今週、小室圭さんから“トラブル”の説明文が発表された。
その中で、小室さんは母親の“元婚約者”から『お金は返さなくて良いよ』という内容や、事実訂正がされていた。
和解していない理由も述べられていた。
俺は、この元婚約者から“提供”されたお金💴が、“どこまでが好意での無償援助”で、“どこまでから借金”かの区別が、かなり曖昧な感じがした。
これを観て、思い出されたことがある。
子供の頃、猫田(仮名)という同級生がいた。
彼は俺の幼なじみ、サダヒト(あだ名)ととても仲良かった。
俺はサダヒトを度々“奇人”として、ブログや小説の中で書いている。
猫田は、引っ越ししてきた奴で、かなり性格に難がある人間だったが、俺はサダヒトを通して、彼と遊んだらりした。
よく猫田の家でゲームなどをした。
そんなある日、サダヒトと猫田が些細な事から喧嘩になった。
すると、猫田はサダヒトに対し、
「俺の家で遊んだファミコンの電気代、返せ!」
と、言い出したのだ。
俺は呆れた。
いくら仲が悪くなったからと言って、『今まで遊んだ電気代』を請求するのか?
俺は、この猫田という男に子供ながら、気持ち悪さを感じた。
だが、“ある意味”当然の要求にも思えた。
嫌悪する人間には、何も与えたく無い。
嫌いな奴には、与えた物を返して欲しい。
それは普通な事にも思えた。
だが、同時に思った。
(…どこまで、返すの?)
猫田は、サダヒトに対して、どこまで金銭の返却を要求しているのか?
家に招いて、一緒にゲームをして、その“電気代”は要求すべきものなのか?
どう金額に換算する?
…というか、どこまでが返却金額の範囲なのだろう?
真剣に考えてしまった。(今から考えたら、相当、馬鹿馬鹿しい…)
他人の好意は、どこまで金額にできるのか?
その“元婚約者”が、返せという金をどこまで返せば良いのか?
「これは、返さなくて良い」と言われても、返さなくてはならない金銭が発生するようだ。
ならば、誰かに“無償”される前に「…これ、返す?」といちいち確認しないといけないのか?
(“法的”にはそれが正しい?)
この曖昧さは、人間の好意を金銭ではどう測るかという問題だと思う。
それって、測れるのかな?