鈴木篠千の日記

2度目の移籍。浜松近郊でフリーライターしてます。①日記(普段の生活やテレビの話題と社会考察) ②プロレス心理学(とプロレス&格闘技の話) ③非居酒屋放浪記 ④派遣録(派遣していた&いる時や過去の話)

プロレス心理学105 自由の溝

高校の頃の友人に“テツ”(仮名)という男がいた。

 

気の良い男で、よくプロレスの話で盛り上がったりしたた。(俺ほどプロレスオタクでは無かったが…)

 

テツは俺の幼馴染で同じ高校に入学した“サダヒト”(アダ名)と仲が良く、それもあり、たびたび遊んだ。

 

だが、そんなテツと仲違いした事件があった。

 

あれは高校3年の昼食の終わったら後、俺たち(俺、テツ、サダヒト)はいつものようにクダラナイ話で盛り上がっていた。

 

すると、テツが俺に「トイレ、行こうぜ?」と誘った。“連れション”というやつだ。

俺は、特に催していなかったので、「…俺はいいや」と断った。

そうすると、突如テツが怒り出した。

 

テ「行こうぜ、オイ!💢」

俺「…だから、俺は別に便所、行きたくねーんだよ」

テ「なんだよ。…いいから行こうぜ💢」

俺「はぁ? だからよー」

テ「何で、来ないんだよ💢」

 

俺は、このテツの怒りが、さっぱり分からなかった。何故、こんなにテツは怒るのか?

その頃は、全く理解できなかった。

 

やがてテツは「…もう、いいよ💢」と言って1人でトイレに向かって行った。

サダヒトが「あーあ、テツ、怒っちゃった」と言って茶化した。

だが、それでも俺は何故、テツがあそこまで怒ったのか、さっぱり分からなかった。

 

トイレに行く・行かないは、俺の勝手だ。

何故、テツがトイレに行くからといって、俺もトイレに行かなければならないのか?

 

断っておくが、テツは他人に対し、横柄な態度を取るような奴ではなかった。

気軽に話しのできる、ごく普通の高校生だった。

俺にも、乱暴な態度を取ったことなど一度もなかった。

 

この後しばらく、俺とテツは口を聞かない日々が続いた。

そして、しばらくしてどちらとも無く仲直りし、いつものようにバカ話をするようになった。

だが、この『トイレ事件』がテツとの関係性に微妙な“溝”を生んだらしく、以前のように“仲良く”とはならならず、そのまま卒業となった。

 

この時は分からなかった俺だが、社会に出て、テツが何故、トイレに行かない俺にあれほど怒ったのか、分かる。

 

テツは、“信者”が欲しかったのだ。

 

俺は、テツを友人だと思っていたが、テツはそうではなく、自分のいう事を聞く“子分”くらいに思っていたのでは?

テツからしたら、自分が「トイレに行く」というなら、子分である俺は、是非もなく「一緒に行くよ」というべきなのだ。

それに対して、俺はテツの“思い通り”にならなかった。

これがテツには気に入らなかったのだ。

だから、怒った。

 

人間は何をするのも、自由だ。 

何をしようと、何を断ろうと、個人の勝手だ。犯罪を犯さない限り、他人からその“勝手”を制限される事は無い。

だが、それは他人も一緒だ。

自分が自由ならば、他人も自由なのだ。

 

それが、嫌なのだ。

自分だけが自由でありたい。自分の言う事だけが“重視”される関係性の中で生きていたい。

 

だから、“信者”が欲しい。

自分だけを信じて、都合良く考えてくれて、自分に遠慮してくれる他人が欲しい。

 

それが“信者”だ。

テツは、俺を自分の信者だと思っていたのだ。だから、“逆らった”信者であるはずの俺に怒ったのだ。

 

この事件が起こった時期、プロレス界は“多団体時代”を迎えていた。

 

ストロングスタイル。

王道。

リアル。

デスマッチ。

 

…様々なスタイル(思想)のプロレス団体か生まれていた。


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UWF思想”から解き放たれた(?)俺は、いろんなプロレスを楽しんでいた。

俺の人生で一番プロレスを楽しく観ていた時期である。

 

何故、多くのプロレス団体が生まれていたのか?

それは、多くのレスラーが、“『自分だけの』プロレス”をしたかったのではないか。

 

テツが、普段は全く穏やかな人間だったのにも関わらず、俺に怒った💢ように、皆、“自分だけの小さなコミュニティ”を欲したのだ。

 

自分を優先してくれる、自分だけのコミュニティ。

自分だけを信じる信者が欲しい。

 

だから、様々なプロレス団体が生まれたのだ。

 

それを思えば、テツの怒りは少し理解出来る。

俺が「トイレ? 別に行きたいないよ」と言われたら、頭に来る。

何故なら、自分(テツ)は、アイツ(俺 )より偉いのだから、俺の言う事を聞かなくて良い道理がないのだ。

しかし、俺は逆らう。

だから「…もう、いいよ💢」なのだ。

 

馬鹿馬鹿しいが、他人との関係性において、“信者”は非常に重要だ。

 

どんなに『人間は自由た、平等だ』と言っても、社会においては、大きく制限される。

なかなか自由は認められない。

 

ならば、認めてくれる“小さなコミュニティ”を作りだかる。

そこにいる限り、自分は信者に“守られる”からだ。

 

俺も欲しい。

自分の事を、一番に“忖度”してくれる他人が欲しい。

 

だが、そんな馬鹿な“コミュニティ”は無いのだ。

 

何故なら、人間は自由だからだ。

何もしようと、何を考えようと、何を信じようと、他人の勝手だ。

 

高校卒業、テツとは一度だけ会った。

互いに、大学卒業間近だった。

テツは、東京の映像製作の会社に入社が決まっていた。

『トイレ事件』の話はしなかった。だが、やはりどこか“溝”があった。

特に再開などは、約束せずに別れた。  

 

あれから20年。

全く会っていない。俺が脳腫瘍になった事など知らないだろう。

そして、未だに俺の自由を認めないのか?