高校の頃の友人に“テツ”(仮名)という男がいた。
気の良い男で、よくプロレスの話で盛り上がったりしたた。(俺ほどプロレスオタクでは無かったが…)
テツは俺の幼馴染で同じ高校に入学した“サダヒト”(アダ名)と仲が良く、それもあり、たびたび遊んだ。
だが、そんなテツと仲違いした事件があった。
あれは高校3年の昼食の終わったら後、俺たち(俺、テツ、サダヒト)はいつものようにクダラナイ話で盛り上がっていた。
すると、テツが俺に「トイレ、行こうぜ?」と誘った。“連れション”というやつだ。
俺は、特に催していなかったので、「…俺はいいや」と断った。
そうすると、突如テツが怒り出した。
テ「行こうぜ、オイ!💢」
俺「…だから、俺は別に便所、行きたくねーんだよ」
テ「なんだよ。…いいから行こうぜ💢」
俺「はぁ? だからよー」
テ「何で、来ないんだよ💢」
俺は、このテツの怒りが、さっぱり分からなかった。何故、こんなにテツは怒るのか?
その頃は、全く理解できなかった。
やがてテツは「…もう、いいよ💢」と言って1人でトイレに向かって行った。
サダヒトが「あーあ、テツ、怒っちゃった」と言って茶化した。
だが、それでも俺は何故、テツがあそこまで怒ったのか、さっぱり分からなかった。
トイレに行く・行かないは、俺の勝手だ。
何故、テツがトイレに行くからといって、俺もトイレに行かなければならないのか?
断っておくが、テツは他人に対し、横柄な態度を取るような奴ではなかった。
気軽に話しのできる、ごく普通の高校生だった。
俺にも、乱暴な態度を取ったことなど一度もなかった。
この後しばらく、俺とテツは口を聞かない日々が続いた。
そして、しばらくしてどちらとも無く仲直りし、いつものようにバカ話をするようになった。
だが、この『トイレ事件』がテツとの関係性に微妙な“溝”を生んだらしく、以前のように“仲良く”とはならならず、そのまま卒業となった。
この時は分からなかった俺だが、社会に出て、テツが何故、トイレに行かない俺にあれほど怒ったのか、分かる。
テツは、“信者”が欲しかったのだ。
俺は、テツを友人だと思っていたが、テツはそうではなく、自分のいう事を聞く“子分”くらいに思っていたのでは?
テツからしたら、自分が「トイレに行く」というなら、子分である俺は、是非もなく「一緒に行くよ」というべきなのだ。
それに対して、俺はテツの“思い通り”にならなかった。
これがテツには気に入らなかったのだ。
だから、怒った。
人間は何をするのも、自由だ。
何をしようと、何を断ろうと、個人の勝手だ。犯罪を犯さない限り、他人からその“勝手”を制限される事は無い。
だが、それは他人も一緒だ。
自分が自由ならば、他人も自由なのだ。
それが、嫌なのだ。
自分だけが自由でありたい。自分の言う事だけが“重視”される関係性の中で生きていたい。
だから、“信者”が欲しい。
自分だけを信じて、都合良く考えてくれて、自分に遠慮してくれる他人が欲しい。
それが“信者”だ。
テツは、俺を自分の信者だと思っていたのだ。だから、“逆らった”信者であるはずの俺に怒ったのだ。
この事件が起こった時期、プロレス界は“多団体時代”を迎えていた。
ストロングスタイル。
王道。
リアル。
デスマッチ。
…様々なスタイル(思想)のプロレス団体か生まれていた。
“UWF思想”から解き放たれた(?)俺は、いろんなプロレスを楽しんでいた。
俺の人生で一番プロレスを楽しく観ていた時期である。
何故、多くのプロレス団体が生まれていたのか?
それは、多くのレスラーが、“『自分だけの』プロレス”をしたかったのではないか。
テツが、普段は全く穏やかな人間だったのにも関わらず、俺に怒った💢ように、皆、“自分だけの小さなコミュニティ”を欲したのだ。
自分を優先してくれる、自分だけのコミュニティ。
自分だけを信じる信者が欲しい。
だから、様々なプロレス団体が生まれたのだ。
それを思えば、テツの怒りは少し理解出来る。
俺が「トイレ? 別に行きたいないよ」と言われたら、頭に来る。
何故なら、自分(テツ)は、アイツ(俺 )より偉いのだから、俺の言う事を聞かなくて良い道理がないのだ。
しかし、俺は逆らう。
だから「…もう、いいよ💢」なのだ。
馬鹿馬鹿しいが、他人との関係性において、“信者”は非常に重要だ。
どんなに『人間は自由た、平等だ』と言っても、社会においては、大きく制限される。
なかなか自由は認められない。
ならば、認めてくれる“小さなコミュニティ”を作りだかる。
そこにいる限り、自分は信者に“守られる”からだ。
俺も欲しい。
自分の事を、一番に“忖度”してくれる他人が欲しい。
だが、そんな馬鹿な“コミュニティ”は無いのだ。
何故なら、人間は自由だからだ。
何もしようと、何を考えようと、何を信じようと、他人の勝手だ。
高校卒業、テツとは一度だけ会った。
互いに、大学卒業間近だった。
テツは、東京の映像製作の会社に入社が決まっていた。
『トイレ事件』の話はしなかった。だが、やはりどこか“溝”があった。
特に再開などは、約束せずに別れた。
あれから20年。
全く会っていない。俺が脳腫瘍になった事など知らないだろう。
そして、未だに俺の自由を認めないのか?