アマチュアボクシングの山根会長の"パワハラ"問題が大きく取り沙汰されている。
俺が一番気になったのは、山根会長がかつてトップを勤めていたボクシング連盟の奈良県出身の選手に対して『勝たせるように』と八百長していたという話だ。
本当なら(事実っぽいが…)、この山根会長はすぐに会長の任を降りるべきである。
何故なら、アマチュアボクシングは、いわゆる"ガチ"であり、会長と言えども一個人の思慮が立ち入るべきではないからだ。
純粋にボクシングの力量、技術、身体的な優劣で勝敗が決まるべきである。
しかし、これが"プロレス"なら、全く違う。
プロレスの勝敗はあらかじめ、決まっている。
それは興行を仕切るプロモーターやマッチメイカーにより、選手の人気や会場の雰囲気、次回の興行への"ストーリー性"により決めている(らしい)。
プロレスには、戦うレスラー以外の人物の意図が堂々と立ち入る。
何故なら、プロレスは"ショー"であり、レスラーは観客をいかに興奮させるかを第一に考えているからた。
以前、『猪木-アリ』の時にも書いたが、プロレスは昔に"勝敗"という概念を捨てている。
主題を"興奮(ヒート)"に置いている。
全てはチケット🎫を買って観戦するお客や為である。
この山根会長が間違っているのは、『アマチュアボクシング』を"自分のもの"と勘違いしている部分だ。
確かに、会長として力があり、『黒い物も会長が言えば、白い』が罷り通ったのであろうが、それか行き過ぎた。
自分の息子を、突然、五輪のセコンドにするのは"やり過ぎ"であり、無理がある。
こうしたパワハラをする人間かよく主張する『正当性』から逸脱している。
こんなタイプの人間はどの業界、組織、職場にもいる。
そして彼らが主張するのは、業界、組織、現場からの"主張"という"正当性"た。
『…○○という事が問題だから、こういう風に改善すべきだ』
『ここは、こうした方が良い』
などという"社会的な評価"を口にする。
だが、それはよく見直すと個人の利益を確保するものであったり、私物化、利益誘導、独り善がりだったりする。
…もちろん、正しい指摘もあるが。
都合の良い"建前"に過ぎない。
この建前の主張か認められると人は"勘違い"する。
(ここは俺が仕切っている!)
(俺が一番偉い!)
(俺の言うことをが最優先だ)
そんな"場所"などは本来ありはしない。
勘違いでしない。
アマチュアボクシングはアナタの物ではない。
最初はそんな事無かったのだろうが、真摯にボクシングに関わっていた気持ちを忘れてしまっているから、人に対しておかしな要求をしたり、"奈良判定"を強要したりする。
最近、こういう馬鹿が多いなぁ。
プロレスも他人の意図が入りまくる。
実力以外の"正当性"が考慮される。
だか、それは全て"観客"の為である。
プロレスはその"仕組み"をオープンにはしていないが、その勝敗が"実力以外"のもので決まっていることは見れば分かるだろう。
実力以外で勝敗が決まる社会と、
実力で決まるが、違う場合がある社会。
アナタはどちらを好むか?
正解はどちらもではないか?
実力のある人間は、実力で判別して欲しいし、無い人間は実力以外で栄誉を得られる社会が良いと思う。
だから、あの山根会長会長すれば、(俺が威張って何が悪い)という話なのではないか?
ならば、今回(というか今まで)はもうやり過ぎだ。
プロレスならば、さすがに"反則負け"だ。
思い上がり過ぎたな…。
仮病で逃げ回る前に、大人しく会長の座を去るべきだ。
だが、少し笑えないのは、俺にも、俺の回りにも、こうした人間はよく居て、自分自身もこうなる可能性があるからだ。
自分に大した実力が無いと分かった時、人にその実力以外でどうにか自分を"成り立たせ"ようとする。
それは、地元の出版社に勤め出した俺だ。
そして、営業の連中の"要求"に渋々従っていた俺だ。
"奈良判定"は誰でもしたくなる、"甘い罠"だ。
自分の思い通りになる"現実"は甘美だ。
しかし、それは所詮は甘い"幻想"であり、すぐに本当の現実がやって来る。
仮病を治して、早く出てきなさい(笑)。