた。
また、Uインターの正式名称は『Union of professional-Wrestling Force International』(長!)であり、この中にしっかり『professional-wrestling(プロレス)』が入っている。
Uインターがプロレス団体である事は、これらからも分かってしまうのだ。
それを俺はこう勝手に解釈した。
ベルトに『プロレス』が付くのは、Uインターを後援していたルー・テーズが"プロレスの神様"と呼ばれていたからであり、そのテーズの時代のプロレスは真剣勝負だった。
すなわち、Uインターはその真剣勝負の時代のプロレスへの原点回帰を目指す団体である。だから、『プロレス』がベルトや団体名に付いてもおかしくはないのだ。
…と、凄まじく都合の良い、めちゃくちゃな解釈を勝手にしていた。
結局、パンクラス以外のU系団体は"プロレス"の枠を出るものではなく、あくまで"格闘技"っぽく見えるプロレスをしていただけであった。
Uインターに対する『めちゃくちゃ』な解釈をどこかで認識しながらも、俺は「Uインターは強い。ガチ(真剣勝負)ならどこにも負けない。今は仕方なく団体経営の為にプロレスみたいな試合をしているのだ」と思った。
そう思わないと、自分が信じたものが無くなってしまうからである。
プロレスの世界には、"信者"と言う言葉がある。
猪木信者。
馬場信者。
UWF信者。
前田信者。
(俺は、高田信者?)
それは、彼らの"見せてくれる"プロレスこそが"真実"であり、"最強"であると信じるファンの事だ。
ちなみに芸人の有吉弘行は『前田信者』だった(?)らしい。
意外だな…。
"信者"とは実に便利な存在だ。
"教祖"の言う事はどんなにおかしくても好意的に変換して受け止める。
そして、"教祖"を批判する奴を勝手に攻撃してくれる。
"教祖"が「白だ!」と言えば、黒い石も白だ。
たまにメディアで新興宗教の"洗脳"が話題になる。あれと同じだ。
新興宗教に全財産を寄付してしまう信者がいる。
端から見たら、『何であんなモンをそこまで信じるんだ?』と思うが、当の本人からしたら、そこに身も心も財産も投げ出す事が、自分が救われる"唯一"の方法である、としか思えないのだ。
これは社会にある組織などにもあると思う。
『社会に出る』と言う事は、何かしらの組織、集団(会社など)に入るという事た。
そこでは、"教祖"たる上司や社長、その"組織"へ臣従を強いられる。
「この会社に入ったんだ。俺の言う通りにやれ」
「ここは私がリーダー。だから、私の言う事を聞きなさい」
彼らは、成功、報酬、幸福を"建前"にアナタに「信者になれ」と言ってくる。
元来、人が目の前の物事に対し、どんな感想や意見、行動するかは自由だ。
それを他人が変えさせる事はできない。
しかし、社会に出ると他人はそれを強制的に変えさせてくる。「こうすれば、きっと幸せになる。収入が増えるから」と"善意"で推し進めて来るのだ。
これは何も他人ばかりでは無い。
これを読んでいるアナタや俺もそうだ。
他者は自分の考えに共感して、従って欲しい。そうすれば必ず良くなる。
または、他人の考えや指示に従うことで自身の幸福が確定する。
だから、他人や組織に"任せたい"
人は他人、組織を信じたいのかもしれない。
だか、洗脳はいつか解けてしまう時が来る。
95年10月9日、東京ドーム。
『新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面対抗戦』。
団体と団体の存亡を賭けた団体対抗戦だ。
そこそこ話題になっていた。
当時、高校生であり、すっかりUインター、高田信者だった俺はUインター側の圧勝を予想した。
相手の新日本プロレスは従来の"プロレス"しかできない団体であり、Uインターは格闘技を標榜する"格闘集団"である。技術の差が激しくあるはずだ。
俺はUインター勢の秒殺勝利連続を予想した。
実際、俺の同級生のプロレスファンも、"Uインター圧勝"を予想していた。
プロレス団体と格闘集団の戦いであり、Uインターがいつもの"プロレス"をする理由などないからだ。蹴りと関節技を駆使して、新日本のレスラーたちを倒しまくると信じていた。
だが、蓋を開けてみたら新日本プロレスの勝利であった。
メインの『高田vs武藤』のIWGP戦に至っては、武藤の"ドラゴンスクリューからの足四の字"という、正に"プロレス"という流れで高田がタップアウト。
俺はこの結果に絶望した。
高田よ。何故"プロレス"に付き合う?
何故、武藤の足四の字で"負ける"?
バービック戦のように蹴りまくって、腕十字を極めれば良いだろう。
相当頭に来ていた俺は、当時、付き合っていた彼女の家で不満をぶちまけたりした。
(コレが原因で破局?)
俺の"洗脳"が解け始める。
前年の92年。
アメリカで第1回のUFC大会が行われた。
優勝したのは、『グレイシー柔術』という無名の格闘技を使うホイス・グレイシーという人物だった。
『サミング(目潰し)と噛みつき以外は何でもアリ』という過激なルールにおいて、ホイスは、相手にタックルで飛び掛かり、馬乗りになり殴り付けて、相手が嫌がって俯せになると、スリーパーで倒した。
その映像が日本でもバラエティー番組なんかで流れた。俺も見たが、おそらく日本全国のプロレスファンやレスラーが見ただろう。
そして、Uインターから安生洋二が戦いを挑みに云った。
安生はあくまで対戦の"交渉"をしに行ってだけであったが、道場破りと思われ、ホイスが「私より強い」と言ったヒクソン・グレイシーと戦う羽目になったらしい。
ヒクソンは総合格闘家であり、プロレスはできない。ましてや観客のいないグレイシーの道場である。
対戦を挑まれた安生が、『プロレスをやっている格闘家』ならば、その格闘技技術でヒクソンに対応できるはずであった。
だが、年末のプロレス雑誌の表紙に載ったのは鼻血をたらし、殴られた惨めな安生の顔だった。
ヒクソンの強さはその後に物凄く理解できるのであるが、俺が『格闘技を標榜する最強集団』であるはずのUインターのレスラーにしてみたら、あまりに不甲斐ないやられ方に思えた。
マスコミを閉め出した"道場マッチ"だったこともあり、詳細までは分からなかった。俺はそれでもUインターの、高田の"実力"を信じていた。
ただ、頭の隅に沸いた疑念があった。
Uインターって、やっぱり"プロレス"ではないのか?
それは、この新日本との対抗戦で完全に判明する。
彼らは(Uインター)は、プロレス団体であり、そこにいるレスラーたちは基本的にプロレスしかできない。
俺からしたら、プロレスに付き合う必要の無い団体対抗戦で"実力"を示さないのは、ガチ(真剣勝負)を『しない』のではなく、『できない』からであり、Uインターはあくまで、"格闘技っぽいプロレス"をしていたに過ぎなかったのだ。
しかし、今になって思う。
何故、俺はこの"結果"を見て、今までのように『今回はプロレスをして見せただけ、やはりガチではUインターが最強』と都合良い受け止めをしたかったのか?
※続く